最初の介護施設を退職し壊れた経緯
初めて就職した介護施設で言われた
『最初から出来ないと決めつけない』
現場は覚えてる限り転倒リスクのある利用者様数名に統合失調症3名、経管栄養2名、意思疎通は困難で食事介助が必要な利用者5名。
介護職は3名
新たに意思疎通はできず暴力行為のある利用者様の入居の相談が来た。
ー現場は当然無理だと伝えた。
管理職、主任、ケアマネは『最初から出来ないと決めつけない』と強引に入居を決定した。
あとから聞いた話では満床にしろと本部からの圧があったらしい。
ーただでさえ異食行為、自殺願望、帰宅願望、空腹、転倒リスク、放尿、大声、暴言の絶えない現場で、これ以上転倒しても責任は負えないと伝えた。
転倒ありきの入居の為、最低限の事をやっていれば職員に責任は問わないと言われた。
精神薬も眠剤も4点柵もありとあらゆる物が介護施設だからと反対された。声掛け次第で何とかなるとー
ケアマネが声掛けのお手本を見せきて、30分かけて傾聴し不穏な利用者様は落ち着いた。
ただ、その間他すべての利用者様の対応は現場職員に任せていた。
そもそも、他利用者様にも転倒リスクがあり、居室から離れると自殺願望が出てしまうのが問題だったため、なんの参考にもならなかった。
ケアマネが満足して帰ろうとした。離れようとしたため利用者様は不穏が再開した。それを見て『お手本を見せたからあとはよろしく』
その後二度と事務所の人間が来ることは無かった。
職員の身体一つで、自らベッドから落ちようとする利用者様を拘束なしに常に数名見れるわけもなく暫くして転落し骨折した。
事務所ではカメラを確認し責任追及が始まった。
責任は問わないと言っていたにも関わらずー
『転落した時は何してた?』
「他の利用者様のセンサーで転倒しそうな利用者様を対応していました」と伝えた。
『優先順位は考えなかったの?』『先に声掛けをして待ってもらうとか』『やりようはいくらでもあった』『自分だったら転落させなかった』
声掛けで待ってもらえると思っている時点で話にならないと思った。
「そもそも体1つで全員見るなんて無理ですよ」と何度も伝えた。
返答は『自分達の時はこんなものじゃなかった』『空き部屋が出来たら赤字になる』『ボーナスが要らないなら利用者様を選んでもいい』との事
自分が退職する数か月前に集団退職があった。
施設の為では無く、同じ職員の為に仕事をしていた人たちが、一人の退職を期に一斉に退職した。
事務所はそれを見て『仲良しごっこかよ』と馬鹿にしていた。
自分が退職する2か月前、次は胃腸炎が施設で流行った。
集団退職で人数も居ない所で更に現場に出れる職員が減った。
残っていた普段現場に関わっていない健康な事務所が現場対応するしかなくなった。
事務所の人たちは久々の現場だと最初は気合が入っていたが、翌日事務所の何名かは現場に入ろうとしなかった。
転倒と不穏が重なり他フロアにヘルプの連絡がきた。自分達は無理だと伝えていたが出来ると言ったのは自分達だと伝えた。
この時、既に自分の頭のネジは狂っていた。
ヘルプには行かなかった。
そもそも一人しかいないので行けなかった。
事務所が現場に入って4日目、事務所内で言い合いが始まった。『精神病院に受診をお願いするべき』『こんな状態じゃ何もできない』『昨日行ったから今日は行ってよ』
頭の中で描いていた『自分だったら声掛けの仕方で不穏にはさせない』『こうすれば転倒しないはず』という理想と現実の差。
結局5日目にして家族に早めの精神科へ受診・入院を勧める電話を入れていた。『施設で見れるレベルではないー』と
その光景をみて自分の中で何かが切れた
今までずっと記録にも残し、口頭伝えていたのに。
『眠剤や精神薬に頼るな』『拘束0を目指す』という理想
自分達が大変にならないと大変さが理解できない。
自分達には関係ないから理解しようとしない。
電話をしたと報告が来た時、退職を伝えた。
退職時に面談があった
納得がいかなかなった。と伝えた
『自分達が現場に入った時は特別大変だったから想像できないと思う』と返ってきた
入職前コミュニケーションが苦手だった自分が、ケアマネと主任、管理職を詰めていた。
理想だけの介護知識のない無能集団だったと伝えた。
とうに頭のネジは外れていた。
