コーチ物語 クライアント63「五人の侍」 第三章 見えない敵 その5
羽賀さんは三十分ほどでこちらに着てくれるということ。
羽賀さんを待っている間、テツと羽賀さんの間に何があったのかを唐沢さんが榊原へ説明してくれた。このときに羽賀さんの口からも聞かされなかった事実を一つ知ることができた。
「あの頃の羽賀はな、あまりにも優秀すぎたんだよ。会社のためになるのなら鬼のように冷酷にもなれたんだ。けれど一緒にチームを組んでいた由美のおかげで徐々に人の心を取り戻したんだよ。あ、由美ってのはそんときの上司だった畑田の娘だ」
「あ、確か羽賀さんと婚約されてたんだけど事故で亡くなったとか」
「あぁ。その後に羽賀は四星商事を辞めて桜島さんのところにコーチングの弟子入りをしたんだよ。そして今があるってわけだ」
なるほど。それで榊原さんを桜島さんのところへよこしたわけだ。
それにしても昔の羽賀さんがそんな人だったとは。優秀な人材だとは聞いていたが。
「羽賀さんを変えたのはなんだったんですか?」
私は素朴な疑問を唐沢さんに投げかけた。
「そうさなぁ。たぶん羽賀本人も気づいていたんだよ。このまま会社の言うようにしていたら、泣く人が増えていくって事を。それをあからさまに指摘してくれたのが由美だったんだ。でもそうなる前のあいつは何と戦っていたんだろうなぁ」
「見えない敵、ではないでしょうか」
そう言ったのは榊原さんであった。
「見えない敵って何ですか?」
「はい。私が東京で桜島さんから学んだことの一つに、見えない敵っていうのがありました。先ほどの羽賀さんの例で言うと、会社のためといいつつも実は目に見えないライバルをつくりあげて、それに負けないようにしようという意識が強かったんです。そのライバルは自分よりも常に前を走っている存在で、どんなことをしても抜かすことはできない。だからどんな場合でもがむしゃらになれるということです」
「なるほどなぁ。確かにあの頃の羽賀にはそんな感じがしたな。実際のライバルって誰もいないのに、何かにムキになっていたような気がしたよ」
「唐沢さんの言う通りなら、羽賀さんはそのまま行っていたらかなり高い確率で倒れていたはずです。これも桜島さんから聞いたことなのですが、そういう人は見た目は強いのですが粘りがないため脆くなりがちだとか。だから心のどこかに衝撃を受けてそれに耐えきれなくなるとぽっきりと折れてしまうそうです」
私はこのとき、頭の中で切れ味の鋭い刀を思い描いていた。一見すると何でも切れてすごい武器なのだが、何かの衝撃でそれが折れてしまうとつかいものにならなくなる。もし人間がそんな状態だったらどうなるのだろう。
「もし折れてしまったらどうなるんですか?」
私はその疑問をぶつけてみた。
「これも桜島さんが言うには、へたをするとうつ病になったりすることもあるそうです。今まで優秀だった方には特にその傾向があるとか」
「羽賀さんはそうなる前に気づいたんですね」
「いや、羽賀は一度そうなりかけたよ。けれどそれを救ってくれたのが由美であり桜島さんだったんだ。あのときこの二人がいなければ、間違いなく今の羽賀はいなかったな」
「えぇ。桜島さんも同じようなことを言っていました。だから桜島さんは羽賀さんに人の心についてかなり深く教えたそうです。羽賀さんはぐんぐん吸収してくれて、今では自分を追い抜いていると。逆に羽賀さんから学ぶことも多いそうですよ」
なるほど。しかし羽賀さんが競り合っていた見えない敵。これは今の四星商事にもいえることかもしれない。四星商事は事実上日本のトップ企業である。ライバル会社は存在するけれど、あえてそこと競り合わなくてもほとんどの市場では優位に立っている。しかし常にトップであることを背負わされて、私たちは日々こうやってがむしゃらになって働いているのだ。
そんな話しをしているときに、お店の扉がガチャリと開いた。
「どもっ! お待たせしました」
羽賀さんの登場である。
ジャケットにチノパン、背中にはリュック。自転車から降りてきたばかりなのか、頭にはヘルメットをかぶったまま。そのヘルメットをはずしながら私たちの席へ近づいてきた。
「榊原さん、こちらに戻ってきていたんですね。生田さんまでここにいるなんて。そして唐沢、おまえまでこの件に関わり始めたんだな」
「あぁ、おまえの彼女からのお誘いでな。まったくあの堀さんは人使い荒いからなぁ」
「ははは、堀さんらしいや。さて、概要は電話で聞いたけど、もう少し詳しい話しを聞かせてもらえますか」
羽賀さんは早速仕事モードに突入。詳細については唐沢さんが今までまとめたものを見せながら羽賀さんに説明してくれた。
「なるほど。ところでこんなに詳しい情報はどこから仕入れたのですか? 聞くと結構裏側のものまで含まれているようですが」
「あ、それならテツさんだよ。実はさっきまで一緒にいたんだけどな」
「テツさん、か……」
やはり羽賀さんもテツのことが気になっているようだ。
「テツはこの件についてはかなりいろいろと調べてくれたようです。もう前のようなことは起こしたくないという気持ちが強かったようですよ」
私はテツからくみ取った思いを羽賀さんに伝えた。
「うん、テツさんのその気持ちに今度こそしっかりと応えなきゃ。よし、じゃぁ目下の問題は紅竜会についてだな。しかし紅竜会そのものを防いでもモグラたたきか。となると抑えるべきは……」
羽賀さんは相関図が書かれてある用紙をしばらく見つめていた。一体どこを抑えればいいというのだろうか。
「なるほど。抑えるべきはここか」
そう言って羽賀さんが指差したところ。これは私たちが予想もしなかったところであった。
「羽賀さん、ど、どうしてここなんですか? ここは紅竜会とは全く無関係なところじゃないですか」
私は羽賀さんが指差したところを見てあわててしまった。なぜなら羽賀さんの指が示すところに書かれてあるのは
『第二都市プロジェクトチーム』
「はい、確かに一見すると紅竜会とは全く関係のないところです。しかしここを抑えることが今回の見えない敵に対して一番効果の高いところなのですよ」
見えない敵。さっきその話しをしたばかりだ。しかし先ほど出てきたその言葉と羽賀さんが言うものとは少し解釈が違うようだ。
「羽賀さん、もう少し詳しく話を聞かせてくれませんか?」
私たちのプロジェクトチームが今回の件にどう関わるのか。プロジェクトチームのリーダーとしてはそこをしっかりと把握しておかねば。
「なぁに、そんなに難しい事じゃありませんよ。生田さんのチームはとても優秀です。今回は会社のため、地域のためにと思ってこのプロジェクトをなんとか成功させようと皆さん動いているんですよね?」
「えぇ、その通りですが」
「だったらその叡智を結集させて、そこから新たな答えを引き出した方が手っ取り早いということです。チームのみんなは事態がこんな事になっているなんて知らないのでしょう?」
「はい。あ、いや、昨日安原くんが行った事については伝えてあります。紅竜会が乗り出すということについても」
「けれど反対派の思いまでは伝わっていない。そうじゃないですか?」
「えぇ、確かに。今は自分たちのプロジェクトを形にすることで精一杯ですから。それをじゃまされたくないという気持ちの方が強いんじゃないでしょうかね」
「あ、やっぱり。だから見えない敵がいるんだ」
「見えない敵って?」
私はあえて羽賀さんにそう尋ねてみた。
「生田さん、皆さんは一体誰と戦っているのですか? ひょっとしてこのプロジェクトを成功させなければいけないという義務感のようなものと戦っているのではないでしょうか?」
やはりそうか。私の中ではうすうす感じていたことではあったが。そこをあらためて羽賀さんに指摘されると、私も何も言えなくなる。
「生田さん、まずは広い視点を持ってみませんか?」
「広い視点?」
「えぇ。今のこのチームは四星商事という内部のものしか見えていない。ボクにはそう感じました。地域のためといいながらも、実のところ自分たちがうまくいきさえすればそれで完成、といった雰囲気があるように思えます。ボクも以前はこの会社にいた人間ですから、その空気は痛いほどつかめますよ」
「だとしたらどうすればいいのですか?」
「だからこそ皆さんに気づいて欲しいのです。何が本当の成幸なのかを」
羽賀さんは紙に大きく「成幸」と書いた。
「普通は『成功』と書きますが、それは『功績を成す』という意味です。つまり何か事を起こしてそれをやりとげればいいということになります。しかし皆さんが本当に欲しいのは『成幸』、つまり『幸せに成る』ということではないでしょうか」
「そのためには一部の人間だけが幸せになってはいけない。そのしわ寄せがそうでない人のところにいき、不幸を呼んでしまう。だから幸せは分かち合ってこそ本当の幸せ、でしたよね、羽賀さん」
羽賀さんの言葉に続いて榊原がそう言葉を重ねた。
「はい。だからこそまずはここを、このプロジェクトチームを抑えるべきなのです。優秀な皆さんだから、紅竜会の対策についても何らかの案がでてくるはずです。いかがですか?」
羽賀さんのその問いかけに、私はしばし頭を廻らせた。
