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クラブ・レインボー⑲

「……流氷が、綺麗だった」

 か細い声で、さとわは言った。

「生きてたらこんな綺麗なものが見れるんだなって思った」

 彼女は流氷の上に立ち、目の前に広がる景色に見惚れていた。流氷の鳴く風を抱きしめた瞬間、踊り子として盆の上に存在した。その瞳は輝きに満ち、寒さに染まる頬の赤さが、興奮で上気しているようにさえ見えた。

「あの時、自分の死ぬ姿が想像つかなかったの。流氷の上に乗って、沖に流されて死のうと思ってたのに、今日見た流氷は海じゃなくて大地だと思った」

 青く澄み渡った空。日の光を浴びて輝く氷の塊。流氷がひしめき合い、大地からつながる道を歩く野生動物。銀世界を照らす太陽のまぶしさが目に焼き付いて離れない。

「……死にたくないって、思っちゃった」

 大自然は彼女に命を与えた。

 湯船から腰を下ろし、さとわは再び湯につかる。真正面に向き合い、私は両手で彼女の手を握った。

「私も、さとわに生きていてほしいわ」

 その表情が、見る間にくしゃくしゃになっていく。あふれ出す涙を、私は指で拭った。

 たくさん泣いても、お風呂の中ならまぶたが腫れることもないだろう。

 腕を伸ばすと、彼女は素直に抱かれた。慟哭も嗚咽もなく、ただ静かに肩を震わせている。涙が私の肌を伝い、やがて湯船の中に溶けていくのを感じ、塩辛い海の中にいるような気持ちになった。

 新しいお湯が私たちの身体をあたためる。蛇口を閉めるころにはさとわの涙も止まり、彼女は私の胸に耳をあてて心臓の音を聞いていた。

「……ごめん、ちょっとのぼせそう」

 我慢していたが、そろそろ限界だ。さとわは素直に立ち上がって浴室の扉を開け、私は湯船に腰掛けて涼しい風に当たった。

 目の前に、彼女の胸がある。そう思ったと同時に、私はふたつのかいなに抱きしめられていた。

 なぜ逆の立場になるのか、驚くが、これが彼女なりのお礼なのだと気づく。やわらかな乳房の残る右胸に唇を寄せ、私は左の胸に耳をあてた。

 彼女の心臓は小鳥のように鳴いていた。耳に届く一定のリズムを、私たちは母のお腹の中で聴いて育ったに違いない。さとわが好んでその音を聞く気持ちを、私はようやく理解することができた。

 胸の音を聞いていると、自分もその身体の一部になれるような気がした。

 彼女の細い腰に腕をまわし、私は抱擁を返す。胸から耳を離し、目の前にある乳首を唇でくわえた。

 その身体が小さく跳ねる。私は幼子に返ったつもりで、彼女の乳を吸った。

 なめらかな身体はいくら触っても飽きない。ほどよくふやけた肌が吸いつくように手のひらに応えていた。まるく張りのあるお尻、大福のようにやわらかな太もも。きめ細やかな肌に、ずっと触れていたいと思う。

 乳首を舌で転がすと、さとわの甘い声があがった。

 顔を離すと、見下ろす瞳が潤みを帯びていた。その涙は悲しみのためではない。彼女の頬に手を伸ばし、私たちは吸い寄せられるように唇を重ねた。

 唇を吸い、舌を絡め、歯茎を撫でると口の中で声がくぐもる。指で乳首を撫でると身をよじって逃げようとするが、腰を引き寄せると抵抗をあきらめ、甘えるように身体を寄せた。

 唇を離すと、混じりあった唾液が糸を引いた。

「……なんで」

「嫌だった?」

 私の問いに、彼女は首を振って否定する。

「なんで、大切にしてくれるの?」

 私は宝物のように彼女に触れていた。

 肌に爪を立てて傷つけることがないよう、丁寧に指の腹で触れた。乳首は飴を舐めるよりもやわらかく舌で包み込んだ。逃げようとする腰も、抵抗すればいつでも手を離すつもりだった。

 何も言わずに、私は唇を重ねた。小鳥がついばむようなキスを繰り返すと、彼女が遠慮がちに舌を差し出す。それを唇で吸い、上あごを撫でると震えるような喘ぎ声が漏れた。

 彼女はいつも、舞台の上で恋人に触れていた。

 そのしぐさは優しく、ガラス細工に触れるような儚さですらあった。抱きしめて壊してしまわないよう、大切に、大切に、愛しい人に想いを伝えていた。

 彼女自身が大切に扱われたことはあるのかと、舞台を思い出すたびに私は思っていた。

「私はさとわのことが何よりも大切なのよ」

 口づけの合間に、私はそうささやいた。

 下半身が、熱い。それはのぼせではない。彼女の手が私の陰茎に触れ、痛いほどに屹立しているのを感じた。

 毎夜抱き合って眠っていたというのに、彼女に欲情したのははじめてだった。

 さとわは私の宝物だった。誰にも渡したくない、自分の腕にいつまでも閉じ込めておきたい、子供のような独占欲が性欲に結びつかなかった。誰にも傷つけられないように、繊細な砂糖菓子のように、この手で大切に大切に守り続けていた。

 私のセックスはもっと乱暴なものだった。己の欲望のまま、相手を気遣う余裕もなく身体をぶつけることも珍しくなかった。その多くが一夜限りの関係であり、相手もまた貪欲に快楽を追い求める、そんな獣じみた夜ばかりを過ごしていた。

 それと同じことをさとわにはできなかった。

「類」

 唇の隙間から、彼女が名前を呼ぶ。腰骨を撫でる私の手を握り、彼女はそれを自らの胸へと寄せた。

「さわって」

 指先に触れたのは傷跡だった。

「さわって」

 失われた乳房も、すべて。意図をもって彼女が私を引き寄せる。瞳を逸らすことを許さず、彼女は濡れた唇でもう一度、言った。

「さわって、類」

 貪るように、私たちはお互いを求めあった。

 湯船が揺れ、湯が溢れたがかまわなかった。大切に触れようと思っていたのに、乳房を握る手に力がこもる。今にも壊れそうな宝物が、私の腕の中で甘く声をあげる。

 ベッドに行くのももどかしく、湯船に座らせ股の間に顔をうずめた。

 陰部から溢れているのはただのお湯ではない。かつて劇場で見た彼女のここはまるで作り物のようだったが、いま、目の前にあるそれは赤く充血し膨れ上がっている。泉のように湧き出る愛液で、陰毛がぺたりと貼りついていた。

 舌で愛撫をすると熱い吐息が室内にこだまする。浴室は声が幾重にも広がり、それがたまらなく劣情を刺激した。

 優しく触れることなどできない。頭のてっぺんからつま先まで、彼女のすべてを自分のものにしてしまいたい。

 どうして自分にはこれがついていないのか――そんな気持ちが首をもたげる余裕もなかった。

 厚く膨れ上がった女陰をかきわけ、己を挿入する。さとわの声がひときわ大きくあがり、口を塞ごうとする手を掴んで遮った。

 喉もとに噛みついて喘ぎ声を誘う。彼女の中は温泉よりも熱く、奥へ奥へと私を招き入れていた。

 肌に汗がにじむ。波立つ温泉がそれを洗い流す。彼女の中に何度も叩きつけ、腰のぶつかる卑猥な音が響く。さとわの声は止まず、蓋をするように私の唇を吸い、けれどよりいっそう艶を増していった。

 体勢を変え、下から突き上げるたびに彼女の身体が踊る。私の動きに翻弄され、快感を逃すように手足が舞う。感極まって流れる涙をぬぐうと、彼女がその指先を吸った。

 まなざしまでもが絡み合う。彼女がいとしい人に向ける瞳の色をようやく知った。

 これは舞台の特等席か、それとも私が彼女の盆になったのか。

 さとわがいま、私のためだけに踊っている。

 興奮で頭がおかしくなりそうだった。欲望を貪る腰が止まらない。彼女が私の名前を呼ぶが、それに返すこともできない。

 徐々に昇り詰めていく様を目に焼き付け、無我夢中で我が身を叩きつけた。

 なぜ、私は男にうまれたのか。

 なぜ、私は男として生きてきたのか。

 今日、この日この時のために、私は男として生を受けたのかもしれない。



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