途上にて候ふ
公開しようか迷ったあげく、文体をなんちゃって昔風にしてみたもののこれって逆におかしくない?と考え始めたらもう分からなくなってきてしかしもうこれはこれで備忘録かと割り切ることにした不惑を過ぎて迷い続ける40代2児の父ですおはようございます。
ある職を生業にしやうとしたのは、もう20年も前がはじめだ。しかし上手くはゆかなかつた。私の人生はニ度の挫折でできている。一つは失恋で、もう一つはこのことであつた。
因果なもので、向いていないと諦めたのち、あのころ欲しかつた自信のやうなものが付いてきた。今なら大丈夫かもしれぬ。さういう思いが湧いたのだ。
今更のことではあるが、もう一度始めてみることにした。きつかけも見つからず燻るものと折り合いをつけながら過ごしてきたものの、今の勤めでも役に立てられそうだという、もつともらしい理由を得た為だ。どう転んでもよいのだが、ともかくカタをつけやうと、さういう心持ちで始めたのだつた。
さうして始めてから、しばらくの日がすぎた。どういう変化があつたかと問われている。さほど変わるものではない。畢竟進んでみなければ分からぬのだ。その一方で、心持ちが和らいだことを感じている。やらねば進めぬ、やらねばならぬと握りしめていたやうだつたのが、何やらひらいているのだ。思うに途上にあることが変化であり、既にして確たる違いが生まれているがためであらうか。
さういう訳かと得心しつつ、書き続けた66日間を終えてまた書いている。他者の書きつけたものを読んでいる。我と向き合い、他者に引き比べ、響いたものが或いは私の心を震わせ和らげたものかもしれぬ。
さうこうするうちに気づいたのは、けふが華金であり、月曜も出仕はせぬ日であつたことである。やうやう面白くなりゆく心持ち、かなり明かりて、また勤めに励まんとするなり。

