自作PCにEndeavourOSを入れた日のこと
新しいPCの前で、OSを選ぶ
新しい自作PCを組んだ。
ケースにマザーボードを載せる。
CPUを載せる。
メモリとSSDを挿す。
電源を繋ぐ。
そこまでは、わりと物理の話だ。
一通りのパーツが収まったあと、最後に来るのがOSの選択だった。
USBメモリを挿して、起動順を変える。
インストーラを立ち上げる。
画面が出てきた瞬間に、少し迷った。
今回は何を入れようか。
これまでも、何度かこの場面に来ていた。
自作PCは、組んだだけではただの箱に近い。
OSを入れて、ようやく自分の道具になっていく。
この「まだ何者でもない感じ」が、少し好きだったりする。
最初はUbuntuだった
最初に触ったLinuxは、Ubuntuだった。
調べると、一番無難そうだったからだ。
インストールは楽だった。
日本語入力もすぐ動いた。
業務でも趣味でも、特に困ることはなかった。
しばらくは、それで十分だった。
ただ、少しずつ「厚い」と感じるようになった。
性能の話ではない。
自分の触っていない部分が多すぎる感覚だった。
GUIのツールが、いろいろな前提を整えてくれる。
それは便利だ。
でも、何が動いているのかが見えにくい。
何かあったとき、どこを触ればいいのかが分かりにくい。
Ubuntuが悪いわけではない。
自分が触りたい場所と、Ubuntuが見せてくれる場所が、少しずれていただけだった。
Archは、組み立てるOSだった
そこから、Arch Linuxを触りはじめた。
最初の頃は、インストールでかなり苦労した。
ディスクのパーティションを切る。
ファイルシステムを作る。
マウントする。
ブートローダを入れる。
ネットワークを整える。
ひとつずつ、自分で進める。
半日かけて、ようやくログインプロンプトに辿り着いたこともある。
でも、その画面には「自分で組み上げた」感覚が残っていた。
入っているパッケージは、自分で選んだものだけ。
設定ファイルも、自分が書いた内容で動いている。
動かないところがあれば、だいたい自分のせいだった。
それは面倒でもある。
でも、分かりやすくもあった。
どこを触ったから、何が変わったのか。
失敗しても、だいたい犯人が見える。
Archは、自分にとって「組み立てるOS」だった。
ただ、新しいPCを組むたびに毎回ゼロからやるのは、それなりに気力がいる。
楽しい。
けれど、毎回半日持っていかれる。
EndeavourOSに出会った

自作PCをまた組んだとき、EndeavourOSというディストリビューションを見つけた。
Archベースで、インストーラが用意されている。
最初の起動までは速い。
でも、そこから先はかなりArchに近い。
完成品を渡されるのではなく、最低限の足場だけ組んでくれる感じだった。
入れて触ってみて、これは自分に合っていると思った。
優しすぎない。
突き放しすぎもしない。
ちょうどいい距離感だった。
OSまでVORONみたいなものを選んでいるな、と少し思った。
箱から出して終わりではない。
組んで、触って、直して、自分の道具にしていく。
どうやら自分は、そういうものばかり選びがちらしい。
distroは終わっても、コミュニティは残った
あとから、EndeavourOSの成り立ちを読んだ。
もともと、AntergosというArchベースのディストリビューションがあった。
それが2019年5月に開発終了を発表した。
普通なら、そこで人は散る。
でも、Antergosのコミュニティにいた人たちが、別の場所にフォーラムを残そうとした。
そこから、EndeavourOSが立ち上がっていった。
最初のリリースは2019年7月。
distroが終わったあと、コミュニティのほうがdistroを生み直した。
この順番が、少し良かった。
プロダクトが先にあって、人が集まるのではない。
人が残って、次の道具を作る。
そういう始まり方をしているものは、なんとなく信用したくなる。
何でも美談にしたいわけではない。
コミュニティ運営も、開発も、外から見えるよりずっと大変だと思う。
それでも、終わったものを見て「では解散」と片付けなかった人たちがいた。
そこに、EndeavourOSの温度が少し見えた気がした。
自分が憧れたハッカー

ハッカーという言葉には、いろいろなイメージがある。
映画や小説では、暗い部屋でディスプレイの光を浴びながら、難しそうな場所に侵入する人として描かれることが多い。
それはそれで、かっこいい。
でも、自分が憧れていたのは、もう少し別の像だった。
その場にあるものを触る。
分解する。
仕組みを見る。
動かして、壊して、直す。
肩書きより、手を動かした結果を見る。
知っている人は、知っていることを残す。
分からない人は、聞きに行く。
聞いたら、自分でも試す。
Steven Levyの『Hackers』に出てくる、初期のハッカー文化の話が、自分の中ではずっと引っかかっていた。
MITの鉄道模型クラブから、初期のコンピュータ文化へとつながっていく話。
そこにあるのは、派手な侵入劇ではなく、地味な手の動きだった。
触れるものは触る。
中身を見たい。
仕組みを知りたい。
良くできるなら、良くしたい。
その好奇心と、少しのしつこさ。
自分が好きなのは、たぶんそっちのハッカー像だ。
自分の道具を、自分で直していく
EndeavourOSの空気は、その像に少し近かった。
最初から全部整ったものを渡されるわけではない。
壊れたら、自分で調べる。
分からなければ、ドキュメントを読む。
それでも分からなければ、フォーラムを探す。
誰かが残したメモに助けられることもある。
自分も、いつかどこかにメモを残すかもしれない。
そうやって、自分の道具を少しずつ自分のものにしていく。
VORONにも似ている。
業務アプリにも似ている。
dotfilesにも似ている。
組んで終わりではない。
入れて終わりでもない。
使いながら、直しながら、手に馴染ませていく。
その感覚が好きだから、今はEndeavourOSにいる。

便利だから、というだけではない。
自分の道具を、自分で触っていられるからだ。
それだけの話だった。
気になった方へ
Hackers: Heroes of the Computer Revolution 関連ページ(Project Gutenberg)
