軍部の力を強めた二・二六事件
(承前)
凡太: 兵隊さんは命令に従うだけ。その命令を下す上の人間がおかしければ、狂った力が拡大されるわけですね。
クーデターを事前に察知していながら強く制止しなかった軍上層部の人たちや、天皇に「昭和維新」の詔を発してもらおうと動いていた人たちはどうなったんですか?
イシ: 荒木貞夫大将、真崎甚三郎大将、阿部信行大将、林銑十郎大将は予備役に編入された。川島陸相、戒厳司令官に任命された香椎浩平、侍従武官長の本庄繁も辞職後に予備役になった。ちなみに主謀者の一人・山口一太郎大尉は本庄の娘婿だった。山下奉文少将は歩兵第40旅団長に異動させられた。
凡太: 左遷で済んだんですね。
イシ: うん。それだけでなく、概ねみんなその後は出世しているね。
二・二六事件を受けて、岡田内閣は総辞職し、広田弘毅内閣となって、事件当時の陸軍次官、軍務局長、陸軍大学校長の退官・更迭、軍事参事官全員の辞職、陸軍大将の予備役編入をはじめ、3千人におよぶ人事異動などを行ったんだが、1年ももたずに解散。後任首相に宇垣一成が指名されたんだが、陸軍が反対して、復活させたばかりの軍部大臣現役武官制を利用して陸軍大臣を出さなかったために組閣ができず、林銑十郎内閣になった。
二・二六事件後に予備役にされた荒木、真崎、阿部、林の4大将のうち、林がまず首相になったわけだ。
その林内閣は4か月しかもたず、次の第一次近衛文麿内閣で文部大臣に就任したのが荒木貞夫。荒木は「皇道教育」をさらに強力に推し進め、挙国体制を固めた。また、近衛首相に真崎甚三郎を無罪とするよう頼み込んで、真崎は結局無罪となった。
阿部信行は太平洋戦争前の昭和14(1939)年に首相になっている。直後に起きた第二次世界大戦では不介入を打ち出したが、陸軍に反対されて首相を辞任した。
凡太: 二・二六事件で予備役にされた4人の大将のうち3人が、その後すぐに首相になっているんですね。
イシ: 二・二六事件の後、皇道派が粛清人事で追いやられ、統制派の天下になったと言われているけれど、すでに説明したように皇道派は直情型狂信集団、統制派は謀略派とでも呼ぶべきで、どちらも好戦的で、軍国体制の国家を作ろうとしていたことに変わりはない。
二・二六事件を制圧したのも結局は軍の力なわけで、二・二六事件以後はむしろ軍には逆らえない、下手すると殺されてしまうという空気が政治経済の世界を支配するわけだよ。
考えてもごらん、大正に入ってから二・二六事件までの首相経験者は15人。そのうち、大隈重信、原敬、高橋是清、浜口雄幸、犬養毅、斎藤実、岡田啓介はことごとくテロに襲われている。15人のうち7人、およそ半数だよ。岡田首相は人違いで義弟が殺されて生き延びたものの、原、高橋、犬養、斎藤は殺され、大隈と浜口は重傷。こんなんじゃ、誰も首相になりたくないよね。
広田も、自分もまた暗殺されてしまうのではないかという恐れから、反乱を起こした将校らを死刑にすることを陸軍に求めた。その際、陸軍の梅津美治郎らが「二・二六事件のようなことが二度とないように、軍部大臣には軍の内情をよく分かっている現役軍人を据えて監督させるべきだ」と、軍部大臣現役武官制の復活を条件を出してきて、渋々それを呑んだ、という見方もある。
軍の首脳陣が直情型狂信集団から謀略派に代わったことで、ますます国政が軍の思い通りに進むようになってしまったという皮肉な結果かな。
とくに残念だったのは、この事件が東条英機が台頭するきっかけとなったことだね。
東条はこのとき51歳で、関東憲兵隊司令官として満州にいたんだが、すぐに「断固制圧せよ」と電報を打っている。
また、内大臣秘書官長の木戸幸一が宮中と軍部統制派の東条や杉山元との間に立って、まめに情報収集をし、天皇を支えたことも、後に東条内閣誕生につながることになった。天皇は二・二六事件のときの木戸の活躍や東条の態度から、彼らを信頼するようになっていったとも思える。
そのへんのことはあまりにも複雑怪奇で、ここではこれ以上言及しないけれど、とにかく二・二六事件で、日本の軍国化は揺るぎないものになってしまったことは確かだ。
凡太: 政治家が軍にビビってしまったくらいですから、一般庶民も二・二六事件で軍を怖れたんでしょうか。
イシ: う~ん。そのへんも難しいところだね。
二・二六事件が起きたとき、東京では雪景色の中を兵隊が行き来して、あちこちで銃撃戦が起こったわけだから、当然最初は恐怖と混乱が広がっただろうね。でも、政党政治家たちの無能さ、腐敗ぶりや、財閥支配による貧富格差に不満を抱いていた庶民は多かったから、事件の内容を知った後は、反乱将校たちが訴えた「昭和維新」というシンプルなスローガンに共感した人たちもかなりいたことは事実だろう。「殺されたのは悪い政治をしていた連中だ」という空気もあった。何も分かってなかったんだね。
高橋是清なんかは、若いときの苦労したアメリカでの生活体験を経て、海外通、経済通の得がたい人材だったのが、軍事予算の膨張に抵抗していたために軍部に恨まれ、殺されてしまった。彼がいなければ日本は日露戦争に勝つこともできなかったというのはすでに学んだね。世界恐慌に対しても、金輸出再禁止、史上初の国債の日銀直接引き受け、国家予算による各地での公共事業推進による景気回復策などで、いち早くデフレの解消に向かわせた。そうした功績を多くの国民は理解できず、なんとなく財閥とつるんでいる悪徳政治家みたいに思い込まされていたんだろう。
特に農村部では、食べていくのも難しい毎日に疲れきっていて、なんでもいいから世の中がひっくり返るようなことが起きたらいい、みたいな、投げやりな気持ちから、反乱部隊を応援する者も多かった。実際には、軍事予算が膨れあがることで自分たちの生活が圧迫されていたのに、そういう経済の仕組みを理解できなかった。
一方、軍の暴走を危険視していた大学関係者、作家、新聞記者などのインテリ層は、今後は政治に口を出すようなことをすると命が危ないと感じて、どんどん萎縮していった。発言の場もどんどん規制され、減っていった。
第一次近衛文麿内閣で文部大臣に就任した荒木貞夫が「皇道教育」を強化したために、子供たちや若い世代は天皇のために命を捧げることが立派な生き方だという観念を刷り込まれた。その世代が太平洋戦争で次々に徴兵され、戦場に送り込まれることになる。
阿部定事件という「ガス抜き」
イシ: もう一つ、この年の5月に起きた阿部定事件という猟奇事件が庶民やメディアの注目を一気に集めてしまい、二・二六事件に対して深く考えることをやめてしまった、ということにも注目すべきかな。
凡太: 阿部定事件?
イシ: 東京・中野にあった鰻料理店の女中・阿部定と店主が、性交中に首を絞めて興奮し合うみたいなアブノーマルなプレイを楽しむ関係になったんだが、そのプレイがエスカレートして相手の店主が死んでしまった。
それだけならまだしも、定は店主の睾丸と陰茎を包丁で切り取って、その後、逮捕されるまで持ち歩いていた。
凡太: ええ~? なんですか、それは。
イシ: さすがに学校では詳しくは教えないか。
この事件をメディアは連日、センセーショナルかつ煽情的に書き立てて、人々はそうした記事を貪り読んだ。裁判が始まっても、メディアは「恋愛の果ての狂った悲劇」のような切り口で書き立てた。
凡太: この事件が二・二六事件とどう関係するんですか?
イシ: 二・二六事件は国の行く末を決めるような重大事件だったけれど、庶民にとっては真剣に意味を考えたりするには複雑すぎたし、怖すぎた。国家の意思に逆らうと自分の命も危なくなると思い知らされ、なるべく無関係な立場を保とうという方向に向かった。
そこに突然降ってわいたのが、とんでもなく刺激的な猟奇事件。メディアはここぞとばかりにこの事件を「誰もが深く考えずに消費できるエロス&ホラー娯楽」として提供し、庶民もそれをこぞって消費したわけだよ。
凡太: あ、大逆事件や甘粕事件などの社会主義者弾圧の時期に、社会主義者たちの不倫やゴシップが劇場化して映った、というのと同じですね。
イシ: そう。阿部定事件はもっと強烈に同じような効果を放ったことで「社会的役割」を持ったといえるだろうね。メディアが国民の「政治問題疲れ」の逃避先を提供したんだな。これは現代でもまったく同じだね。有名人のゴシップ記事が派手に報道される裏で、国家の命運を決めるような危険な法案をしれっと通していたりする。
阿部定事件という刺激的だけれど絶対安全なドラマを消費することで、国民は現実逃避し、社会に対する無力感やストレスを軽減できた。
軍もそれを利用した。二・二六事件の詳細については報道規制をしたが、阿部定事件の報道はむしろ解放した。
ちなみに、7月には上野動物園から黒豹が脱走するという事件も起きて、この事件も入れて、二・二六事件、阿部定事件、黒豹脱走事件が昭和11年の「三大事件」なんだそうだ。
黒豹脱走事件はなんの被害もなく、黒豹も無事捕獲されたんだが、そんな事件が二・二六事件と同列に「三大事件」なんてくくられたんだねえ。


こんな風に、二・二六事件は、直後に起きた2つの「取っつきやすい事件」が派手に報道されたことで、庶民の間ではしっかり検証する気持ちが薄められたともいえるだろう。なんとも情けないというか、気の抜ける結論だけどね。
二・二六事件については、一般には知られていないことが多いと思ったので、あれもこれもと掘り起こしていくうちに、ずいぶん長い説明になってしまった。
教科書では、統制派と皇道派の派閥争いで劣勢に立った皇道派の青年将校たちが、首相官邸などを襲い、軍拡に抵抗する高橋是清蔵相・斉藤実内大臣などを殺害し、皇道派系の軍部内閣の樹立を目指したクーデター……と、十数行くらいで説明している。
(略)昭和天皇は直ちにクーデタを鎮圧するように命じたが、陸軍は反日余りも動こうとしなかった。その後、ようやく戒厳令が出されて、鎮圧方針が決まった。こうしてクーデタは失敗し、青年将校たちは処刑された。
この結果、皇道派は壊滅したが、昭和天皇の陸軍への威信は十分ではなく、陸軍は事件の威圧効果を利用し、さらに発言力を強めた。岡田内閣はこの事件で倒れ、かわった広田弘毅内閣は、軍部の要求を入れて陸・海軍大臣現役武官制を復活させ、歯止めのない公債発行と増税によって膨大な軍備拡張計画を推進していった。
(山川出版社「新日本史 改定版」)
この山川の教科書の説明はその通りで、実にコンパクトにまとめていると思うけれど、やはり、背景や実相を探っていけば行くほど、当時の日本がどれだけでたらめな国情だったかが分かって、戦慄するよね。
この後も、日本が真珠湾攻撃をする昭和16(1941)年12月までの間にはいくつもの重大なポイントがあるわけだけど、この二・二六事件は、日本が壊れてしまう道筋を決定的にした、いわば、とどめを刺されたような出来事だったと思うよ。
もはや軍部の横暴を誰も止められなくなっている。軍の無謀さを止められるのは軍でしかない、という構図を二・二六事件は実証している。しかし、軍の内部でも、対米戦争を止めるだけの最低限度の良識のある軍人は排除されていくという流れが決定的になってしまった。
ここから先、太平洋戦争敗戦までの史実は、深く学び直すのが本当に憂鬱になる。なぜそこまで馬鹿なことがまかり通ったのか、ということの連続。
そんなわけで、長くなってしまったけれど、ここで今回の勉強会シリーズも一旦休憩としよう。次はいつ始められるか……太平洋戦争のことは本当に憂鬱なんで、勉強する気力がなかなかわいてこないし、私の寿命も持ちこたえられるかどうか怪しいんでね、約束はできないけれど。
凡太: そう言わずに続けましょう! と言いたいところですが、ぼくもどっと疲れちゃいました。日本の歴史って、こんなだったんだって知って。
でも、疲れても、知らなければいけませんよね。今の日本も同じような状況になってきているというのがよく分かります。
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現代人、特に若い人たちと一緒に日本人の歴史を学び直したい。学校で教えられた歴史はどこが間違っていて、何を隠しているのか? 現代日本が抱える…
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