🌙三日月のブランコと優しい風
仕事にも恋にも疲れた彩花は、行き先を決めない旅に出た。
電車に揺られ、バスに乗り、知らない町を歩く。
けれど、どこへ行っても世界は白黒映画のようだった。
美しい景色を見ても心は動かず、名物料理を口にしても味がわからない。
旅は続いているのに、自分だけが止まったままのようだった。
ある日、彩花は高原に建つお城のようなホテルに泊まった。
散策の途中、突然の雨に降られ、慌てて近くの大木の下へ駆け込む。
大木は大きな傘のように枝を広げ、優しく雨から守ってくれた。
ふと足元を見ると、紫陽花が咲いている。
旅に出て初めて、花の存在に気づいた。
その時だった。
空から大きな影がゆっくりと舞い降りてきた。
驚いた彩花は大木の陰に隠れる。
目の前に現れたのは、伝説の中にしかいないはずのドラゴンだった。
その鱗は雨粒をまとって宝石のように輝き、その姿は恐ろしいどころか神々しい。
ドラゴンは雨を浴びながら気持ち良さそうに目を閉じた。
そして空へ向かって七色の光を吐き出す。
すると雲の向こうに大きな虹が架かった。

水たまりには虹とドラゴンが映り込み、まるで別世界への入り口のようだった。
やがて雨が止む。
ドラゴンは大きく羽を広げ、濡れた翼を震わせた。
次の瞬間、激しい風と水しぶきが辺りを包む。
彩花の体はふわりと浮き上がり、そのままドラゴンの背中へ落ちた。
「えっ?」
声を上げる間もなく、ドラゴンは空へ飛び立った。
眼下の街はどんどん小さくなる。
悩みも、失恋も、苦しかった仕事も。
遠ざかる景色と一緒に小さく、小さく縮んでいった。
こんなに広い世界の中で、自分はほんの小さな場所に閉じ込められていたのだと気づく。
やがてドラゴンは雲を抜け、月の近くまで飛んだ。
そして突然、彩花を振り落とした。
悲鳴を上げながら落ちた先にあったのは、金色に輝く三日月のブランコだった。

地上から遠く離れた夜空に浮かぶブランコに座る彩花だが、不思議なことに少しも怖くない。
ドラゴンが羽を優しく動かすたび、ブランコはキィ、キィと音を立てながら大きく揺れる。
周囲には宝石を散りばめたような星々。
その中で彩花は気づいた。
いつの間にか世界に色が戻っている。
遠くの街明かりは温かな橙色に輝き、星々は青や銀に瞬いていた。
胸の奥に溜まっていた悲しみが涙になってこぼれ落ちる。
ブランコがひと揺れするたび、辛い記憶が少しずつほどけていく。
流れた涙は、ドラゴンの羽が起こす優しい風が乾かしてくれた。
どれほどの時間が過ぎただろう。
彩花の心は、久しぶりに軽くなっていた。
ドラゴンは再び彩花を背に乗せ、大地へと舞い降りる。
そして翼を滑り台のように広げ、そっと地面へ送り届けた。
目の前には七色に輝く扉が立っていた。

扉は静かに開いている。
彩花はその扉の意味を理解した。
これは旅の終わりではない。
新しい旅の始まりなのだ。
「ありがとう」
彩花はドラゴンに深く頭を下げた。
ドラゴンは金色の瞳を細めると、虹色の光をひとつ残して空へ飛び去っていく。
彩花は七色の扉をくぐった。
その向こうには、色鮮やかな花々が咲く道が続いていた。
足元の紫陽花は雨粒をまとい、美しく輝いている。
彩花はひとつ深呼吸をした。
風の匂いがする。
花の香りがする。
そして、生きている世界の色が見える。
彩花は微笑みながら、新しい一歩を踏み出した。
この作品は片桐 みかん様の
『3つのお題に空想のひらめきを』の企画に参加させていただきました。
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