初の電車旅
九州に住んでいたとき、満員電車のニュースを見るたびに「なぜわざわざ混む電車に乗る必要があるのだろう」「大人になっても乗りたくない」と思っていた。
そんな私も就職で東京に出て、それから家族を持ち東京近郊に引っ越しをし、現在は満員電車に揺られながら都心へ通勤をしている。電車がなければ地方に住みつつ都心に通うというライフスタイルは叶わないので非常にありがたいものなのだが、やはり満員電車はつらいし、通勤時間を有効活用しないともったいない。自己研磨のため本を読むことが多いが、車窓から見える外の景色をぼんやり見るのも好きな私がいる。時間を有効活用できているかはおいといて。。。
つくばエクスプレスから冬の晴れた日に見える富士山は美しく何月まで楽しめるのだろうかとか、あそこに新しく家が建っているなとか小さな変化、発見を楽しんでいるのだ。もしかして電車にたくさんの人乗っているけど富士山が見えること知らない人意外と多いのでは、と優越感にも浸っている。
昔から乗り物に乗っているときは寝るよりも外を見るのがとにかく好きだった。家族で車で出かける際に、わがままな末っ子の特権をフル活用し助手席に座り、前も横もしっかり見える場所を確保した。
年末年始は大分市から母方の実家がある宇佐方面まで車で毎年行っていたので、子供ながらに国道10号線沿いの町の変化を楽しんでいたのかもしれない。さらに立石峠を通過するときに今回はサイレンがなるのだろうかと姉と運試ししたり、今年は年末年始の暴走族の活動時刻(初日の出暴走と呼んでいたと思う)とバッティングしないようにと祈りも捧げていた。
※立石峠のサイレン:居眠り運転防止のため一定間隔で鳴るサイレン
とある小学生の夏休み、初めて電車で長旅をした。これが初めての電車だったと思う。いつも車で行っていた母方の実家まで、姉2人と私の3人で大分駅から宇佐駅まで電車で行くことにしたのである。国道10号線を車で走っている横に電車の走る姿をいつも見ており、いつか乗ってみたいなと思っていたのでこの旅が決まったときは非常にうれしかった。
「なくさないでね」と姉から切符を渡されポケットにしまいこみ、電車へ乗り込んだ。鈍行電車だったので、長椅子に膝をのせ窓から外が見えるようにポジション取りをした。おそらく道中ほとんどこの態勢だったと思う。
大分駅を出てすぐこのルート最大の見せ場と言っていい、別府湾をぐるっと半周するようなルートを通過するのだが、まったくそのときの記憶はない。
西大分駅を過ぎると眼下に広がる壮大な海を楽しめたり、別府の市街地を駆け抜けたり、運が良ければ海に浮かぶ「さんふらわ」を見ることができたり、日出側(大分の地名)から海や高崎山を望むルートで、大分の魅力が満載なはずなのに。。。大人となった今は、この路線に乗る際は必ず海が見える側に席をとり車窓から見える景色を満喫している。
子供のときの記憶として残っているのは、トンネルと高架橋を繰り返し通過する場所である。おそらく杵築駅から中山香駅の区間と思う。この区間は、通いなれた10号線と並走する場所があると思ってたら、トンネルを抜けると高架橋の下に10号線を横切る場所が出てきたりと当時電車初心者の私には複雑怪奇で、電車は一体どんなルートをとっているのだろうと、まったく理解ができなかった。今見返すと10号線側がくねくねしているだけなのだが、車が正義と考えてた当時の私は電車のルートが変だと勝手に思い込んでいたと思う。
ポケットにしまっていた切符はどこに行くこともなく無事に宇佐駅をおり初めての電車旅は終了した。
鉄オタと呼ばれるジャンルには様々なタイプがあるが、私は鉄道景色オタなのかもしれない。今風に言うと色鉄なのだろうか。。。ただその景色を見て写真に残すわけでもないし、路線を見返してランドマーク等との位置関係を振り返りするわけでもない。純粋にその一瞬一瞬に移り変わる景色を目で見て楽しんでいるだけである。ただし、今回子供のころの思い出を振り返ったのだが、平凡な風景だがなぜか記憶に刻まれるものもあり、その答えあわせのようなことを次に乗ったときに行うというのを、無意識に行っていたのだと再認識した。これからも私なりの迷所探しを続け、私なりの電車旅を楽しもうと思う。せっかくNoteも始めたのでもう少し景色を写真におさめる努力もしていきたい。※記事の写真は借り物です。
