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温かな暗闇に身を鎮める

ナマステ!魔タリカ779歳魂のR指定です。
今週もインドからお届けしています。OSHOメディテーションリゾートのあるPUNEでは、ほぼ18年ぶりの友人にばったり会ったりして、魂の故郷感が満載です。

前回お伝えしていたマニーシャのTransition のコースを終えて、今やっと一息ついて羽を伸ばしたり仕事したり瞑想したりの毎日ですが、目下の私の学びは「スローダウン」そして「余裕とは何か?」です。なんでも目の前にあることに全力で取り組もうとしてきましたが、それでも必ず取りこぼしや忘れ物があって、思った通りにはならないんですからね!
人生をさらに楽しいものにするのに「何をしたらいいのか?」というより「何をしなくてもいいのか?」ってことなんですかね。
働きすぎはダメよ、やっぱり。

昨年マニーシャの来日時に個人セッションを受けたのですが、
「今何を話したい?」
「私はどうやってこの先歳をとっていったらいいのか、見当もつきません。」
彼女のシワが刻まれた優美な笑顔と静かな問いかけに、思わずに口をついて出た言葉でした。
彼女は「来年1月末にPUNEでコースをやるのでくれば?」
今回はそんな経緯で久しぶりのグループワークへの参加でした。


参加者はほとんどが私よりだいぶ年上の叩き上げサニヤシンで、70代を中心に88歳まで!日本では海外に出て瞑想してダンスして自分のプロセスを深めて、なんてことはあまり考えないんじゃないでしょうか。
老人はできるだけお金を使わないように、清く正しくおとなしく、誰かに迷惑をできるだけかけずに倹しい暮らしをするのが一般的に推奨される在り方ですよね。

日本は長寿国ですが、老後が早くやって来て引退を余儀なくされてしまうように思えます。優雅で素敵な大先輩達も確かにいるけど、そんなに多くはないですよね。

今現在は私の年齢だと大抵はどこへ行っても一番年上ですが、ここではBaby(英語も含めて)で、ぴよぴよのバブバブ。
年上の姐さん達に随分とお世話になり、大いなる安心感の揺かごに揺られて、たっぷりと魂の滋養をもらいました。

私は母親を早く亡くしているので、年上の女性達に承認されること、面倒を見られること(ちょっとした小さなことでも)が、ふとした時に感じる寂しさや、行きすぎた自立心が深く癒やされていくのを実感しています。

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海外の老後は70過ぎにやってくるようですが、ある程度、「死」も視野に入ってきて人生をどのように仕舞うのか、はっきりとは言葉にならなくても、うっすらとその空気感が漂って来るようでした。

プログラム中にあったダークメディテーション、暗闇の瞑想では死とはどんな状態なのかを多少なりとも体験できたように思います。
上も下も横もわからないような暗闇では、自分の体の輪郭も無くなって、隣に人がいるのはわかっているけど、まるで誰もそこにいないかのように独りでいて満ち足りいるけど、どこからともなく囁き声が響き渡ってきて、大勢の存在がそこにいるようでした。そんな中で、私の手はオーロラのような光が降ってくるのに合わせてひらひらと踊り出していました。

闇の中では体温が上昇して、汗ばんでくるほどに生暖かく、体は輪郭を失って、自分は純粋な意識体になったような、とても不思議な感覚。肉体を脱ぐという感覚の一端を味わったのかもしれません。死んだことがないのでわからないんですが。
瞑想の終わりに光が戻って来ると、動かすのがやっとのずっしりと重たい体を引きずりながら家路につきました。
これが肉体の中に入るという感覚なのかもしれません。魂、意識だけになった私は本当に軽やかだったんですから。


光=陽=生には、自己実現や成長があり、
暗闇=陰=死は暖かさと安らぎをもたらす、魂の休息です。

私達は未知の領域である「死」について多くを語る言葉を持たず、その領域に入っていこうとする人たちに対して「生」にとどまるよう説得するかのような態度を取り続け、死に行く人たちの旅立ちを邪魔立てしていることをちゃんと認めることができたら、生はもっと豊かなものになるんじゃないでしょうか。枯れて大地に戻ろうとする生命に対して、しがみつく体力を使わないでいれば、純粋な意識になること、瞑想にスペースを明け渡すことができるんじゃないかと思います。

だから瞑想者にとって、死への旅立ちは新たな次元への旅立ちで、祝福でしかありません。
人は毎日の眠りの中で死んでいるといいます。
眠りに落ちていくことは、死の世界に入っていくこと。
眠りの中で目覚めていることは最も難しいYOGA(修行)で、瞑想です。
日本では明恵上人が残した夢記が、さまざまなことを教えてくれます。

「私が達成したことは何でも霧の中に消えてしまう」と知ることは、失われないものを求める新たな探求の始まりだ。
 世間とそのすべての成功に幻滅したとき、人は初めて精神的になる。
 あなたはまだそれに気づいていないかもしれないが、悲しみのカーテンの後ろでは新たな歓びがわき起こってきている。新たな探求、新たな冒険、新たな生、新たな在り方の歓びが。
 「これに終わりがあるのでしょうか、それとも終わりなどないのでしょうか?」
 心(マインド)には始まりがあり、心には終わりがある。自我(エゴ)には始まりがあり、自我には終わりがある。しかし、あなたには始まりがなく、あなたには終わりがない。そして存在の神秘に始まりはなく、あなたには終わりがない。
 それは進行中のプロセスだ。神秘につぐ神秘があなたを待っている。だからわくわくするし、歓喜を感じる。

osho.com

最近の私のグループでは、ミドルエイジクライシスが大きなテーマとなっています。このクライシス「危機」への向き合い方が、この先の在り方への深い洞察をもたらし、真の豊かな人生への扉となると思うからです。
健全な相互依存、助け合い、愛の交換、独り在ることと孤独の違いを理解し、そこに寛いで安らげたら、はじめて私たちは他者と共存できるんじゃないでしょうか。

そこに入っていくときこそ、性欲は最も御し難くスキップすることのできないテーマです。最近のニュースでも多数見かけるように、人生を崩壊させるほどの強大なパワーである性の扱いを学ばないわけには行かないのです。
「生と死」が一つの輪であるように、「性と死」もまた一つなのです。

だから、「愛されるために」何かをするという、エゴの願いに満ちたパートナーシップを求めて苦闘することよりも、もっと大事なことがあると思うのです。人生も後半になれば、エゴの願いに関わり続けて時間を無駄に消費するよりも、魂の真実へと真っ直ぐに歩いていきたいと思うのです。

Love♡

Tarika

2025 / 2月5日発行メルマガより



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