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「ありがとう、ランティモス」

ー映画『哀れなるものたち』を通して紐解く、人間の愚かさと愛しさー

ギリシャの映画監督、ヨルゴス・ランティモスの監督作品『哀れなるものたち』はこのところのわたしの映画鑑賞の中で最も好きな作品である。わたしには珍しく何度も鑑賞するほどだ。(衣装やセットのビジュアル的な完成度、美しさ、も全て好みである)

印象的だったのは、やはり主人公の女性、ベラの存在であった。

彼女は、もともと妊婦のまま自死した女性であったが、ゴッドウィン博士が遺体を発見し、死後まもなくだったため、胎児の脳を彼女の脳に移植するという前代未聞の方法で命を“再生”させた。ゆえに、外見は成人女性でありながら、中身はまったくの新生児。ベラは、過去の人格とは異なる“まっさらな存在”として再び生を受けることとなった。

このベラが、さまざまな体験を通して世界を知り、自我を育んでゆく過程は非常に興味深かった。初めのうちは言葉も仕草も幼く、好奇心そのものであったが、旅や人との関わりを通じて、彼女の内面は急速に成長してゆく。その成長の過程は、どこか不思議で、しかし非常に魅力的でもあった。

性に対しても極めて率直であった。心は幼くとも身体は成熟していたため、彼女は純粋な好奇心のままに様々な経験を求めた。その姿は、時にユーモラスで、時に痛ましさすら感じさせたが、いずれにせよベラという存在の本質が強く現れていたように思う。

旅のなかで彼女は、貧困や差別、格差や階級の違いといった現実に直面していく。フランスに渡ってからは娼婦として生きる道を自ら選び、働き、稼ぎ、学ぶようになる。そしてついには「医師になりたい」と夢を語るまでに至る。知識を得、自由を得て、社会の中で自分の居場所を築こうとするその姿には、強い意志と自立心が感じられ、胸を打たれた。

特に印象深かったのは、自らの過去を婚約者に語る場面である。彼女は率直に、多くの男性と関係を持ったことを告白するが、彼はそれを非難することなく「それは君の自由だ」と受け止めた。その瞬間、ベラの尊厳が保たれたように感じられた。

対照的であったのが、旅を共にしたパートナー、ダンカンの態度である。ベラの変化を受け入れられず、怒りと罵声で彼女を否定し、立ち去ってゆく。二人の男性の反応の違いが明確に描かれることにより、ベラがどのように自分という存在を守ってゆくかが、いっそう際立った。

ラストの復讐劇もまた衝撃的であったが、同時に痛快でもあった。前の人生で彼女がどれほど理不尽な扱いを受けていたかを思えば、あの形での報復は、ある意味で“完璧な答え”であったのかもしれない。殺すよりも冷酷で、それでいてどこか滑稽さを感じさせるその仕打ちは、ベラという存在の知性と強さを象徴していたように思う。

この作品は、一人の女性の「人生の再構築」を描いた物語であると同時に、人間の愚かさ、弱さ、そしてそれでもなお前へ進もうとする力強い意志を描いた寓話でもあった。

実に見事な構成であり、私はこの完璧なストーリーに深く心を奪われた。

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