クラブ・レインボー⑬
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琉生が丹精込めて仕上げた氷彫刻の試作品は、一足先にクラブ・レインボーの面々に紹介された。
雪まつり開催まであと二日。氷像コンテスト開催と時を共にして、クラブも雪をんなのショーをスタートする。その初日を飾る氷彫刻は、みながうっとりとため息をつくほどの美しい仕上がりだった。
ひとりの女性が舞い踊る一瞬を切り取った像。両手を大きく広げ、たおやかさを表現する身体は細く、脆く崩れやすいのを背景の装飾を組み込んで補強している。まるで口づけを投げるかのような、指先の角度ひとつまでこだわりぬいて彫られた女神像は身体のラインがわかる薄布を纏っており、氷から彫り出したのが信じられないほど繊細なドレープを作っていた。
氷を積み重ねた跡が残るが、それが照明を反射して彫刻を輝かせる役割を持つ。工事現場の無機質な白い光よりも、色とりどりのネオンがよりいっそう女神像を引き立てることだろう。
「素敵ね」
あぐりは感動のあまり涙まで浮かべている。琉生は彼女に深々と頭を下げた。
「コンテストに参加する貴重な機会をいただきありがとうございました。当日はこれよりも良い作品に仕上げますから」
「これなら大賞間違いなしよ、本当に素敵だわ! さとわちゃんもモデルになった甲斐があったわね」
口々に賞賛の言葉を送る皆から離れ、さとわは氷像を見つめていた。
「この像ってさとわがモデルだったんですか?」
「言われてみれば似てるかも」
「琉生ったら、いつもさとわのこと見てたものね。やだー、なんか嫉妬しちゃう」
白い息を吐きながらはやし立てるキャストたちに、彼女は力なく微笑んだ。
薄着の身体に寒さがこたえるのか、我が身を抱いて震えている。それに気づいた私は自分のマフラーを彼女の首に巻いた。
「良い出来ね」
「……そうだね」
マフラーに顔をうずめ、さとわは頷く。それは照れ隠しか、私が頭を撫でるとおとなしくそうされていた。
琉生は本番に向けて早々に帰宅していった。私たちもクラブの営業が待っている。あぐりは女神像から離れるのを名残惜しんだが、黒服たちに当日の搬入を指示すると店に戻っていった。
「聞いてるわよ。雪まつりが終わったら食事に誘われてるんですって?」
「……うん」
「行ってきたらいいんじゃない? 琉生はいい子だと思うわよ」
彼女もまた、なかなか女神像から離れようとしない。その背を軽く叩くと、重い足を引きずるように歩きはじめた。
「大丈夫よ。琉生は身体のことを知っても逃げるような男じゃない。あんな彫刻を作ってしまうくらい、あんたのことが好きなのよ」
「……うん」
返事に覇気がない。それが心配だったが、クラブは開店とともに客が入り、厨房で皿を洗うさとわに話しかけることもできなかった。
雪まつりは二月の第一土曜日から始まり、翌週の三連休最終日まで国内外問わずたくさんの観光客が訪れる。大雪像は倒壊の危険性があるため翌朝には重機で解体してしまい、それを目当てにしたツアーもあるくらいだった。
クラブの雪をんなショーは常連客の間でも噂になっているらしく、今日もテーブルのあちこちでその話題が上っている。ショーの期間は私の出番がなくなるため、今日は出ずっぱりで生歌を披露していた。
カウンター席にデイジーの姿が見える。彼女が付き合っているベンチャー企業の社長は、ショータイムの入れ替わりに関係なく閉店まで残る太い客だ。パフスリーブの袖が可愛らしいドレスは彼女のここ一番の勝負服であり、ふたりの間には誰にも邪魔できない親密な空気が漂っていた。
ステージに視線が集まっていることをいいことに、デイジーは恋人にべったりとくっついている。私が歌う前でキスまでしかねない勢いだ。奇しくもステージで歌うのは『愛の賛歌』であり、ふたりのムードに花を添えてしまっている。
盆の上で歌う恐怖はいつの間にかなくなっていた。回転装置の電源は入れない約束だが、雪まつりのショーではそれを使う演出もある。かつてこの盆の上で踊った女性たちの歴史が、クラブ・レインボーのキャストたちによって塗り替えていくのならそれでいいのかもしれない。
愛の賛歌はいつも、フランス語の歌詞で歌った。
〈Le ciel bleu sur nous peut s’effondrer〉
〈Et la terre peut bien s’?crouler〉
〈Peu m’importe si tu m’aimes〉
〈Je me fous du monde entier〉
〈空が落ちてこようと 大地が崩れ去ろうと 構わないわ〉
〈あなたが愛してくれるなら 世界がどうなろうと〉
男女の愛を情熱的に歌う日本語版の歌詞と違い、フランス語は過激な表現が多い。愛するあなたのためなら髪をブロンドにしてもいい、月にだって行ける、あなたが求めるなら大金さえも盗んでしまうわ。狂気じみた恋を歌うたびデイジーに目が行ってしまい、私はフロアを歩く黒服に気づいた。
さとわがカウンターの中に入る。グラスが足りなく、洗ったばかりのそれを運びに来たのだろう。バーテンダー役の黒服に渡して戻ろうとしたが、引き留められなにか話しているのがわかる。
バーテンダーはあきらかにさとわを異性として見ていた。仕事中に私語は慎むべきだと、その怒りがフランス語の発音を強くさせる。私の視線に気づいたさとわは、叱られた子供のようにそそくさと逃げていった。
それは嫉妬だと、自分が一番分かっていた。
彼女を食事に誘ったのは琉生だけではないだろう。仕事中にキャストや黒服たちと雑談する姿を見かけるようになった。あれほど社会復帰を望んでいたはずなのに、いざ手もとから離れようとする彼女を引き留めたいと思う自分がいた。
彼女にはあのまま、私の部屋で眠る猫であってほしかったのだ。
愛の賛歌を歌い切り、前半のショータイムが終わった。席の入れ替えでざわつく店内を縫い歩き、私はカウンター席に向かった。
「ちょっと、デイジー」
彼女は恋人にしなだれかかり、磁石のようにくっついたまま離れようとしない。退店する客たちがそれを見てひそひそと話している。だいぶ飲んだのか、私が仁王立ちしてもデイジーはとろりとした目で見上げるだけだった。
「仕事中なのよ。いつもあんたを指名してくれるお客さまだっているのに、そんなにべたべたくっついてたらいい気持ちにはならないでしょう」
「だって、好きな人とはいつも一緒にいたいんだもの」
指を絡ませ、ふたりは見つめ合う。相手の男もだいぶ酒がすすんだようだ。加減をしなかったバーテンダーを睨むと、彼は委縮して頭を下げた。
「今日はもう帰りなさい。それじゃ仕事にならないから」
「フルーツ頼んだばかりなんだから、それ食べてからでもいいでしょ」
店も客の入れ替わりが激しい時間、それぐらいの猶予はあるだろう。私はしぶしぶ頷き、席を空けてカウンターに座った。
「ウイスキー、ロックでちょうだい」
「珍しいですね、水割りじゃなくていいんですか?」
私に睨まれ、黒服はあわててロックグラスを取り出す。飲まないとやってられない日もあるのだと、悪態をつきそうになり喉の奥でぐっとこらえた。
人目もはばからずいちゃついていたふたりだが、恋人のスマートフォンが着信を告げる。仕事の電話か口調が堅くなった彼は、通話を切るとすぐに立ち上がった。
「ごめん、急用が入ったから今日は帰るわ」
「なんで? 閉店までいてくれるって約束だったじゃない」
「先にマンションに帰ってて。すぐに帰るから」
駄々をこねるデイジーの口を、恋人はキスで塞ぐ。まるで海外ドラマのようなスマートさだ。うっとりと頬を染めた彼女はその後ろ姿を見送ると、残った酒をひと息に飲み干した。
「いい彼でしょ? この指輪もこないだ買ってくれたんだ」
「はいはい、ごちそうさま」
大粒のダイヤが光る指輪を見せびらかし、止まらないのろけ話に適当な相槌を打ちながら、私はウイスキーを舐める。安い酒はあぐりの秘蔵っ子ほど刺激がないが、一度美味い酒を覚えてしまうと思うように酔えないものだ。
話し相手に興が乗ったのか、デイジーは座ったまま動こうとしない。新しい酒を頼むこともなく、だらだらと水を飲んで待つ姿に私は違和感を覚えた。
「ねえ、帰らないの?」
「フルーツが来たらね」
この店のつまみなど彼女は食べ飽きているに違いない。違和感に周囲を見渡すと、注文の品を運んできたのはさとわだった。
グラスを運んだ時に頼まれたのだろう、忙しい時に彼女がフロアに出るのは仕方ない。カウンターに置き、無言で立ち去ろうとする彼女をデイジーが引き留めた。
「ちょっと待ってよ、おごるから一杯付き合わない?」
「まだ仕事中なので」
ふたりが言葉を交わす姿をはじめて見た。さとわも嫌われている自覚があったのだろう、塩対応で返す彼女に、デイジーはスマートフォンの画面を突き付ける。
「この写真、知ってる?」
それを見て、さとわの能面が凍った。
「アタシの彼が、あんたのこと見たことあるって。ねえねえ、この写真ってなんなの?」
デイジーはその反応に気づいた上で画像を見せている。言葉を失う姿に満足げな表情を浮かべ、彼女はそれを私たちにも見せた。
「見て見てこれ、さとわのハ・ダ・カ」
いつかこんな日が来るのではないかと、私は恐れていた。
さとわがストリップ嬢だったことを知る人はいない。あぐりには病気のことを話しているが、舞台に立っていた事実は伏せていた。いくらすすきのが飲み屋と風俗が同居する街だとしても、クラブ・レインボーがその街にネオンを灯すショークラブだとしても、みなが彼女を同じ世界の人間として受け入れるとは限らなかったからだ。
しかし、私は心のどこかで、彼女なら正体がばれても毅然とした対応をすると思っていた。
しかし。
「……さとわ?」
彼女の青ざめた顔に、私はスマートフォンを奪い取った。
先に写真を見たバーテンダーは耳まで真っ赤にしていた。不意打ちで女性の裸を見ては誰だってそんな反応をするだろう。
四角い画面におさめられた、見慣れたはずのさとわの裸体。それに私は違和感を覚えた。
手術をする前の、かつてそこにあったふたつのまるい胸。細くしなやかな手足。陶器のように白い肌。盆の上で見た彼女と何ら変わらない――はずだった。
髪形だろうか。それとも化粧の違いか。彼女の顔は幼く、少女の面影を残している。
写真はベッドの上で撮られたものだった。ランプの灯りと乱れたシーツが生々しく、両脚を折り曲げ蛙のような姿をした彼女は、羞恥に頬を染めて陰部を隠していた。
狙ってしたポーズではない。写真の表情は戸惑いに満ちていた。盆の上で踊る彼女はいつも、客の一人一人をまるで恋人のように見つめていたはずだ。オープンショーで脚を開く時は自身に満ち溢れ、ポラロイドカメラを向けられても愛想よく笑みを返していた。
プライベートなセックスの最中に撮った写真だと、誰もが思う一枚だった。
「これ、いつの写真?」
スマートフォンを持つ手が、ふるえる。デイジーはしてやったりと唇を曲げた。
「ちょっと探せばすぐに出てきたわ。どこかの掲示板に投稿された写真みたい」
「いますぐ削除させないと」
「無理よ、無断転載でいろんなサイトに掲載されるもの。そもそも写真だってかなり古いものでしょう?」
掲載された掲示板に削除申請をしたところで、また別のサイトに晒されるいたちごっこが続く。いったいこの写真はどこで撮られたのか、誰が衆目に晒したのか、真実を知るであろう彼女の顔を覗いた。
「この写真はいつ撮ったものなの?」
「……昔、付き合ってた彼氏が」
言葉少なに、さとわは言う。
「別れたあとに、勝手に晒された……」
リベンジポルノ。かつて交際していた女性の裸の写真を、無断でインターネットの掲示板などに投稿すること。知識としては頭にあったが、実物を見たのははじめてだった。
怒りで頭が真っ白になった。しかし、デイジーは勝ち誇ったように笑っていた。
「こんな写真ばらまかれたんじゃ、一生彼氏もできないわね。琉生だって男の子だもん、いつか見つけちゃうかもしれないわよ?」
甲高い笑い声が耳を刺す。騒ぎに気づいた客たちが視線を集め、店内がざわざわと波立ちはじめる。パフスリーブの袖からかすかに覗く絆創膏に、私はようやく、彼女が女性ホルモン投与日だったことに気づく。
「なんであんたみたいな女がこの店にいるのよ。あんたがいるとアタシたちが比べられるのよ」
立ち上がり、デイジーが詰め寄る。さとわは依然青い顔をしたまま、何の反応も返さない。それが苛立ちに拍車をかけ、デイジーが手をふりあげた。
頬を叩くと思っていたそれが、彼女の胸を鷲掴みにする。
「あんたはアタシが欲しいものを持っているじゃない。女の身体も、戸籍も……子供のころから女の子として育ててもらったんでしょう? 好きな人とだって、何の苦労もなく結ばれてきたんでしょうね」
痛みにさとわが顔をしかめる。デイジーが掴んだのは温存された右胸だった。私が引き離すとボタンが千切れ、胸元から覗く膨らみを見てデイジーが拳を振り上げる。
「わからないわよね、この胸を得るための苦労を。手術の恐怖も、術後のメンテナンスも、身体に異物を入れるリスクも……!」
顔を殴ろうとする拳。それを抑えるつける私は、彼女から一切の手加減を感じなかった。
駆けつけた黒服たちがデイジーを羽交い絞めにする。彼女は涙を流し、半狂乱になりながら叫び続けていた。
「目障りなのよ。どこか行って! アタシの居場所をとらないでよ……!」
さとわは変わらず立ち尽くしたままだった。シャツが乱れ、下着が見えてしまっている。私は彼女を抱きしめ、人々の視線から守ることしかできなかった。
「Hymne à l'amour」
作詞 Édith Piaf
作曲 Édith Piaf、Marguerite Monnot
歌 Édith Piaf
参考URL 愛の讃歌 歌詞と和訳 Hymne à l'amour エディット・ピアフ
