#17「嫌いなものは、嫌いでいい」と思う、娘のプールの時間に。
2026.6.24
六年生になった娘は、
あいかわらずプールが嫌いだ。
学校の用意をするとき、
水色のプールバッグを
手に取る彼女の手元には、
あきらかなためらいの影が差す。
ふだんなら、算数の難しい問題だろうが、
新しく始めたリコーダーだろうが、
眉間に小さなしわを寄せながら
「できるようになりたい」
と躍起になるタイプなのだ。
それなのに、水泳にだけは、
驚くほどきっぱりとした諦念を抱いている。
娘にとって、プールという場所はきっと、
あまりにも整然としすぎているのだろう。
白く引かれたコースロープ、
等間隔に並ぶ目印のライン、
そして「何メートル泳げたか」という
明確な数字。
そうした四角いルールの中に
自分の身体を当てはめることが、
彼女の肌にはどうしても
馴染まないみたいだった。
塩素の匂いが鼻を突くたび、
彼女の心はきっと、
教室の窓の外へと逃げ出してしまうのだ。
「無理に泳げるようにならなくても、生きていけるよ。溺れなきゃいいよ!!」
夕食のあと、
麦茶を飲みながら私がそう言うと、
娘は少し意外そうな顔をして、
それから嬉しそうに笑った。
がんばり屋の彼女だからこそ、
「がんばらなくていい」という逃げ道が、
ときには必要なのだと思う。
世の中には、
どうしても好きになれないものがあって、
それをそのまま「嫌い」として
ポケットにしまっておく自由があってもいい。
何もかもを克服して、
立派な何者かになる必要なんてないのだから。
不思議なことに、娘は海が大好きだ。
夏になると、
私たちはよく静かな海岸へ出かける。
娘は水着に着替えると、
躊躇なく波打ち際へと駆けていく。
きらきらと光る波頭に足を浸し、
寄せては返す水の感触を、
ただじっと楽しんでいる。
海にあるのは、
プールのような境界線ではない。
どこまでも曖昧で、気まぐれで、不規則な青。
貝殻を拾ったり、
波にさらわれる砂の感触に
声をあげて笑ったりする彼女を見ていると、
水そのものが嫌いなわけではないのだと
よくわかる。
彼女が愛しているのは、
あの予測のつかない、
自由な水の広がりなのだ。
四角いプールで
上手に息継ぎができなくたって、
一向にかまわない。
あの広大な海を前にして、
心地よい風を胸いっぱいに吸い込み、
「きれいだね」と
目を輝かせることができるなら、
それで十分じゃないか。
明日の朝もきっと、
彼女は少しだけ憂鬱そうな顔をして
プールバッグを抱えるだろう。
私はただ、いってらっしゃいと、
いつもより少しだけやわらかい声で
送り出すだけでいい。
彼女の「嫌い」を、
そのままそっと守ってあげたい。
ただそう思う。
今日も最後まで読んでくださって
本当にありがとうございます。
苦手なことの1個や2個ありますよね。
いいんです。気楽にいきましょう。
では、また会いましょう。
