いつも元気にあいさつしてくれる高校生たちへの不満
今時の高校生はよくあいさつしてくれる。
今時の高校生だからなのか、この学校の生徒だからなのかはわからないが、会う生徒、会う生徒、ちゃんと声を出してあいさつをしてくれる。
自分が高校生の頃、こんなちゃんとあいさつをしていただろうか。
たぶん、やっていなかったと思う。
机に肘をついて空ばかり見ていた学生だった僕は、大人とすれ違っても、あいさつなんてしていなかった。
当時の僕に比べて、今の子どもたちは、たいぶ、健全に見える。
特に運動部は、元気よくあいさつをしてくれる。
「おはようございます!」
坊主頭の生徒たちは、朝一で眠いはずなのに、はっきりとした大きな声であいさつをしてくれる。
「おはようございます!」
僕が、朝ごはんで食べたドーナツのクリームを口につけていた時も、同じように挨拶してくれた。
「おはようございます!」
会議の資料を両手いっぱいに抱えて、両手から落ちたファイルを膝で落ちないようにしていた時も、同じトーンで。
「おはようございます!」
髪をかなりばっさり切ってきた朝も。
「おはようございます!」
マスクとマフラーで顔を覆って誰だかわからない時も。
「おはようございます!」
なにひとつ変わらぬトーンで、同じようにあいさつする彼らは、眼の前にいる人が誰だろうと、どういう顔をしていようと、昨日と様子が違おうが、具合が悪そうだろうが、おかいまいなく、常に同じ音量と同じトーンで、「おはようございます!」とあいさつをする。
僕にも、他の先生にも、地域のおじさんにも、近くの保育園の先生にも、コンビニのオーナーにも同じようにあいさつする運動部の生徒を見て、「あの子たちは誰を見たらあいさつするように指導されてるんですか?」と、学校に一番長くいる先生に尋ねると、その先生は短く、「生きとし生けるものすべてにです」と、答えた。
あいさつとは、相互の「応答」であり、一番短いコミュニケーションだ。
大きな声でしなければいけないわけでもないし、「おはようございます」以外の言葉でも良い。
「やぁ」と言い、それに対し「やぁ」と返しても、あいさつは成り立つ。
そこには言葉がなくたっていいし、通じあえていることが嬉しく、意味あることなのだ。
たぶん、明日、僕が頭を剃って学校にきても、パジャマのまま学校に来ても、君たちは、大きな声でいつもどおりあいさつしてくれるだろう。
でも、ぼくはそんな君たちの「不動心」を朝から見たいわけではなく、「髪・・・どうしたんですか?」とか、「今日・・・パジャマですか?」という、君たちの動揺や狼狽した姿が見たいのだよ。
あいさつとは、相互の「応答」。
つまり、リアクションのこと。
「おはようございます!」と大きな声で言わなくても、「あっ」っと、驚いた顔をするだけでもいいんだ。
それが、目の前の人を認めるということ。
挨拶をする意味なんじゃないかと、僕は思うんだけどな。
