見出し画像

霞が関が拒む年齢――高齢者問題が永遠に後回しにされる構造的理由

官公庁の合同説明会で、キャリア採用組が熱く語る。少子化対策、教育改革、インフラ整備、給与の低迷――自分が直面した問題を根本から解決したい。その情熱は本物だ。

だが、会場のどこを見回しても、ある問題について語る人はいない。年金制度の崩壊、高齢者の貧困、介護の危機――これらの問題は、まるで存在しないかのように扱われている。

なぜか。答えは単純だ。これらの問題に気づくのは、50歳を過ぎてからだからだ。そして、その年齢で霞が関に転職することは、事実上不可能なのだ。


「問題を知る年齢」と「採用される年齢」の断絶

人は、自分が直面した問題に最も敏感になる。20代で就職難に苦しんだ人は雇用政策に関心を持つ。30代で子育てに悩む人は保育政策を考える。40代で住宅ローンに追われる人は税制改革を望む。

だが、年金問題はどうか。この問題の深刻さを肌で感じるのは、多くの場合50代以降だ。60歳の定年を迎えて初めて、再雇用での大幅な給与減少を経験する。65歳になって年金を受け取り始め、その少なさに愕然とする。70代で介護が必要になり、制度の不備を痛感する。

つまり、年金や高齢者問題の当事者になるのは、人生の後半なのだ。そして、その時にはもう遅い。霞が関は、彼らを受け入れない。

国家公務員のキャリア採用において、一般的な年齢上限は30歳だ。経験者採用枠でも、多くは40歳未満が対象となる。59歳まで受験可能な枠もあるが、それは高度な専門性と長年の実務経験を持つ限られた人材のためのものだ。

つまり、年金問題の深刻さを身をもって知った50代、60代の人々には、その問題を制度の内側から変える道が閉ざされている。問題を最も理解している人々が、最も排除されているのだ。

「制度は簡単に変わらない」という言い訳

なぜ、高齢者はキャリア採用されないのか。表向きの理由は、「長期的なキャリア形成」だ。

公務員は数年ごとに異動を繰り返し、多様な部署で経験を積む。若いうちに入れば、30年以上かけて組織全体を理解し、幹部として活躍できる。だから、若い人材を優先する――そう説明される。

だが、これは本当に合理的な理由だろうか。

民間企業では、50代、60代の経験者が重要なポストに就くことは珍しくない。専門性を持つプロフェッショナルとして、即戦力として活躍する。なぜ公務員だけが、「若くないと育たない」と考えるのか。

本音は別のところにある。それは、「あなたが制度を変えたのを見届けられないから」だ。

60歳で採用しても、働けるのは数年だ。その間に法律を作り、予算を通し、制度を実装するのは難しい。だから、採用しない。これが、霞が関の論理だ。

だが、この論理には致命的な欠陥がある。それは、「制度改革が長期間かかることを前提にしている」ことだ。

なぜ、制度改革には10年も20年もかかるのか。なぜ、緊急性の高い問題が後回しにされるのか。その理由の一つが、意思決定者に当事者がいないことではないのか。

若さという特権、高齢という不利

年齢制限は、表面的には中立的に見える。誰もが若い時期があり、誰もが年を取る。だから、年齢で区切ることは差別ではない――そう説明される。

だが、これは詭弁だ。

少子化問題に取り組みたい30代は、霞が関に採用される。教育改革を目指す35歳も、経験者枠で門戸がある。だが、年金改革を望む55歳には、門は閉ざされている。

つまり、問題の種類によって、声を上げられる年齢が異なるのだ。若い世代が直面する問題は制度の中に取り込まれ、高齢世代が直面する問題は外側に置き去りにされる。

これは構造的な差別だ。年齢そのものが問題ではなく、年齢によって排除される問題があることが問題なのだ。

当事者不在の政策決定

では、現在の霞が関で高齢者政策を担当しているのは誰か。多くは30代、40代の官僚だ。彼らは優秀で、データを読み、論理的に考える。だが、彼らは当事者ではない。

年金が月5万円で暮らす不安を、彼らは知らない。定年後に給与が半減する屈辱を、まだ経験していない。介護施設を探し回る絶望を、想像することしかできない。

データと想像力だけで政策を作れば、どうなるか。制度は整っているように見えるが、実態とは乖離する。数字上は問題ないが、現場は苦しむ。そして、その苦しみは数字に現れないから、問題として認識されない。

これは、障害者政策を健常者だけで作るようなものだ。女性問題を男性だけで議論するようなものだ。当事者の声が届かなければ、政策は必ず歪む。

永遠に後回しにされる構造

高齢者問題が後回しにされるのは、予算がないからでも、他の問題が重要だからでもない。それは、問題を提起できる人がシステムの中にいないからだ。

若い官僚が高齢者政策を担当する。彼らは数年でローテーションし、別の部署に異動する。その頃には、自分も少し年を取っているが、まだ当事者ではない。そして次の若い官僚が引き継ぎ、同じサイクルが繰り返される。

こうして、高齢者問題は永遠に「他人事」であり続ける。緊急性を感じる人がいないから、優先順位は常に低い。そして、実際に問題に直面した人々は、既にシステムの外にいる。

この構造は、意図的に作られたものではないかもしれない。だが、結果として完璧に機能している。高齢者の声をシステムから排除し、問題を先送りし続ける装置として。

民間なら許されない年齢差別

雇用対策法は、民間企業に対して年齢による差別を禁止している。求人に「35歳まで」と書くことはできない。面接で年齢を理由に不採用にすることも違法だ。

だが、公務員はこの規制の適用除外だ。堂々と「30歳まで」と書ける。年齢を理由に門前払いできる。

なぜか。それは、「長期的なキャリア形成」という公益性があるからだ――そう説明される。

だが、この二重基準は正当化できるだろうか。民間企業には年齢差別を禁止しながら、国自身は堂々と年齢で人を選別する。これは、「規則は他人に適用するが、自分には適用しない」という姿勢ではないのか。

しかも、その結果として特定の社会問題が構造的に無視される。これは、単なる雇用の問題ではなく、民主主義の機能不全だ。

声なき声を代弁できるのか

霞が関は言うだろう。「当事者でなくても、問題は理解できる」と。「データを分析し、有識者の意見を聞き、適切な政策を立案できる」と。

だが、それは本当だろうか。

少子化対策を考える30代の官僚は、自分も子育ての当事者だ。だから、保育園の待機児童問題の深刻さを実感している。夜泣きに悩み、仕事との両立に苦しみ、その経験が政策に反映される。

では、年金政策を担当する30代の官僚は、どうか。彼らは年金受給の当事者ではない。毎月5万円で生活する不安を、身をもって知らない。その想像力だけで、本当に適切な政策が作れるのか。

「声なき声を代弁する」――これは美しい理念だ。だが、代弁するためには、まず声を聞かなければならない。そして、その声を発する人々をシステムから排除していては、声は届かない。

若者もまた犠牲者である

この問題は、高齢者だけの問題ではない。若い世代もまた、この構造の犠牲者だ。

30歳で霞が関に入った人は、高齢者政策に情熱を持っているかもしれない。だが、彼がその問題の真の深刻さを理解するのは、自分が50代、60代になってからだ。その時、彼は既に組織の中核にいるかもしれないが、問題意識を持ち続けているだろうか。

人は、自分の関心が変化する。20代で情熱を燃やした問題が、40代では遠い過去になる。逆に、40代で切実に感じる問題が、20代では想像もできない。

だからこそ、多様な年齢層が組織にいることが重要なのだ。今まさに問題に直面している人々が、政策決定に関わること。それによって、問題の優先順位が現実に即したものになる。

解決への道筋

では、どうすればいいのか。

まず必要なのは、キャリア採用における年齢制限の見直しだ。特定の政策分野については、高齢者を積極的に採用する枠を設けるべきだ。年金政策、介護政策、高齢者医療――これらの分野では、50代、60代の経験者こそが最も適した人材ではないのか。

「長期的なキャリア形成」という理由は、すべての職種に当てはまるわけではない。専門性を持つプロフェッショナルとして、短期間でも貢献できる人材はいる。彼らを排除する理由はない。

次に、政策決定プロセスへの当事者参加を制度化すべきだ。審議会や検討会に、実際に年金で生活している人々、介護を経験している人々を参加させる。彼らの声を、単なる「参考意見」ではなく、政策の中核に据える。

さらに、若い官僚に対する教育も必要だ。データだけでなく、現場を知ること。当事者の話を聞くこと。そして、自分が将来その立場になることを想像すること。この視点なくして、適切な政策は生まれない。

民主主義の試金石

政治とは、誰の声が届くかの問題だ。声の大きい者、数の多い者、権力に近い者――彼らの意見は必ず反映される。

だが、声を上げにくい人々の問題はどうなるのか。高齢者、障害者、少数者――彼らの声をどう政策に反映させるのか。これが、民主主義の成熟度を測る指標だ。

現在の霞が関は、構造的に高齢者の声を排除している。意図的ではないかもしれない。だが、結果として機能している。そして、その結果が、年金制度の綻び、介護の崩壊、高齢者の貧困として現れている。

これを変えるためには、システムそのものを変えなければならない。年齢制限を見直し、当事者を採用し、政策決定に参加させる。それは、単なる人事の問題ではなく、民主主義の根幹に関わる問題だ。

時間との戦い

今、日本は超高齢社会を迎えている。2025年には団塊の世代が75歳以上となり、医療・介護の需要は急増する。年金財政はさらに厳しくなり、制度の持続可能性が問われる。

この危機に対応できる時間は、限られている。だが、霞が関の人事システムは、この緊急性を反映していない。30代の官僚が10年かけてキャリアを積み、40代で政策立案の中核になる頃には、問題はさらに深刻化している。

必要なのは、今すぐ行動できる人材だ。問題を熟知し、経験を持ち、当事者の視点を持つ人々。彼らを排除している余裕は、もうない。

年齢制限は、組織の都合だ。だが、国民の生活は待ってくれない。制度の論理と現実の必要性が矛盾する時、どちらを優先すべきか。答えは明白だ。

変えられるか、変えられないか

霞が関の合同説明会で、誰も高齢者問題を語らない。それは、個人の関心の問題ではない。システムが、その問題を扱える人材を排除しているからだ。

この構造を変えない限り、高齢者問題は永遠に後回しにされる。そして、私たち全員が、いずれその問題の当事者になる。その時、声を上げる場所がないことに気づく。だが、その時にはもう遅い。

だからこそ、今変えなければならない。年齢による排除をやめ、当事者の声を制度に取り込み、問題の優先順位を現実に合わせる。

それができるかどうかが、日本の未来を決める。高齢者を排除する国は、やがてすべての人を排除する。逆に、すべての世代を尊重する国は、すべての問題に向き合える。

選択は、今、私たちの手にある。


【出典・参考文献】

  • 人事院「国家公務員採用試験」https://www.jinji.go.jp/saiyo/saiyo.html

  • 人事院「経験者採用試験」https://www.jinji.go.jp/saiyo/shiken/keikensya.html

  • 総務省「地方公務員の採用制度」https://www.soumu.go.jp/

  • 厚生労働省「雇用対策法に基づく年齢制限禁止の義務化」https://www.mhlw.go.jp/

  • 内閣府「高齢社会白書」https://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/

  • 厚生労働省「年金制度の現状と課題」https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/nenkin/

  • 総務省「公務員制度改革」https://www.soumu.go.jp/menu_sosiki/gyoukan/kanri/

  • 内閣人事局「国家公務員の人事管理」https://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/jinjikyoku/

いいなと思ったら応援しよう!