金子みすゞの伝記出版ドキュメンタリー①
金子みすゞの伝記の出版に向けたクラウドファンディングでは、温かいご支援を本当にありがとうございました!!!
5/24 のクラファン終了を前に突然、両親のW介護が始まり💦6月に本をお届けできない事態に(T_T)
さらに、編集・発行人も病気に(T_T)(T_T)(T_T)
ご支援下さったnote仲間の皆さま、本当に申し訳ありません<(_ _)>
…という状況下ではあるものの、7月5日(日)・6日(月)の大人の修学旅行は予定通り決行🚙
応援団の有志3名と、岐阜県白川町黒川の佐久良太神社にある乙女の碑と満蒙開拓平和記念館へ。

乙女の碑の地は、満州へ渡る港まで出ることさえままならぬほどの山奥だった。
ここで暮らすのとは違う未来を描いて600名あまりが海を渡った。
しかし満蒙開拓団とは、もしもの時のためにソ連との国境線に配置された弾除けだったのだ。
1945年8月9日、日ソ平和条約を破ってソ連が攻めてきた時、守ってくれるはずの関東軍ははるか南へ撤退していた。
黒川村開拓団は生きて帰るため、ソ連兵に15名の乙女たちを差し出した。
現地で亡くなった4名の慰霊と、帰国後の「汚らわしい」という中傷のほうが辛かったという苦労の標として、1982年に【乙女の碑】建立。
しかし、「村の恥を晒すのか」という意見があり、なぜ碑がここにあるのかを示す碑文が建ったのは36年後だった
『国宝』をもっかい観たいとは思わないが、このドキュメンタリーは何度でも観たい。
苦しく、悲しい映画だけれど、希望があるから。
残さなければならない歴史を闇から闇へ葬ろうとした。
その過ちを、36年もかけて正せた奇跡!!!
間違いを正すのは、どれほど難しいことか!!!(どれだけ証拠を集めても、権威の説でしかない金子みすゞ像をくつがえせません💦😭)
重い映画だけれど、爽やかな感動があった。
現地に立ってみて、奥深い山村での生活、人間関係が濃く閉鎖的な地域でのご苦労をしみじみと思った。
そして、黒川村では表に出せたけれど、埋もれたままの歴史がどれだけあるのだろうかと…。
満蒙開拓平和記念館の神対応✨
乙女の碑から移動をかけた私たちの到着は、閉館5分前となってしまった💦
が、「遠いところをせっかくいらしたのですから、どうぞゆっくりご覧下さい」と言って下さいました!!!
有り得ない神対応に感謝です🙏
『黒川の女たち』の映画パンフによると、館長さんは満蒙開拓団のご子孫とか。
乙女の碑の碑文の文言をどうするか、共に練り上げたそうです。
だからでしょう、行政のお役所仕事とは全く違う心がある。
職員の方たちも含め、知って欲しい、伝えたいという使命感が伝わってきました。
旅へご一緒した方々は皆、クラファンをご支援下さっています。
出版が止まってしまっていることを黙っているわけにはいきません。
出発前日「実は…」と打ち明けたところ、「みんなで作戦会議をしましょう」と返ってきました🙏
夕食の時間でさえも親身に考えて下さり、どんなに救われたかしれません。
いざ諏訪大社へ⛩
今回、「他にどこか行きたいところありますか?」と問われて地図で調べたところ…
かねてより行ってみたかった諏訪大社、寄れる距離ではありませんか!!!
私め、どうやらお諏訪様に呼ばれているとしか思えないという
youtubeは、こちら。
私は、神社仏閣では基本、ご挨拶させていただく感謝しか述べません。
自分のことを拝む頼むはしないのですが、この時だけはおすがりしました💦
どうか無事に本を出せますように🙏
金子みすゞの生まれ故郷・山口県長門市仙崎の地名の由来には竜王が関わっています。
そして諏訪大社も龍神様をお祀りしています。
そんなことから、下社の秋宮で龍神みくじをひきました。

そしたら何と、旅から帰った7月6日(月)、止まっていた出版が再び動き始めたのです!!!
6月には本をお届けできるはずが、本当に申し訳ありません<(_ _)>
無事上梓叶うようがんばってますので、何卒よろしくお願い申し上げます。


