『人物でたどる日本の歴史』 五味文彦
ひとり遅れの読書みち 第122号
「歴史は人とともにあり、その人物を探ってゆけば、新たな時代への動きが見える」と、歴史学者の五味文彦は語る。本書は、「その生きた時代を象徴し、先導する存在」をとりあげ、彼らがいかに生き、行動し、後世に何を残したのか、その生涯を知ることを通じて、日本の歴史を描こうとする試みだ。古代、中世、戦国期・近世、そして近現代と4部に分け、20人をとりあげる。
古代では、聖徳太子に始まり、桓武天皇、菅原道真、紫式部と以後に大きな影響を与えた人物。次に、藤原顕長、北条政子、叡尊、足利尊氏、世阿弥、上杉憲実など中世という時代を象徴する人物を描く。北条政子や足利尊氏、上杉憲実は武家政権の形成と発展に大きな影響を及ぼし、叡尊と世阿弥は宗教と芸能の面で影響を与えた。
戦国期から近世にかけては宗長、武田信玄、北条氏政、徳川家光、荻生徂徠、また近現代では、杉田玄白、鶴屋南北、大村益次郎、根津嘉一郎、市川房枝をとりあげ、それぞれ違った分野の世界を切り開いていったと論じる。
聖徳太子は蘇我氏とともに推古天皇を支えたことはよく知られている。その実績を、①遣隋使を派遣して中国の文物をとり入れ、②17条の憲法を定めて政治の在り方を示した。③冠位12階を定めて人物の登用をはかり身分を整えた。④四天王寺の造営や経典の注釈書を著して仏教の興隆につとめた、などと挙げる。
太子については、後世にさまざまな伝説が広められた。17条の憲法が太子の手によるものではないとの見方もある。五味は、少なくとも最初の7条までは太子が直接関わった可能性が高いとの判断を示し、太子が律令体制の国家を形成する礎を築いたと評価する。
日本で初めて作られた仏教説話集『日本霊異記』には、太子の逸話が記されている。摂関期には伝記が著され、院政期には太子の建てたといわれる四天王寺信仰が広がった。鎌倉時代には源実朝が御所に持仏堂を設け、本尊に文珠菩薩を安置、太子の『17条憲法』に学んで、その御影を掲げて供養を行なったという。
その後も、北条泰時の制定した『御成敗式目』、足利政権の『建武式目』など、17条憲法を意識して作られたとしている。
桓武天皇については、平安京への遷都、蝦夷征討事業、新王統の正統化、また仏教への対策として、南都の僧に対して厳しい姿勢をとったことを挙げる。私的に寺院を造ることを禁じ、僧たちに戒律を守るように法令を出し、教学の重視の方策を打ち出している。
叡尊は鎌倉時代の僧であり、真言律宗の布教に尽くした。道元の1歳年下。自らの生涯の軌跡を振り返って、『金剛仏子叡尊感身学正記』という自伝を著している。五味によると、これは本格的な自伝であり、かつてこのようなものが著されたことはなかった。生きた時代の自我意識や歴史意識の在り方がよくうかがえるという。戒律の復興を広く勧め、弟子には忍性などがいて、社会的弱者である非人の救済を積極的に行なった。
本書はまた、紫式部、世阿弥、宗長、鶴屋南北といった文化芸術について後世に大きな影響を与えた人物たちの紹介も欠かさない。
紫式部については、『源氏物語』が当代の人々を魅了し、藤原道長も紫式部の局にやって来て原稿を催促していた。多くの女性もこの物語を読んで育っており、『更級日記』を書いた菅原孝標の娘もそのひとり。『源氏物語絵巻』が書かれ、『浜松中納言物語』『狭衣物語』『夜半の寝覚』などの物語が作られた。和歌への影響はさらに絶大であり、藤原俊成は、「源氏見ざる歌詠みは遺恨の事なり」と記した。
世阿弥は、実践的演劇論『風姿花伝』を著し、芸道修行の在り方について述べる。また、「住せぬは花なり」として、「住する」(停滞する)ことなく新たな境地を開き、「物真似の面白さ中心の能」を「舞歌中心の美しい能」へと洗練化し芸術性を高めてきたという。数多くの新作能を書き、また古曲を改作した。
近現代で登場させる人物については、古代や中世の人物たちと比べると、ボリュームはやや少ないが、簡潔にまとめられ特徴はよくわかる。
1冊で長い歴史を描くのは至難の業と思われるが、著者は豊富な知識を動員しそれを凝縮した文章で著した。歴史のエッセンスを味わえるものだ。
(メモ)
人物でたどる日本の歴史
五味文彦
2026年2月18日 初版
発行 東京大学出版会
