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35歳までは、やりたいことに夢中になって。私が『輸入ビジネス』という荒波に飛び込んだ理由

1999年、フランスのデザイン雑貨「PYLONES」と出会い、私の起業ストーリーは始まりました。今日は少し原点に立ち返り、なぜ私が「起業」という道を選んだのか、その裏側にある想いをお話しします。

「心の奥で、ずっと燻っていた火種」

物心ついた頃から、面白いものや珍しいものを発掘するのが大好きでした。高校卒業後に上京し、下北沢、自由が丘、渋谷、吉祥寺……。街を探検しながら「いつか自分の手で、まだ見ぬ宝物を輸入してみたい」という夢を抱くようになりました。

それから10年。イギリス留学や東京でのOL生活を経て、20代後半を迎えた私。 周囲の友人たちが次々に結婚や出産へと向かう中、私は自分自身に「挑戦状」を叩きつけることにしました。

背中を押したのは、早くに家庭を持った同級生からの切実な助言でした。 「35歳までは、仕事と遊びに死ぬほど夢中になった方がいい。後悔しないように」

その言葉が胸に刺さりました。失うものは何もない、花の独身。今やらなくていつやるんだ! そんな、ある種「単純な勢い」で、私は起業という冒険の海へ飛び込んだのです。

「攻め」の裏側で学んだ、本当の信頼

持ち前のガッツと推進力で進んできましたが、現実は甘くありませんでした。 ビジネスは何一つ、一人では完結しません。海外の仕入れ先との信頼関係、そして何より国内のスタッフやパートナーという「同志」の存在が不可欠です。

振り返れば、当時は「伝えること」「理解すること」が足りていなかったのかもしれません。 思いもよらないボタンのかけ違い、時には裏切りや騙されるといった、苦い経験もしました。自分の知識不足や弱さが、そのまま結果として跳ね返ってきた日々。

「売る」「広める」という攻めの姿勢にばかり注力しすぎて、足元を守る大切さを忘れていたのです。

失敗も、裏切りも、すべては今の私を作るための大切なピースでした。

さて、次回からはまた店舗展開のお話に戻ります。 累計20店舗を数える出店の中でも、特に思い出深い「横浜赤レンガ倉庫」への出店エピソード。歴史ある建物の中で、PYLONESの色彩がどう花開いたのか。パワフルなスタッフたちとの出会いについて。

ぜひ、楽しみにしていてください。

横浜赤レンガ倉庫


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