自分のパンツは自分で洗え〜4、そうやって選んでるから駄目なんだよ⑥
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11月、33歳の誕生日当日。夜行バスで函館入りした私は、早朝から谷地頭温泉で疲れた身体を癒していた。
前日の23時半に札幌を出発し、バスの中で微睡みながら5時半に函館駅到着。準備中の多い函館朝市で、5時台から営業している店でイカソーメン定食を朝食にし、市電に乗って終点の谷地頭駅で下車した。
座りっぱなしで浮腫んだ脚を、露天風呂につかりながらマッサージする。今日は函館博物館をはじめ郷土資料館巡りをし、北斗市にある書店に挨拶に行く。夕方には取材をお願いしている人もいる。たくさん歩くことを見越して、移動の疲れを少しでもとっておかなければならない。
金曜日中に函館市内の書店も訪問予定だったが、先方の都合が合わず土曜日に決まった。土曜は瀧さんと五稜郭観光をする予定だが、別行動で書店に行きたいと伝えると彼は快く了承した。
函館の取材&ロケハンに集中できるのは金曜のみ、それまで瀧さんとのことは考えないようにしよう。
函館旅行の日取りが決まった後も、瀧さんとはまめなメッセージのやりとりが続いていた。
『田丸さん、今期のアニメの〇〇は見てますか?』
『ごめんなさい、それ、北海道で放送してないかも……』
『そっか……じゃあ、昨日の△△は見た?』
『それも北海道だと放送時間が違くて……でも原作は読んでます! 面白いですよね、△△!』
秋の繁忙期に突入した私は、またしても帰宅の遅い生活が続いていた。残業が増え帰宅も遅くなり、アニメはおろかテレビドラマですらリアルタイムで追えい生活が続いていた。
毎日決まった時間に帰れないため、一度ドラマを見逃せばストーリーがわからなくなってしまう。録画する方法もあるが、帰宅してからそれを見る元気もなく床で力尽きてしまう。アニメ放送している作品でも、隙間時間に読める原作漫画のほうがストーリーを追いやすかった。
『そういえば瀧さん、ゴールデンカムイ読んでますか?』
『いや、最初だけ……』
『今、本誌で函館が出てきてるんです! 読んでから来たほうが五稜郭行くの楽しいかも!』
それぞれのおすすめ作品を追えないのもお互い様だ。偶然にも、ゴールデンカムイは本誌で函館を舞台にしている最中であり、私は俄然函館行きを楽しみにしていた。
残業続きの毎日でも、誕生日休暇を目標にどうにか乗り切っている。しかし、21時・22時帰宅が続くと執筆時間をなかなか確保できず、それに対してストレスが溜まっている自分がいた。
『やっと帰宅できました……もう22時だ。明日も早いけど、今週中に提出するプロットがあるから頑張らないと』
プロットや企画書、担当編集とのやりとり。瀧さんもそれを経験しているからこそ話しやすい。彼には繁忙期の残業についても話していたが、実際の帰宅時間を知って驚いていた。
『そのプロットって、次出す本の内容?』
『出版は決まってない、プロットのやりとりだけですけど。札幌を舞台にしたら、それだとインパクトがないから釧路に直せって言われて……地域が違えば気候も文化も全然違うのに』
札幌~釧路間は本州に例えると東京~名古屋間の距離になる。方言や文化が違って当然なのに、本州に住む担当は同じ北海道だから変わらないと思って、簡単に舞台を変えろと言う。
『……担当に見てもらえるだけいいじゃん。俺はプロット作っても、見てもらうことも難しいのに』
作家同士ではあるあるトークなのだが。瀧さんの言葉に、私は返事に詰まる。
彼とぎこちない空気になることがたまにある。
以前、担当とのやりとりについて何気なくこぼしたことがある。徹夜明けで原稿を送り、残業でふらふらになりながら帰宅したところで担当から電話が来た。今日中に原稿を直すよう言われたが、それでは二日連続で徹夜になってしまう……兼業だと避けて通れない、仕事と原稿の時間のやりくりについての愚痴。
――俺は出版できるなら徹夜だってなんだってやるけどね。
根性論。彼の言っていることはわかる。私もデビュー前は、作家になれるなら悪魔に魂を売ってもいいと思っていた。徹夜でもなんでも、自分の作品を世に出せるなら、なりふり構わずがむしゃらに頑張っただろう。
しかし、いざデビューしてから気付いた。徹夜は作品のクオリティーが落ちる。アマチュア時代はなあなあで誤魔化せていたところも、担当編集は厳しく指摘する。完成度の高い原稿を仕上げるには身体を休める時間だって必要だ。
印税の支払いなど作家業の現実を知り、専業で食べていけないわかってからは、OL業で生活費を稼ぐ大切さを知っている。
瀧さんにはそれが伝わらない。私の愚痴や悩みを甘えだと言う。彼なりの理想があるのだろうが、それを押し付けられる側は苦しくて仕方ない。
『その、根性論みたいなの、言われるのしんどいです』
積み重なった気持ちを、私はできるだけ冷静に伝えた。
『そういうこと言われると、瀧さんと創作の話もなにもできなくなります』
『ごめんなさい』
『瀧さんにとっての理想論があるのはわかるけど、私だけではどうにもならないこともあるんです』
『ごめんなさい』『ごめんなさい』『本当にごめんさない』
彼の様子が変わった。謝るばかりで、こちらの話をちゃんと理解しているかわからない。
メッセージのやり取りは、話の内容があやふやなまま終わった。
週末、久しぶりのオンライン通話。函館行きが近づき、そろそろ詳細を決めていかなければならない。PCの画面に顔を見せた瀧さんは、カメラに向かって北海道のガイドブックをかざした。
『……旅行の詳細を決める前に、少しお話したいことがあるんです』
少しの雑談のあと、私はそう切り出した。
『私の作家活動についてお話しします。まず……私のはじめての印税は〇〇万円でした』
OLとして働きながら、夜にコツコツ時給のアルバイトをしたほうが効率良く稼げる金額だ。振り込まれた通帳を見た瞬間、この印税では小説家として食べていくのは難しいと悟った。
『たとえば文庫で出版するとして、1作で印税はだいたい〇〇万です。重版しなければそれで終わり、以降の収入はありません。シリーズ化できれば、続刊でまた印税が入るけど、私は重版を経験したのは一度きり、続刊が決まったこともありません』
専業で食べていける人の例を挙げるなら。ある作品の雑誌連載で原稿料が入り、それが単行本になった際に印税が入る。重版すればそこでまた収入となり、やがてそれが文庫化して印税が入り、それが重版して……と一定の収入が見込める。しかし、そのサイクルも年々厳しくなっていると耳にしていた。
『続刊を出せなければ、また一からプロットのやり取りをします。一作〇〇万として、印税で食べていこうとしたら年に何冊出さなければならないのかわかりますよね? 必ず本が出せるとも限らないし、出した本が売れなければどんどん首が締まっていくし……生活の基盤を立てるためにはOL業もおろそかにできないんです』
次の発売予定が決まらないとき、一番、精神的に病む。
自分は何のために小説を書くのか。自己肯定のためか、それとも自己顕示欲か。自己表現? それとも大金を稼ぐため? 理由は人それぞれだろう。
小説を書くのは楽しいことばかりではない。苦しくなる時だってある。新刊を出せたとしても、数字が出なければ容赦なく切り捨てられる世界。もう小説を書きたくないと、そう思うことすらあった。
それでも、私は小説を書くことをやめられなかった。新しい本を出せなくても、おばあちゃんになっても一生書き続けようと、そう答えを出して今に至る。
『瀧さんの理想はわかるけど、これが、私が悩みに悩んで出した答えです。もし今後もこういうことが繰り返されるなら、瀧さんにはもう小説の話はできないし、そうすると話す内容も限られてきますよね。今の気持ちのままだと、一緒に函館に行くのも見送りたいです』
今ならまだ、旅館もJRの指定席もキャンセルが間に合う。旅先で同じことを繰り返し、もやもやした気持ちを抱えたまま同じ時間を過ごすのは辛いだけだ。
これで関係が終われば、それはそれまで。自分の気持ちを押し殺す仲に、良い未来は見えない。
『……俺のビジネス書の印税は△%だったよ』
瀧さんの返事はそこから始まった。
『この間は、メッセージのあの嫌な空気をどうやって終わらせたらいいかわからなくてパニックになっていた』
メッセージで険悪な空気になった時、彼は謝ることで終わりにしようとした。しかし、何度も繰り返しているやりとり、ただの謝罪をしただけでは根本的な解決にはならない。
『鎌田さんに紹介してもらってから、一年間何もできなかったのは、俺が仕事に追われていたからだけど……あれは、自分の書いた記事がネットで叩かれてしまって、それで精神的に参っていた時期だったんだ』
瀧さんは新聞という媒体を通して、自分の文章を世に発信している。私も自分の物語が火種となり、ネットで議論が巻き起こったことがある。その時のいたたまれない気持ち、精神的な負荷もかかる。
『小説もデビュー寸前までいったけど、結局、話が流れてしまった。それで田丸さんに、つい色々言ってしまった……』
瀧さんの気持ちはわかる。私も逆の立場なら同じ気持ちになっていたことだろう。
鎌田さんとのつながりや、出版社とのやりとりがあったこと、それで大丈夫なのだろうと思っていた。しかし、いざ接してみると何度も同じことでぶつかってしまう。お互いそれで辛い思いをするのなら、この関係を続けるのは難しい。
『同じことをしないよう気を付ける。だから、函館旅行を中止にはせず、予定通り一緒に行ってほしい』
話し合いの末、函館旅行は予定通り瀧さんと一緒に行くことになった。
