ファッションデザイナーになりたいという夢はもう諦めた
大学生だったある日。
雑誌「装苑」を読んでいて、「よし、ファッションデザイナーになろう」と思いたった。
雑誌を見ながら、手元のペンで自分の「姓」と「名」をひっくり返し、「YOUJI YAMAMOTO」「REI KAWAKUBO」みたいじゃんと、ひとり興奮した。
「善は急げ」「思い立ったが吉日」ということで、すぐに行動に移すところはぼくのいいところ。
1日目に「よし、なろう」と思ってどうすればなれるのか調べ、2日目に「文化服装学院」のパンフレットを取り寄せ、3日目に「装苑」のバックナンバーを買って、4日目には、やる気がすっかり消えていた。
やる気が3日ですっかり消えてしまったのは、ファッションデザイナーのクリエイティブさに憧れていただけで、自分が服にはまったく興味がなかったことを思い出したからだ。
服を作りたいわけではなかった。
そんなことにも気づいていなかった。
その3日間のドタバタは誰にもバレていないが、思い返すだけで自分が恥ずかしくなる。
ただ、そこには発見もあった。
「何かになろう」と思って「学校」を探し始めるようなやつは、まずそれにはなれないと断言できるようになったことだ。
本当にファッションデザイナーになるような人は、学校を探す前に、自分の服にフリルを付けている。
ボタンを全部外して好みのボタンに付け替えたり、気に入った柄の服をバラして裏地に縫い付けたりしている。
本当にやりたいことは、まず手が勝手に動いている。
やりたいと思って「学校」を探し始める人は、まずダメだし、更にいうと、クリエイティブ系の学校に行けば自分がクリエイティブになれると思っているその根性が、どうしようもない。
たとえば、芸人になりたい人は「養成所」に入るわけだが、それは、「芸人に弟子入りする」ような時代ではなくなったからしょうがなく養成所に入るのであって、養成所に入ったから芸人になれるわけではない。
お笑い芸人になる人は、学校に入る前から「芸人」である。
それと同様に、ファッションデザイナーになる人は、学校に入る前から「ファッションデザイナー」だ。
何かを作り出す分野においては、まず、作りたい衝動があって、それを仕事にするための現実的な手助け・情報・糸口を得るために「学校」がある。
逆ではない。
「学校」は、多くの生徒を確保したいがために、ダメな学校ほど、「ここに入ったら、君の作りたいものが見つかるよ」とそそのかすが、学校に入る前に衝動が湧いていない人が、学校に入ってから衝動が湧くことはない。
惑わされてはいけない。
衝動が先。「学校」は後。
逆はない。
まず、衝動がなければ、なにも始まらないのだ。
本当にやりたいこととは、すでに手と足が動いているかどうかで判断できる。
