ハンバートハンバートの「The First Take」出演を見て思ったこと
ハンバートハンバートが「The First Take」に出演した。
去年、朝ドラの主題歌を歌い、年末の紅白に出場し、満を持しての 「The First Take」だ。
ファンとしては、うれしいというよりほかはない。
わたしが最初にハンバートハンバートを聞いたのは、ラジオから聞こえてきた『同じ話』だった。
女性と男性の掛け合いで情緒的なメロディを歌う歌に耳を奪われた。
それから一枚目のアルバムに遡って聴き直し、ライブにも行き、下北沢でやっていた佐藤良成(男の方)の弾き語りライブにも足を運んだ。
ハンバートハンバートを聞き始めた20代の頃、わたしの周りにはプログレッシブロックを聞いている友人や、音楽に全く興味のない友人しかいなかったので、友人とハンバートハンバートの話をする事はなかった。
ロックしか聴かない友人からは、「”もたいまさこ”とか『かもめ食堂』みたいな歌ばっか聞くな」と言われ、音楽に興味ない友達には、「そのハンバートハンバートという名前は、”ガリレオ・ガリレイ”みたいな繰り返しによるリズムの良さみたいなこと?」と言われた。
どちらも話にならなかった。
ただ、たとえハンバートハンバートを好きな人が周りにいたとしても、話はたいして弾まなかったように思う。
アイドルなどの「推し文化」とは違い、ハンバートハンバートは、「押し上げる」ものではなく、生活の一部として入り込むものである。
過去に、一度だけハンバートハンバートが好きな人と話す機会があったが、「『アメリカの友』いいですよねえ」「『バビロン』もいいですよねえ」だけで、会話は終わった。
「好きのありかた」は人ぞれぞれである。
ハンバートハンバートは、(わたしの耳にまで届いた)『同じ話』が全国のラジオでプッシュされた後、小田急電鉄のCMソングとして「待ち合わせ」を発表し、アセロラドリンクのタイアップ曲として「アセロラ体操のうた」を出して、音楽配信サイトでデイリー1位を獲得した。
ハンバートハンバートは、徐々に知名度をあげていっていた。
途中、「国語」みたいな風刺の効いた歌も歌って、そういう方向にも行くのかなと思ったが、やっぱりそっちにはいかなかったし、佐藤良成が、ボーカルとギターだけの二人編成バンドを組んだ時は、「ハンバートハンバートに飽きてきたのかな」とも思ったが、気づいたら活動の中心はやはり、ハンバートハンバートだった。
さらに、『FOLK2』の発売時には、名作『虎』のMVに「ピース」の又吉直樹が起用され、「これで一気にハネちゃうかもな」と思ったが、そこまででもなかった。
それでも、マジカルラブリーが優勝した年のM1の公式映像に『虎』が使われ、お笑いファンにはしっかり届いていたようだった。
ハンバートハンバートは着実に人気を積み上げているように見えた。
ただ、ファンからすれば、もっと突き抜けてもいいように思えた。
ハンバートハンバートを日々の生活の中で聞き続けていた20代後半の頃、ハンバートハンバート同様によく聴いていた歌手がいた。
フォークシンガーの竹原ピストルである。
竹原ピストルは、その界隈では誰もがその才能を認める実力者だった。
その存在感あるキャラクターは、歌の世界にとどまらず、役者としても活動の幅を広げ、映画の主役にも抜擢されていた。
しかし、それでも、竹原ピストルは、依然として、マイナーな存在だった。
主戦場としてまわっていたのは地方の小さなライブハウスや、自身が「フォーク小屋」と呼ぶ、個人が運営する小さな酒場。
フォークに興味のある人や彼が出た映画を見た人でもない限り、まちで彼の顔を見て、「竹原ピストル」だと指を指す人はいなかった。
ピストル自身も、自分の演奏スタイルがメジャー向きではなく、一部のコアなファンにだけ突き刺さる歌だと自認していたし、それでいいんだと思っていた。
しかし、その彼の考えは2011年の大震災によって大きく変わった。
地震が起きた当日、ライブのため福島に入っていたピストルは、そこでしばらく、被災者とともに、避難生活を送ることを余儀なくされた。
大災害に打ちのめされた被災直後の人たちに、音楽に耳を傾ける余裕などはなく、ミュージシャンとして何もすることのできないピストルはギターを持つこともなく、一人の大人として子どもたちと遊んだりして時を過ごしていた。
誰も、ピストルのことをいっぱしのミュージシャンだと気づかない中で、ピストルは、東京から被災地に炊き出しにやってきた有名人たちが、現地の人たちをどれだけ勇気づけているいるのかを目の当たりにする。
皆に知られているということが、いかに人に元気を与えるのか。
そのことをまざまざと見せつけられたピストルは、それまでの自分の考えを思い直す。
「よし、自分もメジャーになろう」
そう決意してから6年。
保険会社とタイアップを組んだCMソングで、その年、年末の紅白に出場する。
小さなライブハウスで数えられるほどの客を前に、「これからメジャーになります」と言っていた男は、それから6年で、日本一メジャーな歌番組に出演した。
有言実行であった。
竹原ピストルが紅白に出演したのと、ほぼ同じ時期。
ハンバートハンバートが、NHKの対談番組に出演していた。
音楽番組以外ではじめて見るハンバートハンバートだった。
対談相手はお笑い芸人の「ナイツ」で、お茶の間に顔と名前が浸透しているナイツに比べ、ほとんどテレビに出ていなかったハンバートハンバートは、終始恐縮しているように見えた。
その中で、佐藤良成が、ある質問を振られた際に、「んー、紅白、出たいか出たくないかと言われたら、それは、出てみたいですね」と口にした。
その時、「竹原ピストルと同じだな」と思った。
そういう発言が出るということは、ハンバートハンバートの足はすでにメジャーに向けて進んでいるのだなと思った。
そのNHKでの対談番組も、そのための一歩目なのだろうなと感じた。
それから7年。
「Eテレ」の子ども向けソングなど、NHK仕事を着実にこなしていったハンバートハンバートは、昨年、朝ドラの主題歌に抜擢され、見事、年末の紅白に出演した。
有言実行であった。
かつて、くるりの岸田繁は、ハンバートハンバートの佐野遊穂(女性の方)のことを「女の子に生まれたら、あんな声に生まれたい」と語り、佐藤良成のことを「ほっとくと褒めちぎってしまうぐらい、ホンマにすごい人やと思う」と語っていた。
同業者から実力者だと認められつつも、マイナーな存在に留まっていた二人組がメジャーになるために必要なのは、確固たる意思だけだったように思う。
マイナーな時に鍛えていた強靭な足腰を持ってすれば、ハンバートハンバートがやるべきは、ただ足先をメジャーに向けて、最適なきっかけを待つだけだった。
それが『ばけばけ』の主題歌だった。
今回、ハンバートハンバートが「The First Take」に出演したわけだが、「The First Take」は、世界に届くチャンネルらしく、「世界にハンバートハンバートが見つかってしまう」という旨の書き込みもあった。
世界に、ハンバートハンバートの良さが理解できるのどうかはわからないが、意外と、ジプシーミュージックが盛んな北欧とか東欧では人気を博すのかもしれないとも思ったりもする。
だけど、世界で理解されようがされまいが、関係はない。
もうすでに十分、届くべき人のところには届いているようにも思う。
二人にとって去年から今年の動きは「ゴール」ではないだろうが、ファンにとっては素晴らしい「途中経過」であった。
最高。乾杯。
ずっと夢に見てたことが 今目の前で始まる
ぼくは夢を見ているのか そうここは舞台の上
たくさんの人がぼくらの うたう歌を聴きに来る
子どもの頃からの夢は まさに始まったばかり
ハンバートハンバートには、これから先、もっと大きな舞台があるのかもしれない。
しかし「大きな舞台」でなくても、良い歌が聴ければ、ファンはそれだけで満足である。
ただ、もし、今がまだ、「まさに始まったばかり」なのだとしたら、それはそれで、ファンはこの上なく楽しみである。
