佐久間博秀 自己紹介

「髪が後退しているのではない、私が前進しているのだ」と言ったのは、ソフトバンク社長の孫正義だということになっているが、2000年に結婚する時、確かに私は同級生にそう言った。「そろそろフリーダイヤルしたほうがいいんじゃねーのか?」とからかわれた時、「髪が後退してんじゃなくて、俺はいつも走っているからそう見えるんだよ、コンニャロメ!」ってふざけて言い合ったのを、たぶん孫正義が目撃していたんだと思う(笑)
ぬいぐるみのお医者さんから、家族問題の修復支援へ
はじめまして。青森県平川市で、民宿 みさと記念館 やファミリーシェルター、有機農業「ぬこのひたい農園」などを運営している佐久間博秀(さくま ひろひで)と言います。
23匹の猫とカワイー女性と共生しています。猫を飼う以前から、私は「たまさん」と呼ばれいたので、それを名乗って「たまさん家族相談」や「たまさん放課後カフェ」という子ども食堂みたいなこともやっています。
長年、東京と仙台で映像ディレクター、ぬいぐるみ修理の専門家、原発廃炉のアクティビストをしてきましたが、現在、青森では「家族問題の修復支援」を中心に、いろいろな活動にチャレンジしています。
それらは一見バラバラに見えるかもしれませんが、私の根底には高校時代から変わらない「子どもファースト(子どもの権利を守る)」という活動軸があります。
このnoteでは、私がなぜ青森で多角的な活動をしているのか、その原点とこれまでの歩みをご紹介します。
1. 原点は「子どもの権利条約」と、作られた映像への失望
1971年、福島市生まれ。幼少期から高校生までは仙台市で育ちました。父方の先祖は、涌谷伊達安芸の右筆(書記官)を務めた家系で、先祖は武士または坊主ばっかりw
私の社会活動の原点は高校時代にあります。10代のはじめの頃から社会運動に興味があり、高校生の時には、菅直人元首相の長男・源太郎氏による「国連子どもの権利条約の日本批准を目指す全国キャラバン」を手伝ったことがありました。いわゆる子どもの権利条約を日本国にも批准するよう求める運動を未成年の立場から行ないました。
そこで「子どもは両親とのふれいあやつながりを大切にし、両親から養育を受ける権利がある」という概念に深く触れることになります。
2026(令和8)年4月から始まる、民法改正による共同親権制度の導入は、この子どもの権利条約の理念を受け継いだものになっています。
私は小学生の頃から、テレビ番組制作の世界に強い憧れを持っていましたが、東大文一を目指したくせに、高校では物理の授業が面白くて楽しくて、選択科目を間違えて(?)大学受験は不合格でした。
ちょっとアルバイトのつもりで入った郵政省に勤務(そのころは郵便制度は国営でした)するうち、大学には興味がなくなり、専門学校を経由してすぐに映像の世界へ。東京と仙台で20年弱、テレビディレクターとしてニュースからドキュメンタリーまで幅広く制作しました。
専門学校に入った頃は、いわゆるバブル経済絶頂期で就職先も引く手あまたでしたが、卒業する頃にはバブルが崩壊し、誰もが内定取消の憂き目に。芸能事務所や放送プロダクションが倒産したり、夜逃げするような時代でした。
しかし私は、とある「戦力」として、いろいろな現場で重宝されるようになりました。取材テープが山積みだけどプロダクションが倒産したとか、編集するだけの状態なのに局外のディレクターが解雇されたりと、放送素材が中途半端な状態なのを「なんとか形にする」という、テレビの裏側の掃除屋でした。言い換えれば、ちょっと追加取材をして「それらしく作る」、というツギハギだらけの番組作りを密かに担ってきました。
やがては、ビデオ、カラオケ、AVなど、いろんな映像作品に関わりましたが、だんだんと気がついてしまったのです。テレビというのは、報道も含めて「すべてが仕組まれた娯楽」なのだと。そこに真実があることは少なく、自分が毎日、「仕込み」という名の〝ヤラセ〟を余儀なくされていたのでありました。
どんな番組にも台本があるのです。演者はそのとおりに話し、そのとおりに演技をします。新婚さんいらっしゃい!の司会者がひっくり返るタイミングは、あらかじめ決まっているのです。
「いま流行のこれ!」・・・って、そんなふうに放送するから、それが流行になるんです。ニュースは、誰が取材し、誰がその指揮をし、誰が得して、誰が損をするようになっているのか、よく見極める必要があります。
今のマスコミさんたちは「調査報道」する能力が果たしてあるでしょうか。時折見かける「独自(独自取材)」という見出し、あれいったいなんでしょう。報道ではなく「横並びのお知らせ」になっていることすらあります。
その時代は、なんとなくテレビというのは正しいことを言っているような印象と雰囲気がありました。また、テレビが社会の鏡でありお手本だと信じられていた時代でもありました。一部のテレビマンには「取材してやってる」感があったり、テレビマンをちやほやして取材力の恩恵に預かろうとする人も・・・そんな世界線の中で、自分に求められていたのは、真摯な取材をする、人々の役に立つ企画を立てる・・・というものではなく、お金の絡むスポンサーやプロデューサに忖度した物語を紡ぐことでした。それを仕組む側から決して出られないジレンマを感じて、ギョーカイを去りました。30歳代後半のことでした。
2. ぬいぐるみのお医者さん、そして「ブラザー・ベア」へ
2000年に結婚し、2003年に妻と共に仙台でインターネットの縫製店 みさとソーイング を起業しました。累計で2万体以上のぬいぐるみを修理・クリーニングし、NHK Eテレで「ぬいぐるみのお手入れ講座」の監修も務めました。2011年の東日本大震災では、津波で泥や油にまみれたぬいぐるみの救出ボランティアを行いました。
「たまさん」というニックネームは、このお店の電子掲示板に出てくる接待係のリラックマにその名前がついていて、私はいわゆる「中の人」だったので、皆さん私をそう呼ぶようになりました。

震災後、私は福島原発事故による放射能汚染への怒りから、2012年にアメリカ・カリフォルニア州へ渡り、サンオノフレ原発の廃炉運動に参加し、他の仲間たちと一緒に廃炉へと追い込む成果を挙げました。
現地では「ブラザー・ベア(Brother Bear)」という愛称で呼ばれ、インディアンの酋長からは「困難な時に神の言葉を聞くための神聖な道具」である熊のメッセージスティックを授かりました。
3. 青森への移住と、直面した「家族の危機」
放射能汚染から逃れるため、2013年に青森県平川市へ移住しました。2012年6月に、先に妻と長女を妻の実家へ避難させ、私は一人残って家業をつないでいたところ、12月には次女が誕生し、2013年3月には理想的な家を見つけ、購入することができました。
しかし、その家に定住して何日も経たないうちに、妻が子どもたち(当時3歳と0歳)を連れて実家へ戻ってしまい、突然の別居生活が始まりました。
そこからは壮絶な葛藤の日々でした。妻からの「無理筋」な離婚調停、行政を利用した住基支援措置(住所秘匿)の応酬。一度は子どもたちを「連れ去り返して」仙台へ逃亡したものの、裁判所には一切考慮されず、再び子どもたちを引き離されるという理不尽な経験をしました。
また、この過程で警察から不当な「DV加害者扱い」を受けたため、現在は警察の越権行為に対して民事訴訟や国家賠償請求訴訟を起こし、情報公開請求を通じて行政の実態を明らかにする活動も続けています。
児童相談所の記録から「DVの事実は確認されず、青森県警でも関与しないとなった」という一文から、濡れ衣を着せられた私のDV加害事実は否定され、さらには〝DVの証拠〟も捏造された疑いがあり、裁判所はその判断を避けて証拠採用しませんでした。いったいなぜこんなことを・・・子どもの親権を自分だけのものにしようとして、そのような行動に出た模様で、いわゆる「実家依存」の教科書的事案でもありました。

警察は「2年前に母が父(私のこと)からのDVを訴え、別居し住基ブロックしていたが、先日、DVの事実は確認されず、青森県警でも関与しないとなった」と児童相談所に伝えていた
4. 津軽で見えた社会課題と「民間シェルター」の設立
青森で暮らす中で気づいたのは、親の離婚による片親疎外、リストカットやオーバードーズの多さ、そして「家」の伝統に縛られて居場所を失う人々の存在でした。
私は、自身が当事者として味わった「行政支援の偏り(女性の保護偏重と、加害者レッテル貼り)」に疑問を持ち、2014年に性別を問わない独自の「民間シェルター」を立ち上げました。
一般的なDVシェルターとは違い、あえて居場所を隠しません。なぜなら、隠すことは相手の怒りを増幅させ分断を煽るだけだからです。私は当事者とともに歩み、「被害者・加害者」というレッテルを貼らず、双方の言い分を聞いて関係の再構築や「納得のいく別れ」を支援する「修復的支援」を行っています。
私の民宿旅館では、外国からのゲストさん、DV被害で避難している人、加害者で配偶者と距離を取っている人、近所の人、そしてたくさんの猫とワタシ・・・みんなで一緒にゴハンを食べたりしています。レッテルなんて貼らなければ、問題なく過ごせるものです。
時には「レンタルお父さん」として、ひとり親家庭の子どもたちの宿題を見たり、悩みを相談にのることもあり、それがだんだんと子ども食堂のようになり、たまさん放課後カフェという形に落ち着きました。
5. 世界の常識と、日本の非常識(共同親権の推進)
2017年に開業したゲストハウス「みさと記念館」には、最初の2年で、世界70カ国以上から約1,000人のゲストが訪れました。 彼らと各国の家族法制について語り合う中で、離婚後にどちらか一方の親しか親権を持てない「単独親権制度」が、いかに時代遅れであるかを痛感しました。現在、共同親権の概念がない国は日本と北朝鮮くらいだと言われています。
しかし、仲間たちとの協働が実って、2026年4月から親が離婚したとしても、父と母の両方が親権を維持して共に子育てに関わるという共同親権が始まります。まだまだ未熟なところがある法制度ではありますが、子どもから親を奪うことを決して許さないという悲願が、ようやく達成されようとしています。
子どもを連れ去ったり、離婚した配偶者と引き離したりする親は、だんだんと親として認められなくなる世の中(諸外国並み)になるかも知れません。それは、最大の児童虐待であり、最大の夫婦間DVであることは世界のスタンダードだからです。
私は「子どもが父母の両方から愛情を受ける権利(国連子どもの権利条約)」を守るため、日本国内の子どもを巡る人権問題について、国連への現状報告を続けるとともに、面会交流支援を積極的に行っています。
最近では、まだまだ日本国内で時折見かける児童労働搾取の問題に取り組んでいます。
例えば、高校生や大学生に対して「良い社会経験だから」と触れ込んで、商業的なデザインを無償で引き受けさせたりすることを問題視しています。「子供が自分で、それでも良いと言ったので」というのは理由になりません。
適正な対価を支払わなければ、それは〝搾取〟に他なりませんし、その是非を未成年に判断させることは大人として無責任では?と考えています。ましてや、その相手が私企業であれば尚更です。私企業の利益のために、子どもの能力を搾取するべきではありません。
6. ぬこのひたい農園と、これからの使命

現在の活動拠点である「ぬこのひたい農園」の開墾には、驚くべき裏話があります。
手に入れた土地には、なんと54トンもの産業廃棄物が埋まっていました。それらを撤去した後も土中には大量の石ころや瓦礫(礫)が残っており、根菜類が全く育たない状態だったのです。
業者に見積もりを依頼すると、土の入れ替えや礫の除去にはおよそ400万円もの費用がかかると言われました。「それなら自力でやるしかない」と、私は独自の「電動土ふるい機」を設計・製造し、農園の土を深さ1メートルまで掘り起こして石を取り除くという途方もない計画を立てました。当然、私一人ではどうにもならないため、旅行者に無料で宿泊場所を提供する代わりに農作業を手伝ってもらう世界的なネットサービス「カウチサーフィン」を利用することにしました。すると、募集を見た世界中から、どういうわけか各国の「軍隊」の現役・退役軍人たちが集結したのです。
その顔ぶれはすさまじく・・・
• イギリス陸軍 特殊部隊
• アメリカ海兵隊
• スウェーデン陸海軍
• 韓国軍 特殊部隊
• 中国人民解放軍 など、屈強な体力の持ち主ばかりでした。
彼らはあくまで「旅行者」として約1週間滞在し、私はその対価として、地域ガイドや食事、入浴などの援助を提供しました。
中でも伝説的な活躍を見せたのが、大英帝国陸軍省の軍人であるダレン・ブロードハスト(Darren Broadhurst)ご夫妻です。なんと、彼らたった2人の人海戦術で、農園全体の25%にあたるエリアの土をあっという間に綺麗に整地してしまいました。
このようにして、世界中から集まった「多国籍軍」の圧倒的なパワーに助けられながら、数年がかりで石を取り除き、農薬を使わずに有用菌を培養し続けた結果、今では絶滅危惧種のキノコ「ハタケチャダイゴケ」が生えるほどの豊かな土壌が完成したのです。
そして猫たちは100坪の農園をイキイキと闊歩し、うんちは一箇所に集められて米ぬかと混ぜ、高温発酵の有機肥料として生まれ変わります。
まあ、こんな感じの動画求人も・・・(あれからもう9年が経つのね)
ところで、私は髪を金色にしています。これは「偏見を持つ人を見分けるリトマス試験紙」です。「あの人は金髪だから・・・」とささやく教育関係者を私は信頼しません。トレードマークの 白シャツは「相談者の色に染まる(寄り添う)」意志の表れです。
北朝鮮という異質な社会に好奇心的興味があり、強い関心があります。時々Youtube動画にハングルで自分の名前を出したり、自分の作る動画に北朝鮮の歌を忍ばせたりして楽しんでいます。そうすると、いわゆるレイシストのみんな様は、自動的に私からサーッと離れていってくれます。
自分の子どもと自由に会えない理不尽さはまだ続いていますが、自分の子どもたちが成人するまでには、共同親権制度を実現したいと思っていたので、もうそれで満足です。父親の悪口を吹き込む母親と、その母親の言葉を信じて着いていかなければ行きていけない子どもたち。その状況を救う術は今の日本にはありませんので、私はあえて抵抗せず、自分の人生を楽しもうと思っています。

家族という密室にとらわれないでいることは、人生の風通しをとてもよくしてくれて、私も生きやすくなりました。
我が子にしてあげられなかったことは、形を変えて、私を必要してくれる子どもたちに捧げていこうと。それが「たまさん放課後カフェ」の目的のひとつでもあります。
家庭問題、行政の偏向的な対応への疑問(特に児童相談所の日和見主義)、子どもの居場所づくりなどにご関心がある方は、ぜひ繋がっていただければ嬉しいです。
ちなみに、これが青森へやってきたきっかけです。人生の計画は大幅に狂いましたが、私は今、人生の中でいちばん幸せな時間を過ごしています。
■ 連絡先・各種リンク
• 所在地: 青森県平川市柏木町柳田131-2(みさと記念館)

にんじんの葉の色、にんじんの色、土の色、この3色でアレンジしました

https://g.page/MisatoKinenKan/
sakuma.hirohide@gmail.com
