台所のセーヌ

切符は買っていない。今日は台所から行けるところまで。湯気と塩の加減で、行き先だけを決める。

炊飯器の蒸気口が、今朝はすこし弱い。ふだんより「ピッ」が遅れて、蓋の縁に丸い水滴が三つ。指でつつくと、一つだけ逃げた。

私はまだフランスのパリを知らない。テレビの中と地図の上だけ。駅名の読み方も、たぶん何個か間違えている。それでも台所に湯気が立つと、知らない街が一センチ手前に寄ってくる。気のせいでもいい。

米袋の赤い縫い糸を引っぱり、ボウルにざらざら。今日の米はちょっと乾き気味。しゃもじの角が欠けているのを思い出して、欠けていない面で空気を入れる。三角は尖らせない。丸いほうが、持ち運びで崩れにくいし、橋を渡るかたちにも似ている。いや、似てないか。まあいいや。

ポケットでスマホが震えた。「こっちは雨」。遠い街の人。添付の写真、パン皿にパンくず、指の第一関節だけ写っていて、爪が少し汚れている。仕事の合間らしい。私は既読だけつけて、海苔を一枚。湿気た音。「ぱきっ」じゃなく「ふにゃ」。梅干し、昆布、塩。今日は梅。タネを指で押すと、台所の古いまな板が少しへこんだまま戻らない。そうだった、これも買い替えたかった。

口の中で試しに言ってみる。「セーヌ」「モンマルトル」「サン=ジェルマン」。母音がうまく出ない。結局いちばん言いやすいのは「おむすび」。ついでに思い出す。「結ぶ」。あぶない。すぐに恋の方向に寄っていく。白ごまを指でつまみ、上から雨みたいに落とす。まんべんなく、は無理。偏る。まあそれでいい。

フランスに行くルートは、検索履歴に残っている。成田、羽田、どっち。シャルル・ド・ゴール、という字面が好き。乗り継ぎ時間の最短を調べて、結局、保存しない。ボタンを押すのは、米が冷めてからでも遅くない。いや、ずっと押さないのかもしれない。ここまで考えて、流しの三角コーナーの匂いに現実へ引き戻される。レモン皮の欠片。昨夜は唐揚げだった。

弁当箱の底に、三角を二つ、俵をひとつ。形が違っても、ふたを閉めれば並ぶ。私と遠い街の人も、たぶんそんな感じ。ぴったり合う日もあれば、隙間風が入る日もある。海苔の端が一ミリだけ浮いている。そこから白い湯気。勝手に「セーヌの風」と名づける。言った者勝ち、という言葉は便利だ。

窓を開ける。向かいの屋根に、雲の影。秋。郵便バイクの音。カラスの声は、今日も標準語じゃない。私の町はフランス語を話さないけれど、光の粒はどこでも同じ顔をしている。米粒に似ている、というのは言い過ぎかもしれない。指先の塩を舐める。少し、しょっぱい。少し、うれしい。どこかへ行きたい気持ちと、ここで暮らしたい気持ちが、舌の上で混ざる。

返信欄に打つ。「今夜、月が出たら、同じ月を見よう」。打って、消す。また打って、今度は保存だけ。送信はしない。輪ゴムを二重にかける。白いゴムが重なって、無限大みたいな形になった。たいそうな意味じゃない。ただの癖。

玄関を出ると、風が一枚目の海苔だけ少し揺らした。持ち直して、町の浅い川へ。水は澄んでいる。セーヌではない。もちろん。けれど、流れている。橋の下で足音が遅れて返ってくる。昼になったら、ここでひとつ目を食べる。梅干しの酸っぱさで、背中を前へ押す。たぶん押しすぎない程度に。

私はまだパリを知らない。知らないまま、今日が進む。そのうち行くかもしれないし、行かないかもしれない。決めないままでも、台所の川は毎日どこかに流れていく。
もしその日が来たら——切符の行き先にこう書く。
「シャルル・ド・ゴール」。そしてその下に、小さく。
「目的地は、未定」。


参加させていただきました。
ありがとうございます。

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