いつになったら「極東」という言い方は消えるのか
角刈りの高校生がツカツカ近づいてきて、言う。
「先生、鹿児島って西日本ですよね?」
「まぁ、東・西でいったら、鹿児島は西日本だね」
なんかの授業の話だろうか。
わかわからん。
日本を「東」と「西」に分けた場合、鹿児島は「西日本」ということになるけれど、鹿児島の人が自身を西日本のメンバーと思っているかと言われれば、そうではないだろう。
大阪人や京都人は「東」に対する「西」の意識があるかもしれないが、九州人や四国人は、対置する「東」がないために、「西」の意識はない。
それに、沖縄ほど緯度が低くもないので、「南」の意識もないだろうし、当然、自分が「北」にいると思ったことはないだろう。
東西南北というのは、相対的なものでしかない。
フランスの政治学者・エマニュエル・トッドは、著書の中で、「日本は”極東”というより”極西”なのだ」と言っていた。
日本は”極東”に位置している国だが、日本を、アジアエリアの端っこにある国(=極東)と考えるよりも、ヨーロッパからアメリカへと続く、西(欧米)エリアの端っこに位置する国(=極西)と見る方が、しっくりくるという説明だ。
ただ、日本を西諸国の一部として考えるべきか、アジアの一部として考えるべきかという前に、「極東」とか「極西」という言葉は、いまだになくならないんだなと、本を読みながら思う。
丸いはずの地球に、「東の極」や「西の極」があるのは、地球を平面として見た際の「中心」をどこかに置いて考えているからだ。
”どこか”というか、「西(=西洋)」に。
「西」の人は、自分たちに近い方から、「近東」、「中東」、「極東」などと、自分たちより東にある国を呼んできたわけだけど、彼らの基準である「西」はゼロポイントなので、「西」の中に、「近西」や「中西」はない。
「極西」という言葉も、「極東」に対する”概念”でしかないので、「極西」は、どこかの具体的な国を指しているわけではない。
日本人は、ど真ん中に日本が位置する世界地図を普段から見ているので、
「日本は極東なんだよ」と「西の人」に言われても、ピンとこない。
極東?
極東っていうか、ど真ん中のはずなんだけどなあ・・・。
そうした東西問題について、「西」でも「東」でもないアフリカの人は、どう思うのだろう。
「西」とか「東」とか言う前に、「アフリカも東西南北どこかに位置づけろよ」、と思うのだろうか。
最近はジェンダーの視点から、「看護婦」を「看護師」、「保母さん」を「保育士さん」と、性別の色が付いている言葉をなるべく失くし、性的に中立な言葉を使うように変わってきているが、いつか、文化相対主義の視点から、「極東」という言い方も、「西」の色が付いていない呼称に変わっていくのだろうか。
そのムーブメントは、アジアを始めとした「東」の国々や、「西」にも「東」にも入っていないアフリカやオセアニアの人たちから発生してくる可能性もあるが、ポリティカル・コレクトネスなどの動きを見ていると、「西」が、自発的に始める可能性も高い。
「西」の人々は、勝手に言い始めて、勝手に修正する。
