【歴史の裏メニューVol.3】スープに浮かべると虫が泳ぎ出す?19世紀・英国海軍の「歩く乾パン」
こんにちは。「世界史の激まず料理三部作」も、いよいよ今回で最終回を迎えます。
古代スパルタの「死よりマシなスープ」、中世農民の「スプーンが直立する泥」と巡ってきましたが、ラストを飾るのは18〜19世紀の大航海時代から近代にかけての物語。
当時、世界最強と謳われ、七つの海を支配したイギリス海軍。その圧倒的な大英帝国の繁栄を、海の底で支え続けた船乗り(水兵)たちの、涙なしには読めない伝説の保存食、「ハードタック(シップ・ビスケット)」の歴史を紐解きます。
■ 石の硬さを持つ、小麦粉の「レンガ」
大航海時代の船旅は、数ヶ月から時に数年におよびました。冷蔵庫も缶詰もない時代、最大の敵は「腐敗」です。
そんな過酷な洋上生活で、船乗りたちの主食となったのが「ハードタック(乾パン)」でした。
作り方は、小麦粉と水と塩を練って焼くだけ。
……これだけ聞くと普通のパンのようですが、最大の特徴は「水分を極限までゼロにするために、4度も5度も繰り返し焼き直す」という製法にありました。
完成したそれは、もはや食べ物というより「レンガ」か「石の塊」です。
あまりの硬さに、そのまま齧ろうとすれば高確率で歯が折れました。
そのため、船乗りたちはこれを手に入ると、まず木槌で叩き割ったり、大砲の弾に叩きつけて砕いてから口に入れていたといいます。
味は、水分も油分もないため「ただの味のない粘土の塊」を咀嚼しているようなもの。しかし、これ自体はまだ、絶望の序章に過ぎませんでした。
■ 「歩く乾パン」と呼ばれる恐怖の理由
このハードタックが本当に恐ろしかったのは、船の倉庫で何ヶ月も保管されているうちに、高確率で「コクゾウムシ」の幼虫が内部にびっしりと湧くことでした。
パンの袋を開けると、中から無数の虫たちがモゾモゾと這い出てくる。それゆえ、船乗りたちは敬意と諦めを込めて、この主食を「歩く乾パン」と呼んだのです。
あまりの虫の多さに、当時の水兵たちの間ではこんな「食べ方のライフハック」が共有されていました。
1 暗闇で食べる: 虫の姿を見ると精神が崩壊するので、あえて夜間や薄暗い船底で、見ないようにして食べる。
2 紅茶やスープに浸す: 硬い乾パンをふやかすためにスープに入れると、熱さで中から幼虫たちがプカプカと表面に浮いてくる。それをスプーンで器用にすくい落としてから、本体を口に運ぶ。
文字通り、虫と戦いながら、石のような塊を噛み締める日々。
それでも、ビタミン不足で歯茎から血が出る「壊血病」の恐怖や、いつ沈むかもわからない嵐の海の中で、船乗りたちはこの味のない乾パンをスープでふやかし、お互いにブラックジョークを飛ばし合いながら、命を繋いでいたのです。
大英帝国の栄華は、この乾パンを噛み締めた男たちの、少し切なくて、圧倒的に逞しい犠牲の上に成り立っていました。
■ 【歯折れ注意】19世紀・英国海軍「ハードタック」再現レシピ
世界中の海を股にかけた男たちの、孤独とプライドをキッチンで追体験してみましょう。
今回は、現代の衛生環境に合わせて「虫は湧かないけれど、当時の硬さは完璧に再現した」レシピです。顎の力に自信のある方だけ挑戦してください。
【材料】
小麦粉(強力粉でも薄力粉でも可):200g
水:70ml〜80ml(限界まで少なめに)
塩:小さじ1/2
※油、砂糖、イースト、ベーキングパウダーの投入は、海軍の規律により一切禁止します。
【作り方】
1 限界まで硬く練る
ボウルに小麦粉と塩を入れ、水を少しずつ加えながら練っていきます。「ボソボソして、これ以上まとまらない!」という一歩手前の硬さを目指し、渾身の力で一塊にまとめてください。
2 成形と「通気口」
生地を厚さ1.5cm〜2cmほどの四角形に伸ばします。均一に乾燥させるため、フォークを使って、これでもかというくらい全体に深く穴を開けてください。
3 地獄の4度焼き(現代アレンジ)
170℃に予熱したオーブンで、まず30分焼きます。一度取り出して裏返し、さらに30分。これを水分が完全に消え失せるまで数回繰り返します(※焦げないように注意しつつ、とにかく「乾燥」させます)。
4 完成(そして乾燥)
焼き上がったら、数日間風通しの良い場所に放置して完全に水分を飛ばします。叩いた時に「コンコン」と軽快な石の音が響けば、海軍公式ハードタックの完成です。
◎ 正しい食べ方
紅茶、または薄い塩スープを用意してください。乾パンをそこに数分間沈め、じっと待ちます。
ふやけた乾パンを口に運び、当時の船底の湿った風と、カモメの鳴き声を妄想しながら咀嚼しましょう。
顎が疲れてきた頃、現代のふんわりとした食パンが、どれほど温かい奇跡の食べ物か気付かされるはずです。
美味しいものが当たり前にある現代。
だからこそ、こうした「極限状態の中で、命を繋ぐために生み出された食のカタチ」を知ると、当時の人たちの生きるエネルギーに、どこか胸が熱くなるような切なさを覚えます。
全三回にわたってお届けした「世界史の激まず料理三部作」、いかがでしたか?
歴史の表舞台に立つ華やかな美食だけでなく、こうした泥臭くも逞しい「裏メニュー」たちも、また私たちの歴史を動かしてきた大切な食文化です。
これまで以上に、日々のひと口を愛おしく感じていただけたら幸いです。
また次の記事で、今度は美味しい物語を用意してお待ちしています。
