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クラブ・レインボー⑨

 

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 オーナーあぐりの呼びかけで、雪まつりショーで踊るキャストが決まった。

 フロアで接客をするキャストは日替わりだが、イベント期間はできるだけ固定の人数でショーをこなす。普段は各々の個性に合わせたショーを披露していたが、テーマがある時はその世界観をみなで共有しなければならない。
 テーマは冬らしく『雪をんな』に決まった。

 ある冬の日、父ともに山へ出かけた主人公は、吹雪をしのぐ小屋で雪女が父の命を奪うのを見てしまう。主人公は天涯孤独の身になったが、やがて大人になりお雪という女性と夫婦になる。主人公は幼い頃の雪女の話をするが、その話は誰にもしてはいけないものだった。お雪の正体はあの雪女であり、幼いのころ約束を破った罰として彼女は彼の前から消えてしまう――こういった色恋が絡むテーマを入れると、クラブのキャストたちはそれはそれは力を入れて取り組むのだった。

 ポールダンスを無料で習えると知り、若いキャストたちが積極的に手を上げた。さとわが指導に当たることに戸惑う者もいたが、合わせて琉生の氷像コンテスト協賛も発表され、トラブルにつながりかねない雑音がすべてショーの練習として打ち消されたのだった。

 さとわがアパートのベッドで眠る時間も減り、レッスンのため黒服以外の格好もするようになった。ふたりで早くから部屋を出るようになり、これで冬場の灯油代も少しはましになるだろう。

 レッスンの時間は酒の入らない開店前に決まった。冬場はただでさえ筋肉が強張りやすく、念入りなストレッチが欠かせない。スタジオを借りるお金がないため、黒服たちが磨き上げたフロアやステージが練習場所だった。

「さとわさん、身体、柔らかいですね!」

 店の一角からあがる華やかな声。その中心にさとわがいるなど、いままでなら想像もつかなかった光景だろう。

「……毎日寝る前にストレッチをすると柔らかくなりますよ」

 それに伴い、さとわの口数も増えた。クラブで異端の存在だった彼女をみな遠巻きに眺めていたが、ダンスの指導ができると知るなりころりと手のひらを返した。衣装代や化粧品代など何かと経費の掛かるキャストたちにとって、身銭を切らずとも習えるダンスレッスンは飛びついて当たり前だろう。

 腕力の弱い彼女が教えるトリックには限りがあるが、そもそも雪まつりまでに大技を身に着けることのほうが難しい。そのためさとわは簡単なトリックのほかダンスに力を入れた。裸一貫で舞台に立ち続けていた彼女は身体を美しく見せる技術に長け、各々の悩みに合わせた的確なアドバイスにキャストたちの心を掴んでいた。

「――アタシ、あの子きらい」

 ここは女の園。どこからかそういった声が聞こえるものだ。私がテーブルの上に広げたノートに手をつき、キャストのデイジーがそう言った。

「ダンスのレッスンならマチルダのほうが上手よ。いままでずっと皿洗いだったのに、なんで急にこんなことになったの」

「それは私じゃなくてオーナーに言ってちょうだい」

 デイジーはクラブでも人気のキャストだった。二十代前半と若く、小柄で子供のようなルックスとはじけんばかりの明るさがポメラニアンを思わせる。

「最近、黒服たちもあの子に甘いんじゃない? 忙しい時に厨房のグラスが山積みだったのよ。フロアに出れないんだからそれぐらいちゃんとやるべきなのに」

 それはオーナーがさとわに舞台装置の操作を頼んだためだ。彼女は新人ストリッパー時代に数多くの雑用をこなし、ステージの投光も手伝っていたらしい。仕事量が増え店への貢献度も上がったが、黒服たちはポールダンスの一件以来、明らかに彼女を異性として意識するようになっていた。

「ねえねえマチルダ、アタシにはどんなパートにしてくれるの?」

「それをいま考えてるの。すこし静かにして」

 デイジーが人気を博したのは、デビューしたての彼女が演じたチアダンスがきっかけだった。小柄で愛くるしい彼女にチアの衣装はよく似合い、その笑顔に魅了される人が続出したのだ。溌剌とした接客がフロアでも人気になり、デイジーを指名する常連客は後を絶たない。

「ショーのことを考えるのはいいけどね、それなら遅刻や無断欠勤を減らしてレッスンに集中しなさいよ。この間だって、あんたのかわりに私がショーに出たんだからね」

「ごめんってば、その日はホルぼけしちゃったの」

「通院の日は決まってるんでしょう? その日ははじめから休みにしておくとか、大人ならそういうのちゃんと調整しなさいよ」

 デイジーは身も心も女性になることを望み、将来的に戸籍の変更も希望していた。今は性別適合手術に向けて定期的に女性ホルモンの注射を受けているが、手術をせずとも女性ホルモンを摂取している者は多い。

 女性ホルモンの過剰摂取は副作用が起きやすい。頭がぼーっとしたりやる気が起きなくなったり、情緒不安定になって涙が止まらなくなったり、自我が肥大化してかんしゃくを起こしやすくなったりと、心身ともに現れる症状を『ホルぼけ』と呼ぶ。クラブでそれに悩まされているのはデイジーだけではなく、彼女を特別扱いするわけにはいかなかった。

「マチルダはホルモンをやってないから気持ちがわかんないのよ」

「そうね。でも、ホルぼけして泣きじゃくるあんたに、一晩中付き合ってあげたことは忘れないでほしいわ」

 男性が女性に戸籍を変更するため、家庭裁判所に申し立てするためにはいくつかの条件がある。

 一、二人以上の医師により性同不合であることが診断されていること
 二、十八歳以上であること。
 三、現に婚姻をしていないこと。
 四、現に未成年の子がいないこと。
 五、生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。
 六、他の性別の性器の部分に近似する外観を備えていること。

 彼女がクラブの扉を開いたのは、高校も中退した十六歳の時。未成年をフロアに出すわけにいかず、あぐりの温情で成人まで店の厨房で皿洗いをしていた過去を持つ。戸籍変更までの遠い道のりが精神的な負担になり、たびたび情緒不安定になっては私やあぐりがホルぼけの夜をともに乗り越えたことを、彼女は都合よく忘れてしまっているようだ。

「今日は練習できるの? さとわのレッスンが嫌なら私が付き合うわよ」

「出勤前にディナーの約束してるからまた今度ね。ベンチャー企業の社長なのに、汗臭い格好で行ったら嫌われちゃうもん」

 デイジーは恋多き女だった。懇意になった客と付き合うのはいいが、快活な接客とは裏腹にその後がとにかく重い。相手が仕事中だろうとメールの返信を求め、店に来なければ鬼電を繰り返す。相手がそれに付き合いきれず破局した後は酒に溺れて無断欠勤が多発し、時に別れた客にストーカーまがいの行為をして警察から厳重注意を受けたこともあった。

 練習時間を満足に確保しないデイジーに、どの役割を持たせるかが目下の悩みだった。華々しいトップバッターでも彼女は満足しないだろう。しかし、トリを飾るほどの実力はない。

 テーマを雪女に据えても、すべてを和風にする必要はない。雪をテーマにした童話なら海外の『雪の女王』も有名だ。物語はアニメ映画にもなり、可愛らしいドレスを着せたほうが彼女も満足するだろう。思案しながらボールペンを回していると、レッスン中のキャストたちから歓声が聞こえた。

 手本として、さとわが踊っている。音楽はクラブのショーで使っている曲を適当に選んでいるが、その振り付けの完成度にかつて彼女が演じた舞台が垣間見えた。

 私が貸した運動着は大きく、あまった袖を着物のようにさばいている。洗練された手足の運びに、アパートで怠惰な生活を送っていたわけではないと気づく。毎日念入りに行うストレッチ。月日を経ても忘れない舞台の振り。彼女はその身体を美しく魅せるために、どれだけの歳月をかけて技術を身につけたのか。

 ストリップも世間では風俗に分類される。北の大歓楽街すすきのもそういう街だ。今でこそ『スト女』と呼ばれる女性客が増えたストリップ劇場だが、かつては生板本番という、舞台の上で踊り子が客とセックスをするような過激なショーも実在した。

 なぜ彼女は、お天道様の下では後ろ指をさされかねないストリッパーの道を選んだのか。

「――ごめん、ちょっと休憩にしようか」

 ふいに動きを止め、さとわはステージを下りた。

 ペットボトルの水を勢いよく飲み干し、彼女はタオルで顔を拭う。荒い呼吸を喉の奥で飲み込み、私の隣に腰を下ろした。

「やだ、すごい汗」

 滝のように流れる汗を見て、デイジーが逃げていく。それを気にする余裕もなく、さとわは引かない汗を何度もタオルで拭っていた。

「大丈夫なの?」

「平気、慣れてるから」

 新しいペットボトルを渡すと、彼女は首筋に当てて身体を冷やす。真冬のフロアは暖房を強めに設定しているが、その発汗量は異常だった。

 いわゆる、ホットフラッシュ。彼女の治療はいまだ続いている。

 乳がんの治療は腫瘍の摘出のほか、放射線治療や化学療法が必要になる場合が多い。がんと聞けば抗がん剤治療を想像してしまいがちだが、乳がんにはいくつかの種類があり、さとわは抗がん剤よりもホルモン治療に効果があるタイプだった。

 髪が抜けることはない。しかし、服用中は生理が止まってしまう。そして急なほてりやのぼせ、情緒不安定といった更年期障害に似た症状が出てしまうのだ。

 乳がんは胸を切ってしまえばそれで終わりという簡単な話ではない。手術のために入院し、退院してからも放射線治療や投薬などの治療費がかさんでしまう。薬の副作用で身体が辛くとも、仕事をしなければ治療費はおろか生活費も稼げない。世の中にはそんな苦労をしている女性たちが多く存在しているのだ。

 さとわに札幌の病院で治療を続けるよう諭したのは私だった。若い彼女は生命保険にも加入しておらず、万一の時の備えなきまま長い闘病生活が始まってしまった。長い闘病生活で貯金も底を付きかけているため、生活費はすべて私が持つことにしている。

 汗で張り付く服が気持ち悪そうだが、さとわは決して脱ごうとしない。服の上からは目立たなくても、薄着になれば彼女の身体の違和に気づく者がいるかもしれない。

「今日はもう帰るから、あぐりに夜は休むって伝えておいて」

「わかった、気をつけて帰るのよ」

 そのままでは汗が冷えて風邪を引きかねない。私の上着を羽織らせると、彼女はそれをかき抱いてスタッフルームへと消えていった。

 クラブもそろそろ開店準備の時間だ。キャストもおのおの自らを飾り立てなければならない。デイジーは店の扉が開いたことに気づき、恋人の迎えだと喜んで駆け寄った。

「――やだ、琉生くん!」

 いつもより一オクターブ高い声。彼女の叫びに、他のキャストが一斉に振り向く。

「すみません、開店前の忙しいところに」

「全然! どうしたの、今日は来るって言ってなかったじゃない」

「たまたま仕事の空き時間ができたので。これ、よろしければ皆さんでどうぞ」

 差し入れは彼の職場の焼き菓子だった。デイジーが受け取り、弾んだ声で礼を言う。ほかの客から差し入れをもらっても、いつも裏で『ダイエット中なのに何考えてるのよ』と悪態をついているのを私は知っている。

「お疲れ様、琉生。こんな時間に顔出すなんて珍しいわね」

「今日はダンスのレッスンがあるって、さとわさんから聞いていたので」

 ふたりが連絡先を交換しているのは知っていたが、さとわが真面目に情報を伝えていたとは意外だ。

「ちょうど入れ違いだったわね。大事な用だったの?」

「いえ、ただ顔が見れたらと……」

 その一途な発言が無意識なのだから末恐ろしい。焼き菓子を配りながら聞き耳を立てるデイジーを追い払い、私は差し入れのクッキーをかじった。

「さとわとうまくやれてるようで安心したわ。準備は順調?」

「おかげさまで。氷の手配もできたので、開催前に本番と同じ環境で練習できそうです」

 彫刻用の氷は、ただ水を冷凍庫に入れればできるような簡単なものではない。氷の中に気泡ができないよう、温度に細心の注意を配りながら凍結させる専門の業者がおり、氷像用に仕入れるとそれなりの金額がかかるのだった。

「天気予報を見てたら、雪まつりの前から寒波が来るみたいなんで、その晩にどこか場所を借りてやろうかと」

「それなら、うちの近くにいいところがあるわよ。いま工事中だからちょうどいいんじゃない?」

 時代の移り変わりとともに、すすきのの街も日々様相を変えていく。北海道新幹線の札幌延伸が決まり、中心部のあちこちでビルが取り壊され再開発がすすんでいた。

「あの土地はあぐりの古い友達が管理してるはずよ。フェンスで囲っているから外からも見えないし、真夜中にチェーンソーを振り回しても大丈夫だと思うわ」

 氷の彫刻といえば、宝石のように輝く仕上がりから繊細な作業が求められると思いがちだが、実際はチェーンソーで氷の塊を削る豪快さがある。細部はもちろん手作業だが、最後に艶を出すため火炎放射器で炙る場面もあるのだ。

「場所を貸してもらえるならありがたいです。でも、試作品が完成しても工事の邪魔になりますよね」

「この季節だからすぐには溶けないでしょうし……そうだ、店に運んじゃおうか」

「え?」

 指を鳴らす私に、琉生が目を丸くする。

「せっかくコンテストとショーをコラボさせるんだもの、本物を店に置いたっていいじゃない? 暖房に気を遣えば一晩くらいもつかしら。管理の方法を教えてくれたら黒服たちに伝えるわよ」

 ホテルのパーティーやレセプションでは、氷像が場を華やかに盛り立てる。ショーの会場にそれがあれば皆の目を引くだろう。

「そうと決まったら、今夜のうちにあぐりにお願いしなきゃ」

 時計を見ると、私も身支度を始める時間だった。思いついたらすぐ実行するところが、名付けの親に似てきたなと感じた。
 
 

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