ことばの前にいる時間①|ことばや声にもレイキをのせて
「自分の気持ちや想いを、言葉にするのが苦手で……」
先日、そんなメッセージをいただきました。
とても正直で、胸に残る言葉でした。
言葉にするのは、難しい。
それは、決して特別なことではなくて、
多くの人が、どこかで感じていることなのだと思います。
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私はふだん、
「言葉や声にも、レイキをのせる」
ということを意識しています。
少し不思議な言い方かもしれませんね。
でも、これは
特別な技術の話ではありません。
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レイキを学んでいると、
「手の在り方」がとても大切にされます。
どう触れるか。
どんな気持ちで手を当てるか。
そこには、
相手を変えようとする力よりも、
ただ共に在ろうとする姿勢があらわれます。
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私は、これと同じことが
言葉や声にも起こると感じています。
何を言うか、よりも
どんな在り方で語っているか。
正しく説明しようとだけしていないか。
立派に見せようとしていないか。
急いで答えを渡そうとしていないか。
そうした「在り方」は、
不思議なほどに声の調子や、言葉の選び方に
にじみ出てしまうものです。
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だから私は、
うまく話そうとはあまり思っていません。
代わりに、
・いま、自分は落ち着いているだろうか
・相手の話を、ちゃんと受け取れているだろうか
・この言葉は、手渡すように差し出せているだろうか
そんなことを、
静かに確かめながら話します。
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講座や授業で話すときにも、
私が気にかけているのは同じことです。
いま、この時間を
一緒に楽しめているだろうか。
この場で交わした言葉や空気が、
あとでふと思い返したくなるような
記憶として残っているだろうか。
知識を「伝えきれたか」よりも、
その時間を「共に過ごせたか」を
大切にしたいと思っています。
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言葉にレイキをのせる、というのは
「癒そう」「解決しよう」とすることでは
ありません。
ただ、
急がず
飾らず
ごまかさず
その場にいる自分の状態を整えて、
言葉を置いていく、という感覚です。
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言葉にするのが苦手な人ほど、
実は、とても繊細に世界を感じていることがあります。
だからこそ、
言葉になる前の感覚が豊かで、
どう言えばいいのか迷ってしまう。
それは欠点ではなく、
大切な感受性だと思うのです。
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たなごころ塾では、
レイキだけをお伝えしているわけではありません。
文学を読んだり、
言葉の背景をたどったり、
ときには沈黙を大切にしたりしながら、
「無理なく言葉にしていく道」を
一緒に探しています。
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うまく言えなくてもいい。
途中で立ち止まってもいい。
言葉や声もまた、
手と同じように、
こころの在り方を映すものだから。
そんなふうに考えながら、
私は今日も、言葉を手渡しています。
