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【週報_20260726〜20260801】短歌はドパガキ向けなのか


2026/07/26

朝、ちょっと日記本の手直しをしてから、高校のメンバーでリアル脱出ゲーム『10人の憂鬱な容疑者』@池袋。同期Iの勧めでsetlogなんかやっちゃいながら目的地へ向かう。会社の先輩とマーダーミステリーを遊んだことはあるが、こういうイベントに参加するのは初。演出などもやり放題なので、ジャンプスケアにひたすら怯えていたがそんなことはなかった。高校の仲良し8人と、はじめましての2人の計10人でレッツゴー。詳細は省くが、一歩及ばず失敗だった。ロジックはともかく正解は出せそうなところまでいっただけに悔しかった〜。制限時間が残り十分になったところで「あと一つ情報があれば……!」と焦りでうずくまってしまってナビゲーターのお姉さんにちょっと心配されていたことが解説のパートで発覚。すみません……それだけ本気だったということで……。短時間でスプリント的に脳をフル回転させるのは体験的にはほぼスポーツで、終わったあとはひたすら爽快だった。これ例えば2人とかだったら逆にコミュニケーションのコストが大幅に減るのでクリアできそうな気もする。十人という数もまた難度に関係しているのだろう。

興奮冷めやらぬまま、居酒屋に行って大盛りの唐揚げを食べながらだらだら話す。ハイボールを飲む。いろんな事を話した。ファッションにおける体(似合う・似合わない)と魂(着たい・着たくない)や、同期Iの結婚式の進捗、学生に文学の面白さを教えるとはどういうことか(どうしたら自分もまた虎になりうると気づいてくれるのか)、などなど。音楽をやっている友人Hからは「短歌や俳句などの文字の少ない表現はショート動画と同じくドパガキ向けなのか?」という問いが来て大いに白熱した。

カラオケに移動し、さっきの脱出ゲームが不完全燃焼だった友人Kの主導でマーダーミステリーを一本。自分は登場人物の中でも被害者に怯えるだけで殺意を持っていない側のキャラクターだったが、全員から犯行を疑われて散々だった。マダミスでよくある「密談」が下手。というよりあまりにも全体的な立ち回りが下手。自分はどちらかと言うと純粋な推理や謎解きのほうが力を発揮するタイプな気がする。

2026/07/27

二人分のお弁当をカバンに入れ、同居人と築地で集合。ビルの屋内テラスのような場所でお弁当を食べ、近くにある川沿いの公園でのんびりする。今日も暑いが、三十度前半くらいの気温なので常識的な夏といった趣がある。

ヘーゲルの読書会の担当範囲がもう少しで読み終わる。長い戦いだった……。明日には全ページ読み終わるので、そこから注釈を読み込んで要点をまとめ、レジュメを作る予定だ。まだまだ道のりは長いが、コジェーヴの文章もヘーゲルの文章もグネグネとした道を行ったり来たりするような感じで、わかりやすい解説書よりもこちらの方が哲学書の書き方として本道な気さえする。自分の体に馴染ませていくというか、理解ではなくて体得というか。寄り道しすぎると読書会に間に合わなくなりそうなので、頑張って仕上げるぞ〜。

カフェに寄り、日記でも書こうと思いカバンを開けたら充電器が入っていない。どうやら紛失してしまったようだ。しょぼしょぼと家に帰り、ヘッドホンを使おうとしたらハウジング近くのヒンジがバキッと音を立てて折れてしまった。立て続けにものを失う日。

美容室から帰ってきた同居人と、「お〇〇さん」という用語について話す。お相撲さんって直接的には人じゃない単語にさん付けしててそういえば変だよね、お遍路さんも同じかな、お百姓さんとかお役人さんみたいに職業のパターンもあるよね、等々。同居人は言語学畑のひとなのでたまにこういう話になり、楽しい。

2026/07/28

朝からヒトカラへ。日曜に会った高校の友人Hは音楽をやっていて、今度家に歌のレコーディングに来ないかと誘われたので、歌の練習のモチベーションが上がっているのだった。とはいえ歌はだいぶ自己流かつ下手くそで、喉で頑張って歌うクセがどうしても抜けない。今日はできるだけ楽に歌うぞ、と意気込んで部屋に入り、いつもよりはマシに歌えるようになった気がする。その時の喉の感じを忘れまいと帰途につくのは、手で測った幅を保存しながら歩くときと同じような感覚だ。

家でいろいろなことをやる。コジェーヴ『ヘーゲル読解入門(上)』の担当分をやっと読み終わり、これから手書きのノートをすべてドキュメントにまとめないといけないと思うと途方に暮れる。外からホワイトノイズのような音が聞こえてくると思ったら雨だった。窓を開けるとちゃんと雨の音になる。バラバラと音を流して、最後に窓を閉めたらノイズみたいな音になる。

『季刊日記』二号を読む。日記がたくさんあるのはやっぱいいな。それぞれの日常があることを実感すると同時に、わたしもわたしの日記を書くぞという気持ちが高まる。それにしても今日の日記の書き方は『季刊日記』で読んだものにだいぶ影響されているな。普段はもっとふざけています。

熊本で巨大な地震があった。取り急ぎ千円を寄付する。一人でも多くの人が無事でいますように。

2026/07/29

バスに乗って市内の大きな図書館へ。ここ数日の気温は、夏として常識的な範囲に収まっていたのだが、今日からまた数日間はとても暑くなるらしい。グラデーションを失くした青い空に焼けるような日差し。ここ最近はもっぱらサンダル派になり、足の指先は日焼けで黒くなっている。

今回の目的は『ヘーゲル読解入門(上)』の理解を深めるために『精神現象学』の下巻を借りること。図書館のレファレンスを活用しながら探すと、熊野訳と長谷川訳のふたつのバージョンがヒットした。訳出の方法や訳者のスタンスなどを色々考慮し、悩んだ末に熊野訳を選択する。そのほか同居人から頼まれていた本を3冊。本当は組版デザインの本も借りたかったのだが、冊数が多すぎるのとピンとくる本がなかったのとで断念。読書用に持ってきたものを含めてそこそこ重い書籍五冊+パソコンという充実した内容になったリュックは何かの修行かと思うくらいに重い。亀のように首をすくめ、ふらふら歩いて隣のショッピングセンター内にあるカフェに流れ着く。フレンチトーストを食べたらわかりやすく元気が出てきて、帰途につくことができた。結局糖分は強い。

晩ごはんは近所のトルコ料理店でケバブ丼をテイクアウト。受け取り口で気さくなトルコ人のお兄さんが作ってくれるのだが、丼をビニール袋に入れながら「ねむい……」とこちらに話しかけてきた。独特なコミュニケーション。ついでにトルコアイスも買って、家でトルコのことを調べながら食べる。トルコ語は日本語と同じ膠着言語らしい。本場のトルコアイスは粘りがすごすぎてトルコの人は食べる際に必ず水を用意し、日本のアイスでも水がないと不安らしい。トルコとかタイとかにも行きたいねと話す。

2026/07/30

ふと思い立ち、御徒町〜秋葉原方面をうろうろ。御徒町ではモンベルの店舗に行き、小さい財布を買った。財布をどんどん小さくしたい。その後秋葉原のヨドバシに寄ったが、特に欲しいものもなくそのまま退出。明日誕生日なのもあり、何かちゃんとしたものを買わなければという謎の強迫観念のようなものがある。せっかくなので上野に一旦移動して前から行きたかった古着屋へ。店員さんが気さくで質問や感想を足場に会話が進む。最近はアクセサリーをメインでやっているんですよ〜と言っていたが、服のチョイスが面白く、楽しんで買い付けをしているのだなと思う。何かがすごい好きな人や店はそれだけで魅力がある。結局シャツを2着購入。家のシャツがいよいよ多頭飼いで飼育崩壊を起こしそうである。おまけでキャップを貰ったのだが、頭のてっぺんがとんがっていて、その雑な作りが愛しい。買い物欲も雲散霧消し、穏やかな気持ちで帰途に。

ふと思い立ちパート2で、机の上のPCやモニターなどのレイアウトを変える。ぜんぜん掃除が追いついてなく、埃で喉をやられる。ついでにケーブルの数を減らした。そんなにいらないと前々から思っていたので、スッキリさせることができてよかった。

2026/07/31

誕生日。毎年プロフィールに上がる風船の画像をアップするのだが、プロフィール画面に行っても一向に風船が登場する気配がなく、仕方ないので風船ゼロの画面を投稿した。誕生日だからといって自惚れるなということか。

お昼はいきなりステーキでステーキを食べる。誕生日だしこれくらいはいいだろう。久しぶりに大量の厚切り肉を食べ、明らかに機嫌が良くなる。

渋谷で同居人と合流し、カサデサラサというタコスの店へ。道中ちょっとしたことで険悪になり、タコス屋の店内で喧嘩したり話し合いをしたりする。最近、特に同居人に対してイライラするようになった。自分に余裕がなくなったなどの理由もあるが、他者に期待をするようになったのが大きいのではないかという話をする。大多数は思春期とか大学生とかで通過するような感情の変化に、30歳近くになってやっと差し掛かったということだ。それはこれまで自分中心で生きることで副次的にできていた「他人に期待しない」ことを、頑張って獲得しなくてはいけないことを意味する。発達障害が「発達」の「障害」であるゆえんをまざまざと思い知る。なんで誕生日だ。ここからは頑張って期待しないこと、不満があってもそれを表出しないことを頑張って体得していきたいと思う。同居人とはヘルシーで心地よい関係を続けていきたいので、一層の努力をしていくつもりだ。タコスは美味しかった。また食べに行こうと話す。

本当は不安感に対する薬を服薬しているのでお酒は控えなければいけないのだが、折角の誕生日だしということでコーン入りのビールを飲んだ。そうしたら帰りに、なぜか身体がとても緊張しだして強い尿意に襲われる。膀胱には何も入っていない感じがあるのに、漏らしてしまうかもという切迫感だけがある。急いでトイレへと駆け込み、用を足すと緊張のあまり手と膝が震えていた。そこからは電車に乗ったが、駅に停車してドアが開くたびに「ここで一旦トイレに行かなくては移動中に間に合わなくなるんじゃないか」と思ってしまい、それを意識するたびに切迫感が突き上げてくる。毎駅トイレに行かなければと思ってしまう。これでは駅をスキップする快速には到底乗れないので、同居人には先に早い電車に乗ってもらって自分は各停で備えつつ帰る。癖になってはいけないと、途中の駅では意識して「これは気の所為だ、神経が尖っているだけだ」と言い聞かせ、YouTubeなどを見て気を紛らわせていくつかの駅はスルーする。最終的に60分ほどの道のりのあいだにトイレには四回ほど寄り、なんとか家の最寄りへ。こうなると流石に安心したのか、尿意はかなり収まっていた。薬とアルコールの関係で緊張感や不安感が増強したのだろうか。もうお酒を飲むのは本格的に控えたほうがいいな……。

2026/08/01

同居人は東京に遊びに来ている両親と会いに、朝家を出ていった。私はお昼に心療内科へ。電車に乗るとまだ機能の余波か、ちょっとトイレが気になるが頑張って我慢して目的地までトイレに寄ることなく到着。こうやって成功体験を積んでいくのが近道だと判断した。心療内科では電車に乗るとトイレが不安なことや仕事のことを色々相談したが、結局は様子見をしましょうということで落ち着いた。焦ってあれこれ対策を打つのがかえって良くないこともある。いつもの薬を出してもらい、傷病手当金の記入をお願いして終了。次回行くときには仕事に復帰するための診断書を書いてもらうつもりだ。

わしわしと読書会のレジュメを作る。一度ひと通り読み、その時に残したメモを元にレジュメを書いているのだが、当時読んだときと今読んだときでぜんぜん意味が違って見える。というか一度目に読んだときの自分が読めてなさすぎて結局読み直すことになっているというのが正確なところだ。やはり哲学書は一読しただけでは(特にヘーゲルは)雰囲気を掴むのが関の山で、各文章の意味を正確に捉えようと思ったら何度も再読して理解を少しずつ塗り固めていかなければならないのだと痛感。以前読んだ哲学書も、今読んだら新しい発見に溢れていると思うと自宅の本棚も宝石箱やー。

夜、同居人が帰ってきてからなんとなく『ジャンケット・バンク』の話をする。自分の理解力が及ばないのか、どのゲームも大体の構造は同じで(目的を達成しようとする側とそれを妨害する側が存在する)、しかも毎回ルールを理解しきれないままゲームが終了する。なのに漫画としてはとても面白い。その意味で『ヒカルの碁』と同じ話の構造だよなと話した。むしろルールがわからなくても漫画は成立しうるもので、『スラム・ダンク』を読んでもバスケに詳しくならないことを考えると、そのような表現の仕方はむしろ王道のような気がする。

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