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 大正ロマンを駆け抜けた流れ星のような詩人、金子みすゞが住んだ場所の変遷を記録しておきたい。足跡を辿りたい人のために。

 まずは、生家についての間違いを記す。

 みすゞ生誕百年の二〇〇三年に、生れ故郷・山口県長門市仙崎に建てられた記念館は【生家を復元】という触れ込みだった。ファンにとって【生家】は【聖地】だ。だから、そういうことにしてしまったのだろう。しかし、事実ではない。

 今野勉氏の著書『金子みすゞふたたび』によると、本当の生家は、かつて青海島観光ホテルのあった、仙崎二〇〇〇となっている。が、仙崎の生き字引のガイド・坂本和磨氏によると違う。今野説の隣、仙崎一九九九と一九九八ではとおっしゃっている。そこに昔、借家が五軒ほどあったという。今野説、坂本説、どちらが正しいのかは分からない。とはいえ、みすゞの父は荷役のための船、渡海船(とうかいせん)の仕事をしていた。仕事に便利なように、東の浜に家があったのは確かだろう。現在の仙崎漁協のお向いに当たる。

 【生家を復元】とされてきた金子みすゞ記念館は、生家ではないどころか、実は復元でもない。復元というのは、日本語では、元の通りにすることを意味する。みすゞの家が営んでいた書林屋の隣に、『角の乾物屋の ──わがもとの家、まことにかくありき──』という詩に謳われている酒屋があった。記念館は、その酒屋を壊して建てられた=元の広さとは違うということになる。

 生家でもなければ復元でもないにもかかわらず、記念館建設時の触れ込みは今も、おんぶお化けのように巷にこびりついている。いつだったか、NHKの旅番組でレポーターが「ただ今、生家の前よりお送りしております」とアナウンスしたのにはのけぞった。復元でも記念館でもなく【生家】とは。さすがに「嘘つくな!」というお叱りを無視できなくなったのだろう。いつからか【みすゞの実家】という言い方に変わった。が、今でも多くのファンは「ここが生家なのね」と訪れているに違いない。罪な話だ。金子みすゞ【神話】は、このようにして紡がれている。

 明治三十六年に生まれたみすゞは、明治三十九年に父が亡くなると、東の浜の生家から、記念館のある場所へと移った。そして大正十二年、二十歳のみすゞは、下関で一番大きな書店・上山文英堂の居候となる。兄が、みすゞの小学校の同級生と結婚したため、居辛くなったのだろう。

 時系列は前後するが、上山文英堂は父の没後、弟がもらわれていった養子先になる。なおかつ、その養母が大正七年に亡くなると、実母が上山文英堂の後妻に納まった。そこに居候することとなったみすゞは、実の弟、そして母と暮らしながら、私のお母さんは死んでしまっていないのよ、お空にいるのよという詩を二つ作っている(『天人』『忘れた唄』)。文英堂にも、みすゞの居場所は無かったのだろう。ここは現在の下関市南部町十九の二〇。明治安田生命保険山口支社の場所で、『みんなを好きに』の詩碑があるので容易に探せるだろう。(以下の住所は全て下関市の番地となっている。)

 結婚後のみすゞが、夫婦水入らずで暮らし、大正十五年十一月十四日に娘を産んだのは関後地村の家だ。現在の丸山町一の十一の十六に当たる。この家を描いたと思われる『明るい家』という詩に【さくら草咲く丘のうへ】というフレーズがある。この辺りに桜草があるかは定かではないが、坂の多い港町の坂の途中で、まさしく【丘の上】だ。この家は、二〇二四年時はまだ現存していた。

 その後みすゞが若過ぎる晩年を転々としたのは、上新地という格下の遊郭街だった。一目で、堅気の人間の住む家ではないと分かる造りの建物が、戦争で焼けずにみすゞの頃のまま残り、界隈の入り口には大串医院という性病科の病院があった。この地に身を置くと、みすゞの才能、そして詩人としての執念が肌に迫り鳥肌が立つ。ここを見なければ、金子みすゞという詩人の神髄は分からないと私は思っている。関後地村から転居した時期は不明だが、まず住んだのは現在の上新地町二の一の六。昭和四年春に、新地西町十の八へ。そして夏には、新地西町四(ニチモウ下関工場跡、現在の厚生病院駐車場内)へ。しかしついに再開発が始まり、二〇二四年時点で風景は大きく変わっていた。

 昭和五年二月、みすゞは、現在の観音崎町四にあった長屋の二階を間借りして別居後、離婚。娘と共に上山文英堂へ戻り、三月十日に自死を遂げた。享年二十六。

 下関でのみすゞの足跡を辿るのには、本当に苦労した。もし後に続く方があって、この記録が研究に資するならば、こんなに嬉しいことはない。未来へのギフトとなることを願ってここに記す。拙著【金子みすゞの詩と死と生涯『空色の手紙』をご所望の方は、SNSのDMにて連乞。

参考文献「郷土」第42集。平成十一年三月発行。編集・発行下関郷土会。下関市中之町一の一 亀山八幡宮内。


#なんのはなしです家

(ここからは、noteのみ。ヘッダー画像は、坂本説による生家の場所の現在の様子。)

 

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