自分のパンツは自分で洗え〜3、あなたの精子は老化しないんですか?⑤
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午後にお見合いをするFさんの年齢は48歳だった。
15歳も年上、本来なら対象外の人だが、プロフィール写真の若々しさが印象的だった。年収は1000万円超え、東京の企業に勤めており、札幌の支店と行き来する生活をしているとのことだ。
正直、年収につられた。そして東京に勤めているのであれば、ゆくゆくは向こうに住むことになり、出版社とのやりとりもしやすくなるかもしれない。北海道という地は作家として不利であると、デビュー間もないころ他の作家さんに言われたことがあった。
Eさんの不用意な発言が頭にこびりついているが、次に切り替えなければならない。待ち合わせ場所は奇しくもEさんと同じところだった。
プロフィールを熟読していると、Fさんが現れた。指定のスーツ姿だが、やはり40代後半とは思えないすらっとした体躯をしている。コロナ禍でマスク必須のため、その下の顔はお見合いが始まらないと見ることができない。
「久深さん、ギリギリになってごめんなさい。急いで準備したもので」
彼は遅刻寸前だった。日曜日、予定の多い人もいるだろう。私は怒りもせず、近くの喫茶店ーーはEさんと訪れたばかりだ。別の店にしようと提案すると、Fさんも快くそれに応じた。
「Fさん、今日はお仕事かなにかだったんですか?」
「午前中にジムに行ってたんです。シャワーを浴びているうちに時間がギリギリになっちゃって」
なるほど、ジムで鍛えているからこそのその体型か。お見合いで出会う男性は30代でもふくよかな人が多く、突き出たビール腹だけで実年齢より老けて見える人も多かった。
「マンションが近くて良かったです、ジムにスーツを着ていけばよかったんですけど」
「札駅の近くに住んでるんですか?」
「そうですね。徒歩1、2分ってところかな」
札幌駅近くのマンションなど都会並みの家賃だろう。さすが年収の高い人は生活も違うのだな……そう思っているうちに、手頃なカフェを見つけてそこに入った。
前払いの店でコーヒーを頼み、狭い店内で膝をつき合わせて座る。あらためて挨拶をし、マスクを外してお互いの顔を見た。
コロナ禍のため必須とはいえ、マスクをつけると中で蒸れて口元ーーとくにほうれい線が深く刻まれてしまう。私もそれに気づいてから、待ち合わせ寸前にメイク直しをするなど対策をしていた。
48歳。あの写真はいつ撮ったものだろう。ジム終わりでシャワーを浴びた姿……湯冷めはしていないだろうが、写真とは唇の色が違う。
あのプロフィール写真はメンズメイクをしていたんですか?
そんなこと口が裂けても言えるわけがない。写真から受ける印象が大切なのは私も痛いほど理解している。
Fさんは気さくな方だった。大きな会社で管理職として勤め、東京と札幌の二拠点生活。年収が高いのも納得だが、それを鼻にかけない姿に好感が持てる。
「久深さん、お仕事に副業とありましたが、なにをされてるんですか?」
この質問が来るということは、プロフィールもちゃんと読んでくれている。そして私も、彼のプロフィールを熟読しているからこそ、迂闊な返事をできなかった。
「Fさん、嘘をつくのがお嫌いってプロフィールにあったんですけど……具体的な職業はもう少し仲良くなってからでもいいですか?」
小説家であることを隠す、それを嘘だと受け取る人は多いだろう。私だって逆の立場であれば、自分の仕事を隠したがる人を怪しいと思うのは当然だ。
「大丈夫ですよ。東京の企業とやりとりするってことは、デザイナーとかそんな感じかな?」
「たまに、職業を話すと調べてくる人がいるので……どうしても初対面の人に言うのは抵抗があって」
私のこの気持ちは嘘ではない。小説家と知るなりインターネットで調べ上げる人が一定数いる。さらには、何かしらのグループで一緒になった初対面の人に、「この子小説家なんだよ!」とわざわざ紹介する人もいるのだ。
次の出版予定が決まるのも稀な零細小説家。会うたびに「次はまだ?」と聞かれるのが辛く、疎遠になった知人も少なくない。
「調べると出てくるってことは、けっこう有名な人なんですね」
「いえ、やってる人が少ないので、好奇心であれこれ聞かれがちで……」
印税っていくらもらえるの? ドラマ化とか映画化とかしないの? あの作品映画化したら良いよね、マスター役はもちろん大泉洋でさ! と、酒の肴にされて乾いた笑みを浮かべる、あの時間がたまらなく苦痛だ。
「でもさ、そういう仕事をしているのに、どうして東京に出てこなかったの?」
さすが生き馬の目を抜く世界で生きているFさんだ。
私がデビューしたのは27歳。生活拠点を変えるなら決して遅くない年齢だ。薄給とはいえ今の仕事は経験も長く、人手不足の医療業界なら転職もすぐに決まるだろう。
しかし、私は小説家で食べていけないことを知っている。よほどデビュー作がヒットしない限り、初版だけで重版はしない。印税も皆が思っているほどたくさんは入ってこない。
それでも最初から東京に出て営業を頑張れば良かったのか。いや、心身を病んで床に伏せっていた日々を乗り越え、ようやくここまで回復したのだ。自分の力ではどうにもならないことばかりのあの出版業界と、札幌の地下鉄とは比にならないほどの満員電車で通勤する生活を繰り返せば、遅かれ早かれこたつのコードで首を吊っていたことだろう。
……そんな重たい話を、お見合いの席でするわけにもいかないし。
「コロナが流行して、家族に会えなくなるのも心配でしたし。打ち合わせはリモートでもじゅうぶんできますからね」
「そうだね、そういう面では良い時代になったよね」
Fさんは副業について根掘り葉掘り聞きたいわけではないらしい。それに私は安堵の息をつく。お見合いの中で私を漫画家と判断したひとがいたのだが、なぜ東京に出てガツガツ行かないのかと糾弾された思い出がある。
「デザイナーの人とは僕も仕事をするんだけど、すごいよね。0から1を産み出す人って尊敬するよ」
「ありがとうございます。Fさんはジムの他にもなにか趣味があったりするんですか?」
「今はね、バイオリンを習ってる最中なんだ」
音楽が趣味。なるほど、それで私のプロフィールに興味を示したのかも知れない。
「仕事があるから月に1、2回しか通えていないけど、少しずつ弾けるようになると楽しいものだよ」
「いいですね。私、音楽を弾ける人って尊敬します」
最近、アコースティックギターに興味を示しているのだが、いかんせん安アパートでは音漏れが気になる。音楽教室に通うにも月謝が高く、Fさんは言葉の端々に生活の余裕さが窺えた。
「そろそろ定年後のことを考えて、趣味を持った方が良いかなって。料理教室にも通ってるんだけど、久深さんって料理が得意なんだっけ?」
「普通の家庭料理ですけどね。難しいものでなければ、レシピがあればひととおりは」
「すごいね。僕は今まで仕事ばかりだったから」
Fさんのプロフィールは未婚だ。結婚歴があれば、相談所のプロフィールの細かく掲載される。子どもがいるのか、それは同居なのか別居なのか、紹介文に養育費について記載のある人もいる、それが結婚相談所という世界だ。
コーヒーを飲み干し、水だけで会話が続く。そろそろ一時間か、腕時計で時間を確認したとき、私は視線を感じた。
……いま、胸を見たな。
今日はシャツワンピを着ていた。中にレースのキャミソールを着て胸もとが際どくならないよう配慮したのだが、やはりそこに目が行くのは男の本能か。
このワンピースで何度もお見合いをしているが、胸もとを見られたのは初めてだ。次からこの服を着るのはやめておこう。
Fさんは会話を楽しんでくれたのか、約束の時間を過ぎても席を立とうとしない。私が「そろそろ……」と切り出すと、「ごめんね、最後にもう一つだけ」とさらに続いた。
会話が盛り上がっているといえばそうかもしれない。
しかし。
……どうしても、上司と話してる気分になるな。
落ち着いた話し方、相手から会話を引き出す話術、見事だと思う。とくにEさんの後だとそれを顕著に感じた。
しかし、私は定年後の話をされてもピンと来ない。なんならいまだ転職について悩んでいるし、定年より身近なのは育休と産休だ。
定年の話はするけど、本能的におっぱいに目が行ってしまう。15歳も年上だというのにそこだけが生々しい。
お見合いの時間は一時間半にも及んだ。ようやく会話を切り上げ、ありがとうございましたと解散する。すぐに帰宅する気にもなれず、地下歩行空間をぶらぶら歩いていると、桜田さんからメッセージが届いた。
『お見合いお疲れ様でした。Fさんから早々にYESのお返事があったので、前向きに検討いただけますと幸いです』
Fさんは私のことを気に入ってくれたらしい。会話に嫌なところもなかったし、バイオリンや料理の話は素直に楽しそうだった。48歳とは思えない若々しさ、40代だと切り捨てなくて良かったなと今後の幅が広がる。
しかし。
……なんか、お見合いというより就活の面接みたいだったな。
会話の内容は紛れもなくお見合いだ。しかし、Fさんといると上司と話している気分になりそこから抜け出せなかった。
いや、おっぱいを見たあの本能は紛れもない男性なのだろうが、かといって胸に視線を感じることは、やっぱり、気持ち悪いと思ってしまう。
結婚するってことは、夫婦になるということで。夫婦という存在も、突き詰めればひと組の男と女ということで。
……だめだ、どうしても上司としか思えない。
返事を即答するのを避け、私は近くの喫茶店に入った。
疲れた頭に糖分を入れよう。ケーキセットを頼み、Fさんとの会話を頭から追い出す。今後もまだまだお見合いの予定が入っており、相手側から申し込みのあったお見合いも時間を空けずに判断していかなければならない。
Fさんとのお見合いで、40代後半の男性との雰囲気はつかめた。年齢で足切りをせず積極的に受けていった方がいいだろうが、なかなか判断に悩むものだ。自分が決めたNG項目に当てはまる人は断りやすいが……年収の高い人はプロフィールも高圧的なものが多い。Fさんほどの物腰の柔らかさはそうそうお目にかけることができない。
実家暮らし、両親と同居、自分も家事は一通りできる旨、奥さんにも仕事をして欲しい旨、そして子どもが欲しい旨……このプロフィールをたくさん目にしてきた。
47歳。大学院卒・高収入。なんでこんなにハイスペな人が高卒で安月給な私に申し込みをしてくるのか……画面をスクロールしながら、本人からのひと言コメントに目を留めた。
『子どもは二人欲しいです』
……47歳で?
子どもが、二人?
……あなたの精子は老化しないんですか?
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