【創作】黒田製作所物語 第7話 空を駆ける
当時の虎一も和美も知らなかったことだが、三井工業は紡績機械や産業機械の製造という分野では業界の中堅どころであり、国内のみならず海外展開もしている企業だった。三井は数年前に復員していたが、全国及び海外の拠点事業所を転々としており、家族とともに群馬に戻ったのはごく最近のことだった。
「帝国紡績郡山工場にも顔を出したかったが、お前のいない郡山に来るのも気が乗らなくてな」
そんなことを虎一に語ったこともあった。しかし黒田製作所との取引を機に帝国紡績郡山工場 大高との再会も果たしたようである。
三井は楽しく気の良い男であったが、三井工業からの仕事は楽なものでは無かった。儲けを出すのが難しい小ロット、試作品のような注文や複雑な部品製造の注文が続いた。黒田製作所を値踏みするような、良く捉えれば期待して試験的に発注していたということになるのだろうが、厳しい内容だった。
三井工業からの発注書を和美が虎一に手渡すと一番弟子の柳沼を呼び
「この仕事、どう思う。お前ならどうする」
と問いかけ
「そうですね俺にやらせて貰えるなら、こういう手順でといきたいところですが、誰かにやらせるのであれば工程を工夫しなきゃですね」
柳沼の意見を受け止めながら
「例えばこんな風にしてはどうだ。面白いとは思わないか」
とニ人で目を輝かせ材料や作業手順を考えることが続いた。そして黒田製作所では当然のごとく三井工業の期待に応えた。
いや応えたというのは正確ではないだろう。必ず期待以上の製品を解とした。虎一たちは知らなかったことだが黒田製作所の妥協を許さないものづくりは、当時から全国でもトップクラスの品質を保持していた。
水が高いところから低いところに自然に流れるように、三井工業との取引は質量ともに拡大し、また三井工業の取引先にも「技術の黒田」の名が伝わり、惹きつけられるように引き合いを受けるようになった。
黒田商店としての十年間も着実な成長を遂げ、個人事業所として見事な業績を達成してきたが、これまでの成長が一個一個積み上げていくような加算式とすれば、法人化後の成長は三井工業という追い風もあり、乗算式のような伸びを見せた。昭和の高度成長期という時代背景、虎一を中心とした「技術の高さ」も成長の大きな要因と言えた。そして「専務の力」も大きかった。
黒田製作所として法人化したとは言え、当初は社長が父ちゃん、専務が母ちゃん、経理補佐は婆ちゃんという、所謂「三ちゃん・家族経営」である。このような場合、時に専務は「何にも専務」と揶揄される会社もあるようだが、黒田製作所は違った。
和美の持つ「総務・経理」についての事務能力も非常に高かったが、特筆すべきは情報に対するリテラシー能力だった。当時は現代のようにインターネットなどが無い時代であり、業界に関する情報は新聞や業界誌、口コミなどによるところが大きかった。専務は勤務時間はもとより帰宅後も隙間時間に業界紙などを積極的に購読し、会社だけではなく自宅でも日々勉強を続けた。自分が学ぶことが会社のためになることを楽しんでいたようでもあり、取引先と応対するためにはある程度の知識が必要という事情もあった。
近年では「ワーク・ライフ・バランス」という言葉が定着しつつあるが、当時の黒田家においては、虎一も和美も「ワーク・イズ・ライフ」という状況だった。仕事をすることも生活することも同じ線上にあった。
「稼ぐ、働く、楽しむ、楽しませる。そして生きていく」
何一つ分ける必要がなかった。生きることが働くことであり、楽しいことであったとも言える。このような和美の姿勢が取引先との何気ない話題を機に、相手からの情報を引き出す技術に繋がった。いや技術というものではなく人柄と表現すべきか。
「専務と話をしていると、つい色々と教えたくなる」
そう語る取引先の方が複数いたとも伝えられている。もちろん和美が得た情報が取引先に役立つことも多いことから、教えつつ教わるという相乗効果を生み出していたのだろう。
この頃のスポーツ界ではプロ野球が「巨人軍」を中心に隆盛を迎えていたが、野球界では
「名選手、名監督にあらず」
という格言も生まれた。そういう意味で言えば和美は選手(職人)としての実績は皆無であるが「名コーチ」としてその手腕を発揮していたとも言える。
社長となった虎一は、良くも悪くも「損得勘定」には少し疎い存在であった。「無欲」と言っても良いくらい「利」に対しては欲を見せなかった。虎一を慕う弟子たちも似たような精神を持っていたようである。そんな虎一が捨てられない欲が「意欲」だった。
「もっと良い仕事」「もっと面白い、難しい仕事」ということについては貪欲だった。和美はそんな気持ちを引き出すかのように、
「こんな素材もあるらしい」
「この設備があれば、こんな仕事ができる」
「こうすると作業効率があがるのでは」
と現代でいうところの多角化、高度化・専門化、事業拡大などを虎一に提言し、企業価値を高めることに成功していた。その背景には帝国紡績 大高、西邦銀行 田中、三井工業 三井などからの情報提供や助言も大きかった。彼らの窓口となる和美は様々なことを学び会社のために活かした。
そして和美のコーチ力は、社長だけではなく従業員にも効果を発揮した。柳沼を筆頭とする弟子たちが、社長であり師匠である虎一に「言いにくい話」がある場合に、相談を受けるのが和美の大きな役割の一つだった。
「あなたが『おかしい』と感じたのなら、その感性を大事にしなさい。社長が教えたことが全て正しいとは限らないの。『おかしい』と感じることができる感性は、あなたの武器よ。
挑戦した結果少しくらい失敗したっていいじゃない。怪我とか生死に関わるようなことは駄目だけど、材料を少し使うくらいは大丈夫。社長に話をしておくから試してごらんなさい。少し意見したくらいで社長は怒ったりクビにしたりしないから」
和美に相談した後、虎一に意見や提案した弟子たちも多かった。虎一は従業員の提案を喜び、和美からの提言を尊び、結果として黒田製作所は翔ぶがごとく、乗算式のような成長を果たすことができたのである。
(第7話 おわり)
第1話
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