【創作】黒田製作所物語 第8話 新生
黒田製作所は誕生してから二十余年に渡り、繰り返される好景気・不景気の波を乗り越えて成長を続けてきた。
成人した一人娘の美希は看護師として自立した後に県外へと嫁いだ。
そして黒田商店創業時に焦土であった町は、区画整理が行われ道路や水道などの社会基盤が整備され、都市化が進むことにより商業施設や個人住宅を中心とした賑やかな市街地を形成していた。
美希が嫁ぎ先から帰省することを和美はいつも喜んでいたが、ここ一~二年に限って言えば喜ぶというよりも、美希の帰省を切望している様子であり、真っ先に二人の話題に上がるのは美希や孫の生活のことではなく抱えてしまった黒田製作所の懸案事項のことだった。
『工場移転』
住宅街にある鉄工所の黒田製作所は、現代では異端の存在になっていた。火災や交通事故の懸念、騒音など近隣からの苦情が寄せられることが増えていた。
「後から来た連中に文句を言われる筋合いはねぇ」
と虎一は嘯くものの、現状を良しとしていないことは十分に感じられた。また嬉しい悩みとも言えるが、会社が堅調に成長を続けてきた結果、設備や製品の大型化や従業員の増員を続けてきた。
更に会社の規模を拡充する必要性が生じていたが、現在の敷地でこれ以上の増設は不可能だった。
狭い工場、狭い周辺道路などから生じる作業工程の非効率化も顕著になっており、工場移転が喫緊の課題となっていた。
「工場移転については専務に一任する」
という虎一の言葉により、和美が中心となり移転先の候補地や新設する工場の設計などについて情報を収集し、柳沼常務や銀行などと相談をしているものの、和美が本音で本気で相談できるのは美希だけだった。このため美希が帰省する度に相談を受けるというか、逆に移転先として検討したい物件が見つかると
「美希、近々郡山に来られない」
との連絡をするようになっていた。
娘として母の役に立つことは嬉しいことであり、現地調査と称してニ人でドライブすることは楽しみなことでもあった。
必然的に美希が会社の経営状況について詳細に確認するようになると、腹立たしい事実に気がついた。郡山市の税金の高さである。数年前から社外取締役として会社の経営状況をある程度は把握し、公課租税に対しても真摯に向き合っていたが、これまで他自治体と税金について比較したことは無かった。
今回、移転先の情報を収集する中で「都市計画税」と「事業所税」という税が、郡山市だけで課される税金であることを始めて認識したのである。郡山市外に移転すればこの税負担から解放されると考えると、前向きな気持ちで市外の候補地に向かうことができた。
また工場移転を考えた場合、近隣の苦情、税負担からの解放、新工場で設備投資、効率化などのメリットに加え、他自治体には土地の安さというメリットがあった。住宅需要が見込まれる現在の工場敷地を売却することにより、新工場の敷地・設備投資の費用をある程度賄うことができる見込みである。黒田家も含め郡山市内に居住している従業員が多いことから、通勤に要する負担が増加することだけが懸念された。
しかし孟母三遷の故事にあるとおり、適地というのはなかなか見つからなかった。他社から見れば「今までの利便性が高すぎた」ということになるが、どうしても今の敷地と比較した場合に、広さと値段は申し分なく通勤圏という条件は満たすものの、「電気」「水道」などのインフラが十分ではない物件や、敷地は平たんだがアクセス道路に難があるなど、工場用地として充分に満足できない物件ばかりだった。
そんな折、和美のアンテナが郡山中央工業団地の一画についての情報を受信した。敷地面積8000㎡、高速道路からのアクセスは良くないが、幹線道路は利用しやすく、郡山市内の工業団地の中では特段に利便性が高い。和美から送られた資料を見た美希は、電話で
「高すぎるし、広すぎるよ」
と声を発した後、言葉が続かなかった。
桁違いとは言わないものの、想定してきた移転費用とは大きく異なる。事業が堅調とは言え、借金のリスクはなるべく小さくしたい。ただ和美が小さな声で
「一応、一緒に見にいってくれない」
と発した言葉には
「いいよ」
と応えた。母と外出することには異論はない。
このようなやり取りを経て、和美と帰省した美希が出かけようとしていることに気づいた虎一が
「せっかくだ、みんなで昼飯でも食うか」
と同行を申し出た。美希が記憶を辿ると、三人だけで外出することがいつ以来なのかは思い出せなかったが、素直に嬉しく感じた。
和美が運転する車は、自宅から十五分で阿武隈川を越えて郡山中央工業団地に入った。工業団地にはパナソニックやクラリオンなどの大企業の工場が数区画、そして地元の中小企業が多く立地しており『ザ・工業団地』の様相をしていた。大企業の集積には、明治以来続く国策の影響があることを三人は知らず、ただ地元を誇らしいと思うだけだった。
工場移転の検討を始めてから、山間部にある工業団地や工場敷地を視察してきたため、市街地からほど近い場所にこのような広い工業団地が存在していることについては少し不思議な感じがした。
「ここら辺は、昔は海軍の飛行場だった」
美希の方を見ることなく助手席の虎一が呟いた。その目に映るのは工業団地なのか、戦中の飛行場の風景なのか伺い知ることはできなかった。
(現在の景色から飛行機が飛ぶ姿は想像できないけど、お父さんは飛行機が飛び立つ風景を見たことがあるのかも知れない)
美希が考えていると車が道路から駐車場に入り停車した。
販売区画に立つと、周囲に大きい工場があるためか広いという印象は受けなかった。
「近いのねぇ。通うのに助かるわね」
「買えないでしょう、こんな高いところ。しかも今の敷地の3倍以上あるのよ」
和美の感想に対して美希がダメを出す。近くて便利なことは否定できないにしても、経営を考えればリスクが大き過ぎる。
一陣の風が三人を優しく包んだ。
「いい風だなぁ」
青空に手を届かすかのように、大きな背伸びをしながら虎一が呟いた。近くを阿武隈川が流れているためか、工業地帯とは思えない爽やかな風だった。昔より小さくなったその背中を見つめる美希の心の中で、ストンという不思議な音がした。
「移転先については和美と美希に任せるさ。俺は仕事をするだけだよ」
(仕事以外は不器用なお父さんは、自分が意見を言うことで周囲が盲目的に進んでしまうことを心配していたのかも。自分の工場ではなく「みんなが働く場所」と思えばこそ、従業員や自分が闊達に意見を寄せることができるお母さんを中心に、候補地を検討させていたのかも知れない。自分が引退することを視野に新しい時代を拓くのは残された者の務めということを考えていたのかも。けど、お父さんの本音は……)
「お父さん、郡山って、良い街だよね」
父の背中に声をかけた。
「おぅ、俺はここしか知らんが、良い街だぜ」
(俺が生まれ育ち仕事をして、和美と出会い美希を授かった場所だ。大高さんや三井さんともこの街で出会った。他の土地は知らんが、ここが、郡山が好きだ)
風が虎一の声なき想いを美希の心に届けた。隣を見ると和美が優しく微笑んでいた。
(お母さんもお父さんと同じ想いなのだろうか)
虎一に視線を戻すと、その背中越しにビジョンが浮かんできた。
敷地の奥に工場、事務所は入口付近の東側、製品を積んだ大型トラックが通る傍では従業員の笑顔が溢れている。父は工場、母は事務所でそれぞれの役割を果たしている。幻のはずなのに不思議なくらいに具体的な未来予想図だった。
(ここで働き稼いで、税金を納める)
「お父さんはまだまだ引退できないね。新工場でも頼りにしているから。ね、お母さん」
土地代をどのくらい値切ることができるか、金利が有利な融資を引き出せるか、病院での有給休暇がどのくらい残っているか、課題はある。
けれど、黒田製作所はこの郡山で戦うことが生きる道なのかも知れない。
「新工場に向けて、お母さんもみんなも忙しくなると思うけど、一緒に頑張ろうね」
振りむいた父の笑顔を見て美希は思った。
(もしかしたらニ人は何度かこの土地を見に来ていたのかも知れない。ニ人で語り合った新工場の姿が、未来の姿として心に伝わってきたのかも)
「昼は、三國で鰻にするか」
虎一が弾む声で提案しニ人は賛同した。三人で老舗のうなぎ屋に行くのは、美希に子どもができたことを報告した時以来になる。虎一が好きな店だが、何かを達成した時にしか行こうとはしない店でもある。
和美に続いて虎一と美希が車に乗り込み、笑顔の三人を乗せた車が、新しい舞台に向けて走り出した。
(第8話 おわり)
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