もののあはれ【カフェ浪漫主義38】
鎌倉の桜もこの週末から見頃となった。カフェ浪漫主義でも花の宴を開きたいが、抹茶方でまともな花見の茶会を開くのは一大事だ。
それならば文人茶風の質素な詩宴歌宴なら気軽だし、我が荒庭の桜を眺めたり活けたり花時にふさわしい古書画でも掛けたりして、じっくりと春爛漫の風情を味わえる。
その掛け物として私が思う最高傑作は、古今東西のあらゆる桜の詩歌の中でもこの歌だと思う。

志野花入 茶碗
敷島の大和心を人問はば
朝日に匂ふ山桜花
戦時中には国粋主義の宣伝として上五の「敷島の」を「武士の」と言い換えた軍歌が広まり、戦後はその反動で悪しき軍国主義の和歌のイメージが付けられてしまった。
鎌倉文士の一人であった小林秀雄が、この本居宣長の「もののあはれ」について戦後にいろいろ書いている。

古丹波徳利 明治大正頃
古萩湯呑 菓子皿 戦前昭和
この色紙には「物のあはれを知る事の深きにすぐるといふことはなきものなり」とあるが、小林らしい実に冗長な言い回しだ。鎌倉で親密に小林と交遊していた吉田秀和は、その『本居宣長』を読むとすぐに投げ捨てて詰ったという。後に吉田秀和がインタビューで語った「小林さんの飛躍に満ちたやり方は音楽的とは言えないな」という言葉も核心を突いている。
今では、宣長と言えばまず小林秀雄の評論が出てきてしまい、宣長の原典よりも先に小林の解釈に感化されてしまうことが多いようだ。詞の美しさや音楽性が分からない小林や国文学者によって「宣長の和歌は駄作だ」という馬鹿げた評価が定着してしまったが、むしろ宣長ほど優れた歌人はいない。技巧においても、詠題に対する想いの深さ、つまり俊成の言う「本の心」においても宣長は円熟の境地にあり、和歌を通してこそ「もののあはれを知る心」を体現していたのだ。
美に対する小林の無理解は、小林の骨董の師である青山二郎の文を読めば明らかだが、それでも小林自身は骨董蒐集や文士たちとの交遊をよく楽しんでいた。宣長に関する連載を11年も続けていたのも、宣長をめぐる思索そのものが楽しかったからなのだろう。
宣長は新古今集の歌が理想だと考えていたが、実際、後鳥羽院の御代より宣長の時代に至るまでこそ、和歌に現れる日本的美意識が最も精華を示した時期である。
諸賢も年々の桜時くらい日本文化の心柱である和歌千年の美意識を再確認できれば、洋風の都会生活で次第に薄れ行く伝統文化の良さ深さを、子々孫々にまで伝え遺すのが各々の使命と自覚できよう。
探神院では、自詠の和歌に邦楽と女性ヴォーカルをつけて春の小唄を作ってみた。
歌詞(自詠)
濃く淡く紅烟り咲き溢れ
鈴の音にさへ幾片散らむ
夢一夜花の小枝に鈴結び
風に散る音を寝屋に添はせむ
隠國の春は八千草百千鳥
我は歌人汝は花人
歌一つ詠めばいつしか魂の
還る辺に花一つ咲くらむ
小唄なのでオーケストレーションは控えめに、三味線と笛さえあれば演奏できるような曲に仕上げた。
春の花や桜を題に上等な自詠を作るのは存外に難しい。そこまでしなくても、花見の場でお気に入りの古詩歌の一片でも愛唱すれば、春の情趣の味わいも一段と深い物になるのは間違いない。
