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【小森はるか監督特集 三つの場所、いくつもの/一つの時間】

【『いつも茶畑で歌っていた』(2026年 / 37分)】

【『the place named』(2012年 / 36分)】

【『春、阿賀の岸辺にて』(2025年 / 64分)】

【『おあがりんちょ』(2026 / 56分)】


映画というのは、複製芸術と言われるけれど、それでも、観客にとっては1回性の経験でもある。

ので、わたしがこの上映会に行くまでの背景を。


小森監督とわたがはじめて会ったのは、2016年に山形国際ドキュメンタリー映画祭で、トークイベント「佐藤真に出会う新世代」でご一緒した時が初。
『春、阿賀の岸辺にて』に出演していた小林知華子さんも、出演されていました。
(その時のトークは一部が本にもなっています。目次には載っていませんが、わたしのトークも入っていて。小森さんの部分は、別の時のものが本には収録されているんですが。)

その時は挨拶くらいで、その後、『春、阿賀の岸辺にて』で描かれている冥途連(「阿賀に生きる」追悼集会など)の集まりで会うようになりました。

その後だったかな、時系列を忘れてしまったけれど、
2018年の頭に、シネマ・チュプキ・タバタで『息の跡』(2016)を観ました。

等身大で誠実に撮っているとてもいい作品でした。
(「等身大で撮る」というのは、できそうで、簡単にできるものではありません。多くの作家は、見世物として過剰に撮ろうとしてしまうものだから。)

その後に、小森さんから新作の映像を見せてもらったんです。
それをわたしは、正直、好ましく思いませんでした。
(今観たら違う印象になるかもしれないので、題名は控えます。)

それで、その後、作品をずっと観ていないんですよね。(申し訳ない。)


今回は、いつも行っているOTTOだし、
籏野さんや冥途連の方々にも会いたいと、
「いい感想を持たなかったらどうしよう」とソワソワしながら伺いました。


最初は、決して悪い印象ではないにせよ、「ゆるい」「あまい」という印象はぬぐえませんでした。
でも、4作、じっくり見ていく中で、その「ゆるさ」の中に、「やわらかさ」「やさしさ」が含まれていることに気づいていきます。
表面はやわらかでありながら、芯はシッカリある。
「あ~、この感じ、『息の跡』の時に感じたすばらしさだ」と思いました。
(『台湾人生』などの酒井充子監督にも、似たやわらかさを感じます。)

ついつい「鋭利な視点こそドキュメンタリーの本質」と思ってしまいがちだし、それが今以上に強かった昔には、好ましいと思えなかった作品も、今観たら、違って見えるのかもしれません。

(それに、今回の2025~6年の3作は、インスタレーションのように上映したものだそうで、そういう意味でも「あえて緩くしている部分もある」ようなことを、小森さんは言っていました。ふむふむ。)


【『いつも茶畑で歌っていた』(2026年 / 37分)】は、
「小森さんの実家」が兼業として行っている茶農業が、工場の閉鎖と共に終わろうとする様を記録しています。実の父と、その弟(兄?)が主人公というか、中心の。ふたりはオリジナルの歌もうたっていて、その辺も見どころです。

【『春、阿賀の岸辺にて』(2025年 / 64分)】は、佐藤真監督の映画『阿賀に生きる』の発起人でもあり、新潟水俣病の患者運動の支援者:籏野秀人さんが中心に描かれています。旗野さんの水俣病関係の活動が記録されると同時に、長年、職業としてやってきた旗野住研を終える様も記録されているんです。(また、籏野さんを支える小林知華子さんなども描かれていて。)

絶妙に2作が響き合っていることに、今、この感想を書きながら気づきました。

また、【『おあがりんちょ』(2026 / 56分)】は、籏野秀人さんの妹の中村美奈子さんの姿を写しています。若い頃、新潟を離れ東京を出たものの、(何人目だったか?)子どもが生まれた頃に、新潟に戻ってきて、畑仕事もしながら、長い間、旗野住研で事務の仕事していたといいます。今は、亭主関白だった夫が亡くなり、寂しいような、自由でいいような、、、絶妙な。
今は畑仕事に精を出しながら、運動(ヨガ?)や、ソフトバレーボールなど、毎日を謳歌しているようです。
身体派かと思いきや、めちゃくちゃ本も読んでいて(インテリでもあり)、学生運動世代特有の実存主義的なというか「どう生きるべきか?」という問いも、同時に抱えて生きてきたようです。
それが「ようやくこの歳で、掴めてきた」というような感じみたい。
(また、暴力的だった父親のことなども、チラッと描かれます。それに耐えていた母のことなども。)

「名もなき女の一生」というか、生き様というか、わたしの大好きな一条ふみさんの「むぎ」などの現代版みたいな感じもしますね。

そう考えると、籏野秀人さんも「男の一生」であり、
小森さんのお父さん「兄弟の一生」でもあり。
(※昨今では、男とか女とか、そういう形容をすることもケシカランと言われてしまいますが、でも、そうとしか書きようがない感じもあり。)

籏野さんは、ちょっと派手な感じもあるけれど、
基本的には、地味に、まじめに、真剣に、毎日にを生きている人たちの記録。

その生き方そのものが、思想とでもいうべき、あるいは歌とでもいうべき。

1作だけだと、「なんかゆるいな」と思ってしまう作品群も、重なっていくと、その「ゆるさ」の中に仕込まれている糸が無数に連結しあって、蜘蛛の巣をつくっていくようなスゴみがありますね。

もちろん、それは、特別な人の人生ではないので、
常に、観客の「わたし自身はどう生きるか?」という問いにもなって返ってきます。
その網の目の中に自分もいるというか。その総体が「歴史」であり。

いや~、すばらしい作品だなと、思い返せば思い返すほど、思うのでした。

ありがとうございました。


あっ、【『the place named』(2012年 / 36分)】について書き忘れました。
チラシをちゃんと読まずに観たので、「これは何なんだ?」とずっと思いながら見ていたんです。有名俳優が出ているわけではないので、この俳優たちが誰なのかもわからない。震災のことがあっての脚本みたいなのだけれど、わたしは「これ、被災者自身が演じているのかな?」とか、過剰解釈をしてしまったり。
実際は、映画美学校のフィクション科時代の作品みたいです。
一般の人ではなく、俳優が演じているそうですが、
とはいえ、震災後を生きる俳優自身の身体と脚本(小森さんのオリジナル台本の中に、ソーントン・ワイルダーの『わが街』が容れ子に入っています)と響き合って、その生身の俳優の振動そのものが記録されているというような作品でした。
「ジャック・リヴェットみたいだな」と思って聞いてみたら、当時、アピチャッポン・ウィーラセタクン監督とか、ペドロ・コスタ監督などの作品を観て、ドキュメンタリーとフィクションのあわいというか、そういうものに影響を受けて作ったそうです。

「背伸びしてる感」は凄いのだけれど、不思議と後の作品にも通じていくようなものもあるような気もする不思議な映画でした。

「観念映画」のように見えて、実は「身体性」に根差しているというか、「生きる」ことをどう捉えるかから作品が構成されているというか。

「作家は第一作にすべてが込められる」というけれど、実は、小森監督の中にそういう先鋭性が眠っているのかな?
『二重のまち/交代地のうたを編む』(小森はるか+瀬尾夏美監督 / 2019年 / 79分 )とかに繋がっていくのかな?

明後日までの上映なので、観てない作品を観てみようと思います。
お近くの方も、ぜひ!

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