権力監視というジャーナリズムの存在意義
毎日新聞の記者時代、政治家の汚職など知能犯を追う大阪府警刑事部捜査2課などを担当していました。
その経験から言うと、捜査機関の内偵情報を得るのは至難の業です。テレビのコメンテーターが言うような「リーク」なんて、相当な敏腕記者でないとあり得ません。私は敏腕ではなかったので、連日の夜討ち朝駆け(午前5時台に始動、午前1時過ぎに帰宅)で、捜査員の自宅近くで待ち、最寄り駅で待ち、帰宅する捜査員の方々をつかまえて「禅問答」を繰り返していました。「東の方の自治体に注目している」みたいな米粒みたいなヒントを得て、積み上げるために。
ということで、新聞の朝刊でたまにある「きょう強制捜査へ」「きょう逮捕へ」といったいわゆる前打ち報道をするのは死に物狂いです。捜査機関は着手前に発表はしないので、水面下で情報を得なければならない。精神的に追い詰められます。朝日や読売の他紙に負けてはならないので。いや、同着になるのでさえギリギリ。もちろん間違えられない。
結果として、夜が明けて捜査機関が実際に動けば分かるので、前打ちに意味があるのかとの声もありますが、正確に前打ちできない記者は権力内部に食い込めていないとも言えます。
なぜ、権力内部に食い込む必要があるか。歴史が証明しているように、権力は都合の悪いことは隠す。だから権力を監視しなければならない。これがジャーナリズムの意義。ポイントはここ。
今は政治家として権力の立場にありますが、健全な社会のためにジャーナリズムが必須との立場から、私見を共有します。

ちなみに、この写真は大阪府警担当時代の1面トップの前打ち記事(ちゃんと署名は【田辺一城】です)。カッコいいものではなく、ギリギリ最終版(縮刷版になる)で他紙と並んだものです。
