【創作】黒田製作所物語 第10話 虎娘
美希はいきなり代表取締役社長に就任することなく、柳沼に続く二人目の常務取締役に就任した。和美は少し不満そうだったが、美希としては社長に就任する前に常勤の社員として会社の現状を把握したかったのである。そして一ケ月も過ぎないうちに会社に対する自分の認識が甘すぎたことを痛感した。
和美に相談しても全面的な共感を得ることはできなかったが、柳沼は表情を曇らせ
「やはりそう感じますか。申し訳ありません私の力不足です。気づいてはいましたが、どのような手立てをすれば良いのか、手が付けられずにここまできてしまいました」
絞り出すような声で美希に謝罪した。
(なるほど、だから柳沼常務は『会社の未来を描けない』と言っていたのね)
経営が安定していることもあり外から見ただけでは気がつきにくい状況だったが、近づいてみると黒田製作所は「老舗病」に罹患しているように見えた。
「うちじゃぁ昔からこうなんだよ」
加藤を中心としたベテラン職人たちの間では、経験や口伝による前例踏襲の意識が強くなりすぎていて顧客はもとより、現状と未来が見えていない者が多いように見えた。これまでの経験と実績により培われた技術はあるが、ガラパゴス化していると感じる部分もあった。職人の中には新しい技術を取り入れて技術を高めようとして努力をしている者もいるが職人ごとに温度差があり、見ている方向がバラバラで組織を軋ませていた。さらに職人と事務員との間に溝があるようにも見えた。職人たちが事務方を食わせてやっているという意識が強すぎるようだった。
(私にものづくりの技術は無いけれど、人づくり組織づくりはできるはず)
父が残し、母が継いだ経営理念を想った。
・顧客第一主義
・妥協を許さないものづくり
・和を大切に
(ごめんね、お父さん。和を乱すかもしれない。けど私が嫌われてもいいの、社員から反発されて社長になれなくてもいいと思う。けど、会社を良くするために、私の顧客である社員たちのために妥協はしたくないの。お父さんとお母さんが創りあげた経営理念を具現化して、肌で感じることができるような会社づくりに挑戦させてね)
虎の娘は、やはり虎だった。
難しい現実を前にして更なる意欲を高め、改善のための行動に移した。
最初は微風のような小さな動きだった。入社三年目、一番若い女性事務職員の小沢を会議室に呼び出した。ノックの音に続き緊張した表情の小沢が静かに入室してきた。
「緊張しなくて大丈夫よ、小沢さんが失敗したとかじゃないから。ちょっと相談したいことがあるの」
嘘偽りがない本音だった。和美から経営のことを学び、職人としての技術は柳沼常務や加藤にお願いする。だけど、それは過去からの蓄積。未来を創るためには「若さ」という視点が必要だと感じ小沢に期待していた。
「率直に本音を聞かせて欲しいの。小沢さんは仕事をしていて楽しいとか面白いと感じてるかしら」
小沢はきょとんとした表情を浮かべた後
「楽しいかと言われると正直難しいです。職人さんたちは『ものづくり』で、色々な製品として形に残りますけど、事務は基本的に同じことを同じように繰り返すだけで何も残らないですし、売上に貢献できる訳でもないですから。もちろんお給料をいただいていますから特に不満ではないです。けど、何て言うか、何かそんな感じです」
一言ずつ自分の思いを絞り出すようにして答えた。
「教えてくれてありがとう。私ね、皆に仕事を楽しんで欲しいの。そのために皆と色々なことに挑戦していきたいと考えています。若い小沢さんが会社に対して感じたり考えたりワクワクすることが、これからの会社のためになる気がするの。だから一緒に考えて、一緒に挑戦しください、お願いします」
美希は立ち上がり頭を下げた。
「黒田常務、止めてください。そんなことしなくても、ちゃんと考えますし、仕事をしますから」
小沢は両手を前に出して大きく手を振った。
「ありがとう。じゃぁ、今、私なりに考えていることを相談していいかしら、小沢さんも感じるままに教えてね」
美希は満面の笑顔を浮かべ、小沢と二時間近く意見を交わした。
美希は和美や柳沼とも相談しながら会社としての研修体制を充実させることとし、職人・事務員を問わず、座学を中心として基礎から学び直す機会を設けた。一定のレベルの職人には外部研修など、より高度な研修機会を設けるとともに資格取得や技術競技会参加への支援、技術の承継のための社内講習会など直接的な利益に繋がらない、ある意味では社員の負担が大きくなるような事業を次々に展開させた。
並行して社員が自分の意見を伝えやすくする体制の整備、会社としての情報発信機能を高めるため、自社のウェブサイト開設やメールマガジンの発行にも取り組んだ。さらに中高生の職場見学やインターンを積極的に受け入れ、未来の人材育成にも取り組みを進めた。これらの新しい事業を展開するにあたり、小沢はパソコンの技術や外部組織との交渉など、事務的な面で強く美希をサポートした。
美希が常務に就任してから数ケ月が経ったある夜、柳沼は加藤を飲みに連れてきた。料亭というほど高級ではないが、居酒屋にはない落ち着きと格式がある「割烹岩水」の個室で、柳沼と加藤は向い合せに座った。
加藤は生ビールを一気に半分近く飲み干すと、ジョッキをドン!とテーブルに置き口火を切った。
「柳沼さん、最初に面白くない話を一回だけさせていただけませんか。酔ってからする話じゃないので、少しだけ話をしたら終わりにしますから。よろしいですか」
柳沼は静かに頷いた。飲みに連れてきた意図を汲み取っていることに安堵した。
「ありがとうございます」
加藤はもう一度ジョッキを呷り空にした。
「大恩ある先代社長の娘というのはわかります。大株主の一人というのもわかります。けどです、けれどです。会社を支えてきたのは、支えているのは、俺たち社員じゃないですか。俺たちが汗をかき、泣き泣き仕事して稼いでいるんですよ。取引先の無茶に堪え、頭を下げ体を張って自分たちの給料どころか、会社の設備資金や役員、事務員の給料を稼ぎ出してきたじゃないですか。なのに、よく会社のことを知りもしない、偶に冷やかしに来ていただけの女が常務取締役ですって。柳沼さんと同格ですって、俺には納得できないです。俺には信じられないです。
先代社長の一番弟子として三十年以上も会社を支えてきたのは柳沼さんじゃないですか。こう言っちゃあ何ですが、もっと給料の良い職場への引き抜きもあったのに断って会社に残ってくれたじゃないですか。俺だって柳沼さんが居ると思えばこそ、この会社を辞めずにいた部分があります。それはいつか、柳沼社長の下で一緒に仕事をしたいという気持ちがあったからです。
「技術の黒田」という名は虎一社長から柳沼さんにバトンを渡されたんです。和美社長でもなければ、美希常務でも無いんです。そして俺はそのバトンを、そのバトンを受け取るのは俺でありたいと願い腕を磨いてきました。それなのにトンビに油揚げじゃないですけど、いきなり横入りした美希常務に社長の椅子を取られたんでは、腕を磨いた甲斐がないです。
あの方何がしたいのかわからないですけど、今から社長気取りで溶接技術の基礎研修だ、ポリテクセンターだかポカリスウェットだか知らないですけど、外部講師による実技講習だなんて余計なお世話です。俺らは黒田虎一直系ですよ。あげくに今度は高校生のインターン受け入れだなんて利益にもならないような負担ばかり現場に押し付けて、俺らの話は聞きもしないで、事務員を抱き込んでやりたいようにやりやがって。
ここまで我慢してきましたけど、今度『提案』なんてふざけたことを言いやがったら、職人の代表として美希常務の解任を要求します。あっちが虎の一族なら、こちとら『虎退治の加藤清正』ですよ」
加藤の目は座っていた。柳沼はジョッキを口にすると、インターフォンで二人の二杯目をオーダーしてから加藤に向き直った。
「俺を慕ってくれること、会社のために怒ってくれること有難い、礼を言う。お前が正直にそう言ってくれることを感謝している」
柳沼は穏やかな表情で頭を下げてから続けた。
「加藤、お前が会社を好きなこと、誇りに思っていること、これまでのことを大事にしたいと考えていることよくわかる。俺も一緒だ、そして、美希常務も一緒なんだ。だから俺は美希さんにお願いして常務に就任してもらった。これからの黒田の発展には加藤が工場長になり美希社長を支えるという二人が必要不可欠だと考えている。お前が美希常務に意見を言うのも良い、無理に仲良くしろとも言わない。ただ、一つだけ心に留めて欲しいことがある。
『顧客第一主義』だ。
お前がお客さんのために考えていてくれるのか、その意見がお客さんのためになるのか、その精神(こころ)を、真ん中に置いていてくれればそれでいい。これからも加藤らしくいてくれよ」
追加のビールが運ばれ、二人がビールを口にして会話が途切れた。
「美希常務は、顧客第一主義を理解していると思いますか」
酔うほどには飲んでいないはずの加藤の目が、少し虚ろになっていた。
「理解も何も、お嬢はそれしか考えていないだろう。顧客のため、社員のためと思えばこそ、社員に嫌われる覚悟をして皆に提案していると俺は感じている。顧客のためにと、言いにくい厳しい提案をするときの腹のくくり方は、師匠とそっくりだよ」
師匠を懐かしむ笑顔を浮かべた柳沼とは対照的に、加藤は苦い表情を浮かべた。
「ビールは体が冷えますね、次は日本酒を頼んでもいいですか」
「みりんでも構いやしないぜ。それとも群馬の酒でも頼もうか」
加藤は何を言われているのかピンとこなかったが、その後は食事と地酒を味わいながら、穏やかに時を重ねた。
その後も美希からの提案に対する古参社員の反発は続いた。あからさまに美希の意見や行動を否定する者もいた。加藤が職人の代表として意見を取りまとめ、撤回を求めることもあったが美希は容易には引かず、職人たちへの理解を求めた。
(考え方に違いはあるかもだけど、社員たちも根っこには黒田製作所を愛する気持ちがあり、良い仕事をしたいと考えてくれているはず)
美希はその想いに賭けた。美希が提案した事業は数年をかけながら社内に浸透し、経営理念とともに、新たな「黒田スタイル」として積み上げられていった。
和美と柳沼が第一線から勇退し、美希が代表取締役、加藤が工場長に就任することが発表された時、社内は大きな歓迎ムードに包まれた。
黒田製作所は、後数年で創業五十周年を迎えようとしていた。
(第10話 おわり)
第1話
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