『京都の歩き方』歴史小説家50の視点 澤田瞳子
ひとり遅れの読書みち 第101号
世界中から多くの観光客が押し寄せる京都。歴史小説家の澤田瞳子が、生まれ育った京都を案内する。といっても観光案内や旅のガイドブックの類ではない。京都に生きる人の内側から見た京都案内といったところだろうか。
京都は観光都市であるとともに、約415万人が暮らす政令指定都市でもある。1000年もの間、都であり続けた結果、今日、多くの文化財を有し、長い歴史の痕跡を随所に留めている。観光で訪れる人々が京都に求めているものと、京都で生まれ育ち、今も暮らしている澤田の目にはさまざまな「そご」があるように見えるという。「京都らしい」と多くの観光客が感じる抹茶スイーツとか舞妓さん、あるいは金閣寺は、京都市民の普段の生活からはいささか「隔たり」のある存在だ。また「京都人はイケズ」「本心が見えない」といった見方には「嫌な思い」をしたことが多いとのこと。
京都を「巨大なテーマパーク」としてとらえ、ある一定の「歴史らしさ」「文化らしさ」を感じることもよいだろう。だが、澤田は、「京都がなぜ今日の京都たり得ているか」を知れば、見える光景はまったく異なるものになると述べ、エッセイ50篇をまとめた。歴史や文化の表層を軽くなでるだけではない。さまざまな話題を提供する。観光客が見落しがちな視点から描かれた京都が浮かび上がってくる。
本書を読み始めると、澤田のフットワークの軽いことがわかる。とにかく歩くことが好き。また自転車をよく利用する。とりわけ観光客の多い季節には、バスに乗れたものではない。京都駅から銀閣寺までのバスはすし詰め状態であり、時間もかかる。歩けば1時間半ほどで行けるので、途中ゆっくり街中を見ながら回るのもおすすめという。会社や学校へ行くにも自転車が便利。ある法要の際には、多くの人が集まり車の手配が難しくなると思って、自転車で会場まで行ったとのこと。
澤田が学校に通っていた時には、神社の中を通って行くことも多く、さまざまなお祭りに出会った。例えば、盛大な節分祭が催されることで知られる吉田神社は、通学路にあたり、時期になると露店が並びうれしかったそうだ。境内で暴れる3匹の鬼を「方相氏(ほうそうし)」が追い払う儀式だ。平安時代の文書には、「方相氏」の図も記されていた。4つの目に牙を生やし、頭には巨大な1本ツノという異相。だが豆まきはない。豆まきは一般的には、室町時代から始まったという。吉田神社の創建は、貞観元年(859年)だ。
また、時代劇の撮影が行なわれていることも多く、妙心寺では何度もロケ現場を見たという。臨済宗の大本山の妙心寺は、10万坪ほどの広大な土地に塔頭が50ほど建っている。水墨画の代表作で国宝の作品を所有する退蔵院や春日局創建の麟祥院などよく知られている。時代劇の中では、塔頭が武家屋敷に、石畳の路地が江戸の街並みとして用いられていた。
「食」についても、一般の観光客にとっては、「エッ」と思うような話を幾つかを記している。京都=薄味、和食というイメージが定着している。だが、パンや牛肉の世帯あたりの消費量は全国でもトップクラスであり、ラーメンには濃厚な味のものも多い。
いわゆる「京都料理」が誕生したのは、近年のことと指摘する。第2次世界大戦後、京都には日本の伝統が残っているとされ、旅客が急増したという背景もあって、そうした人相手に伝統を代表する品が広く求められたそうだ。京都=古都とのイメージが普遍化しているからか、「京都っぽい」食事が当然視されるようになった。かつての京都の食べ物は、関東人には余り好まれなかったそうだ。
みやげで有名な八ツ橋についても、歴史を紹介する。井筒八ツ橋本舗の生八ツ橋「夕子」は、水上勉の小説『五番町夕霧楼』の主人公夕子からとられてたもの。「夕子」の箱の表面にも日本髪を結った夕子が描かれ、店舗の入口には彼女の人形が立っている。
なお、生八ツ橋が開発されたのは1960年代。それ以前には、「板状の固焼き」の製品のみだった。「軽量」で「耐久美味」。みやげに最適と見られた。日露戦争で旅順攻略に参加した部隊に真言宗の僧侶が、八ツ橋5万枚を届けたとの記録があるという。運送に耐え便利な菓子と考えられていた。
みやげと言えば、「みすや針」も有名だった。今では忘れ去られているが、針は京都を代表するみやげ物のひとつとして人気があったとのこと。近松門左衛門の作品にも登場してくる。
その他京都についてのさまざまな情報が、深い歴史知識とともに紹介される。確かに住んでいる者が経験する京都は、旅行者が堪能する街とは表情が異なっている。
(メモ)
京都の歩き方 歴史小説家50の視点
澤田瞳子
2025年3月25日 発行
発行 新潮社
