【創作】黒田製作所物語 第3話 成獣
創業して十年目を迎えていた黒田商店の入口にある引き戸が引かれると、室内の熱と入れ替わりに午後の涼しい空気が入り込む。中を覗き込んだスーツ姿にあどけない顔を乗せた男は、虎一の姿を確認すると軽く頭を下げた。
「近くまで来たので顔を見せにきました」
その声は明るく、人を和ませる響きを含んでいた。
「兄ちゃん良い時に来たな。ちょうど一服していたとこだ。かぁちゃんは出ているけどお茶ぐらい淹れてやる。まぁ座れよ」
虎一に愛想よく迎えられた西邦銀行の田中は、礼を言いながら中に入り虎一の隣にある丸椅子にチョコンと座った。虎一は湯飲みに入れたお茶を勧めながら話しかけた。
「丸山課長さんは現場回りに飽きたから、兄ちゃんが一人で回らされているのか」
「課長が飽きたということではないのですが、今日から一人で回らせていただいています」
「たかだか三ケ月で一丁前に営業か。うちじゃぁ片付け担当だな」
言葉だけを聞くと田中を揶揄しているようにも聞こえるが、声色には田中に対する好感が含まれていた。
「まだまだ未熟ですが、一丁前を目指して修行してまいります」
「言うことは殊勝でいいが、俺は借金もしたくないし法人成りも必要ねぇ。悪いが兄ちゃんの修行には役に立てそうもねぇな」
田中は出されたお茶に口をつけると、大きくうなずいた。
「はい、親方の考えは存じています。国民の三大義務ですよね」
丸山課長が虎一に法人化を勧めた時のことを思い出した。
『新しい憲法では、勤労、納税、教育を受けさせる義務っていうのがあるらしいじゃねぇか。俺は自分の腕で稼ぐ、弟子たちに稼げる腕を仕込む、そして稼いだ分だけ税金を納める。子どもには教育を受けさせる。それができればいい。法人にして借金して設備をドーン入れて大きく稼ごうとか、税金を安くしようとかそういうことは必要ねぇのさ。空襲後の焼け野原からこの腕一本で稼いできた。人様のお役に立てる、国民としての義務を果たせるだけで十分だ』
丸山課長がしつこく、こと細かに法人化のメリットを説明しても、頑固な職人を口説き落とすことはできなかった。この時、損得を越えた職人としての矜持を持つ虎一に感動した田中にしてみれば、法人化を勧めるつもりは無かった。単純に一人で営業することが許された嬉しさを伝えたくて訪問しただけである。
「親方の職人としての考えはごもっともです」
「おう、それならこんなところで無駄に時間を過ごすより、よそを回った方がいいんじゃないか」
「親方に学ばせていただきたいのです」
「そんなに法人成りさせたいか。そんなに借金をさせたいか」
言葉は少し厳しめだが虎一の顔は笑っていた。新しい玩具を転がす猫のような、楽し気な雰囲気を醸しながらさらにお茶を注いだ。田中は緊張した面持ちで応えた。
「法人化は、して欲しいです」
「仮に法人成りしても、金は別なところから借りるぞ。他にも付き合いがある。お前の成績にはできんなぁ」
虎一は、わざとらしいタメ息をついた。
「僕の成績・・・なれば嬉しいですけど、そんなことより、僕が法人化をお勧めしたいのはお弟子さんたちのためです。法人なら「社会保険」という制度が導入できます。僕が銀行に入り親戚達から言われたのが『社会保険があるからよかったね』という言葉でした。お弟子さんたちにも安心して働いて欲しいです。税金対策とか設備投資の融資とかはその後の話です。うちがメインバンクじゃなくてもいいです。ただ、お弟子さんたちのためには設備投資も有りではないでしょうか。腕のいい職人に良い設備が整えば鬼に鉄棒です。お弟子さんたちの成長、将来のためにも良いと考えています」
言い終えた田中はお茶を一気に飲み干し息をついた。今日は言うつもりが無い話だったが、黒田商店のことを思う度に心に浮かぶ正直な気持ちだった。
叱られると考えているのか手を震わせ緊張した田中に、虎一は駆け出しの頃の自分の姿を重ねていた。ただ直向きに、ただひたすらに顧客のことを考える。顧客のために何ができるか何をしなければならないか。今もその気持ちは持ち続けているつもりだったが、仕事を重ねるにつれ仕事を失うリスクを恐れてしまい、田中のように損得を超えて顧客に意見する覚悟が少なくなっていたかも知れない。
顧客を思う気持ちには業種も年齢も関係ない。以前の虎一なら顧客に提案する時は常に自分の利より相手の利を考えていた。顧客の機嫌を損ね仕事を失う覚悟を腹に飲んでいた。若い銀行員 田中もそうなのだとしたら、話に乗るべきなのかもしれないと感じながらも、職人として一筋に積み上げてきた誇りが壁となり、素直に同意できなかった。
「兄ちゃん、語るねぇ」
虎一は後ろを振りむき、作業場にいる弟子たちに大きな声をかけた。
「この兄ちゃんが会社を作れと言うが、お前ら会社員になりたいか」
「会社員って言っても、やる事は変わらないですからどっちでも良いです。俺らは腕を磨くだけです。ただ、家族はちょっと喜ぶかもしんないです。後、自前の新しい機械はいじってみたいです。帝国紡績とかよそ様から借りた時はどうしても遠慮しますから」
一番弟子の柳沼が答えた後に声はなく、各自が作業を続けた。同感ということなのだろう。
(こいつらの将来のためにも新しい設備を入れるべきか、法人成りすべきか)
脳裏に大高の顔も浮かんだ。
「虎、法人にしろよ。お前の実績ならうちの会社からいくらかの金を出してもいい。法人ならもっとデカい仕事も預けられる」
師匠とも親とも慕う大高も法人化を勧めてくれる、弟子たちのためにもなる。和美も法人のメリットを理解して希望していた。しかし我儘かも知れないが、一人の職人として生きてきた、腕一本で稼いできた姿勢を崩したくないとも感じていた。
「兄ちゃんお前の気持ちは聞いた、ありがとな。が、今日は帰れ。しばらくこの話は無しだな」
虎一が作業場に戻る素振りを見せたところに、四歳になる娘の美希が入ってきた。
「今日はここで遊べないぞ。父ちゃん、ちょっと頑張んなきゃならんから家に戻れ。ところで美希、この兄ちゃんが父ちゃんに『社長』になれって言うんだ。美希は『親方』と『社長』、どっちがいい」
虎一が諭すように尋ねると間髪を入れずに応えた。
「社長がいい。大人になったら美希も社長になる」
あどけない笑顔で応えると、すがるように虎一の足にしがみつき頬を擦った。虎一は抱き上げその背中を優しくトントンとしながら考えた。
(妻を得て娘を授かり家庭を持つことで、仕事も生活もそれまで以上に張りができた。会社を興して看板を背負うというのも職人の甲斐性なのかもな。これまでは腕一本を誇りにしてきたが、今は後継者もいる。ということなら、親方で社長に挑戦するのも面白いのかも知れない)
『もはや戦後ではない』
近頃ニュースや新聞に踊る言葉が胸に浮かんだ。戦後十年の節目であることが胸を重くした。一人前の職人になることができれば、窮屈な会社なんてものは必要無いと考えていたが、時代は変わりつつあるのかも知れない。必要以上に儲ける気は無いが家族と従業員の幸せは、虎一が強く望むものでもある。
「美希、家に戻るぞ。田中君、聞いたとおり我が家の御意見番は親方より社長が良いそうだ。君は良い時に来たな。次はかぁちゃんのいる時に、法人成りに必要な書類を持ってくるといい」
娘を抱え外に出る虎一の背中に、田中は深々と頭を下げた。
自分はまだまだヒヨッコでしか無いけれど、この親方のためにも成長していきたい。親方の力になりたい。言葉には出さなかったが歯を食いしばりながら決意を深く心に刻んだ。
(第3話 終わり)
第1話
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