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「寄生獣」って「デビルマン」と同じ話だよね?

ゲストハウスの本棚の「デビルマン」を途中まで読んで、あんまり重たいからやめてiPadに入ってた「寄生獣」を読み始めた。 「デビルマン」はダイナミックな天才永井豪が人生で一番ノリノリで息を詰めて走り切った、スピーディな傑作だ。昭和40年代の漫画表現では最先端だった。対する「寄生獣」は平成の静かな天才岩明均が最初の長編として完成させた一作。いろんな思いつきの設定(制約)が後ろへいくほど伏線として効いてくる構成が素晴らしい。 「寄生獣」を読み始めるとすぐ「これってデビルマンそっくりじゃない?」と思い至る。不動明は飛鳥了の手引きで決意してデーモンと合体し、泉新一は偶然パラサイトの襲撃をかわし脳ではなく右手に寄生された、という違いがあるけど、まあほぼ同じ、超能力生物と合体したヒーロー。 不動には牧村美樹、新一には村野里美というかけがえのない彼女がいる。大好きなのだがヒーローの本質は理解されてない、なのに彼女たちはヒーローに全幅の信頼を置いているとこはそっくり。 彼らには宿命の敵といえる女悪役がいる。不動にはシレーヌ、新一には田宮良子(田村玲子)。もっとも強い敵で、死闘を繰り広げるなかでヒーローたちは彼女らにどこか救われていく。

妖鳥シレーヌと田村玲子、飛鳥了と殺人鬼浦上

思うに、二人の合体ヒーローは、合体して超能力を得たことを少し後ろめたく思っているのではないか。不動はまだ物語の序盤、強くなった自分の暴力衝動に戸惑っているし、新一は自分が強くなった経緯(母を殺され、自分も殺されかけたため寄生生物と溶け合った)を受け入れられずにいた。 それをシレーヌと田村玲子は救うのだ。このシーケンスは感動的で、どちらの作品でも第一のクライマックスと言える盛り上がりを見せる。 シレーヌとの戦いは全5巻の2巻だからほんとに前半。田村玲子とは全10巻の8巻だから位置的には後半だけど主人公の心象風景としては整い、世界を舞台に戦いが起こる準備の総仕上げみたいな位置にある。 不動明にとってはシレーヌだけでなく飛鳥了(サタン)という存在が大きい。飛鳥了は人類を恐怖に陥れ、牧村美樹を殺させる。それはなぜかというと飛鳥了が不動明を好きだったから、という種明かしがすごい。同性愛なんて知らない当時の純朴な小学生に「アンドロギュノス」とか読ませたんだから豪ちゃんはすごい。 一方、新一のヒロイン里美を最大の危機に陥れたのは殺人鬼浦上だった。これは浦上が新一に興味を持ちすぎ、捕まるリスクよりも興味が上回ってしまったから、と説明される。それってほとんど恋だろ。

アーマゲドンと個人的な戦い

両作品とも興行的なクライマックスは「アーマゲドン」と「市役所地上戦」という黙示録的対決に収斂していく。まあデビルマン軍団とデーモンのアーマゲドンそのものは描写が省略されるけど。その前段のデーモン決死の大攻勢が生き生きと描かれる。 市役所地上戦は平成の傑作に相応しい解像度で緻密に描かれる。けどこれは最大の敵後藤を紹介するショーケースに過ぎなかった、と後で明かされる。 そして新一と後藤との最終決戦は、東京都だと奥多摩のような過疎地で、五体が充実した無敵後藤との、相棒ミギーを失って孤立無援の新一という好対照で描かれる。上手いよね。いくつもの伏線を展開し、戦いの中で成長した新一が見た走馬灯、という風情で振り返りがなされる。 新一とミギーの組み合わせは強くなり過ぎて、安定を壊す必要ができたのだろう。一方デビルマンには夢幻編というか本編連載が完結したのちに描かれたサイドストーリー群があり、それはシレーヌ以降アーマゲドン以前という過渡期に不動と飛鳥了がコンビを組んで一話完結で活躍するという、安定してるけどつまらない、退屈な章だ。デビルマン本編は電光石火の展開で単行本たった5巻にまとまってる、それを水増しするような増加挿話群は見るからに蛇足だ。けど、連続ドラマの作り方としてはありなんだろうなあ。安定してて退屈だけど。 本編の結末は、デビルマンは壮大な痴話喧嘩の挙げ句に地上世界は滅び、神が降臨した世界でサタンが(弥勒菩薩のように)物思いに沈む。寄生獣は無敵後藤との誰も見てない対決、個人的な清算のような戦いを新一が制し、世界を救ったわけではないことが匂わされ、日常へと回帰していく(この後最大の危機が来るんだけど)。デビルマンの投げっぱなしうっちゃり仏壇返しのようなエンディングと比べると、寄生獣はずいぶんきれいな着地だが、作品の始まりでは濃厚だったエコロジー戦争救済みたいなものは後景に下がり、すべての生命を称揚して終わる。汚れた人間の生命も生きてていいんだというか。作者の旅路の果てがそこだったのかなと。

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