規模より意味を選ぶ、私のスモールジャイアント戦略
職場でのコンテストが終わり(敗退)、普通の読書やVoicyの放送に時間を注いでいきます。
そんな中、木下斉さんの【ジブン株式会社ビジネススクール : 2025年7月】人生のスモールジャイアント戦略を組み立てよう!!
自分のスモールジャイアント戦略とは?考えてみました。
規模より意味
会社員として組織に属し、年収は「普通に生活できるレベル」
欲張らなければ十分に暮らしていける。
役職を持てば拘束時間が増え、自由は減ってしまうように見えます。
私はあえて「末端のプレイヤー」でいたい!
それでも年齢を感じさせないパフォーマンスを出せる真ん中以上の人。これが自分に一番合っている働き方なのかもしれません。
名前に込められた意味「大きく助ける」立場。
上と下をつなぎ、できる真ん中として流れを整える役割を担う。
不思議と自分の宿命のように思える時があります。
他人の物差しに縛られてきた過去
正社員?学歴は?収入は?彼女いる?
聞かれて返す言葉は、
『キミの部屋のテレビ、なんインチ?』
これで相手をぶった斬ります(笑)
そうした他人の物差しで図られた昭和・平成の価値観に、自分も長い間染まってきました。
「安定」「世間体」「比較」など、その中で生きることが当たり前な時代でした。
今は最低限必要なものがまかなえれば十分だと思っています。
スマホの通信料、猫のエサ、車の維持費、そして小さい学びのサブスク。
これらが払えれば、自分にとっては全然オッケー。
職場はセーフティーネット
人生のセーフティーネットの観点で見れば、職場の存在はとても大きい。
組織に属しているから「仲間」や「役割」があるから、毎日のリズムがあります。
もしその場を去ってソロ活動になれば、一気に孤独感に襲われるはず。
自由と引き換えに、見えない恐怖に襲われるだろう。
ただ一方で、文明の進んだ現代では、物や食べ物に困ることはそうそうない。
だからこそ問われるのは「物」ではなく「心」では…。
安心やつながりをどこで得るのか。家族はもちろんだが、全方位で関係性は作れない。
この先10年間の課題です。
人間関係の変化とニュートラルな時間
50歳を過ぎると、リアルな人間関係は自然と仕事場に集まってくる。
それはちょっと危ういことだと感じています。
若い頃からのバイク仲間たち。
しかし昨年バイクを手放し、ツーリングに顔を出すこともなくなった。
加齢で鈍った反応…ほんの少しのズレが命取りになる恐れもある。
運転技術の問題ではなく、一般道には必ず「相手」がいるから。そう考えて身を引いた。
今年に入り、彼らとも会わなくなった。
中学から地続きだった地元の仲間たちも、体力の衰えからか、めっきり姿を見なくなった。
だがそれは距離感と価値観の変化。
自分のために時間を使えるし、ニュートラルな気持ちになれる。
「スモールヤンキー的な価値観」に引きずられることもない。
仕事と生活のこれから
外仕事の肉体的な厳しさは、この先ますます現実になる※今は余裕だけど。
「大好きか?」と聞かれれば、数秒固まるが、今まで経験した中では一番自分に合っている仕事だと思います。
ただ、無理に役職を背負って長時間拘束されるのは違う。この年齢での頭打ち感もあるし。
前職では賞与がないまま8年間働いたことがあった。
あの頃に比べれば今ははるかに良い。もちろん社会保険料は爆上がりしているが…。
それでも、いざとなれば最低賃金で余生を過ごす覚悟もある。
これからは掛け持ちアルバイトが当たり前になる時代でしょう。そこに抵抗はなく、働き方としては理想かもしれません。
人手不足の社会では、働き方の形も変わっていく。
私は最低限の社会貢献…つまり税金を納める働き方は続けていきたいです。
自分の目的とこれからの生き方
これからの目的ははっきりしている。
困ったときに助けに行ける人間関係を保ちながら、興味を感じた土地や人に足を運び、五感で空気を味わうこと。
その生き方や考え方を丸ごと真似するのではなく、自分らしく取り込みアレンジしていくこと。
それが50代のこれからの楽しみ方!
健康を維持し、働く意欲を保ち、機嫌よく生きること。
無理に背伸びせず、野望に縛られず。
ミニマリストほど切り詰めないけれど、欲張らない生活レベルを選ぶ。
「数」ではなく「感覚」に価値を置き、外で触れ合う経験を重ねていきたい。
そこそこに暮らしながら年に一度、海外に出かける。
自然や異文化との触れ合い、そして偶然の人との出会いから、人生の深みと気づきを得る。
それが現在、私にとっての「スモールジャイアントな生き方」だと感じています。
