クラブ・レインボー⑳終
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帰りの高速バスを八時間も座り続け、私たちはそのほとんどを眠って過ごした。
朝、目が覚めるとさとわは私の腕から消えていた。入浴着をテーブルの上に残したまま、彼女は大浴場で朝風呂を楽しんでいたらしい。私は気だるい腰の甘さを味わいながら二度寝をしていた。
長時間のバス移動中、私たちは乗客の目を盗んで唇を重ねた。ずっと昔からそうしていたように、今までしていなかったのが不思議なほどに何度もついばんだが、バスを降りるとそれが急に恥ずかしく思えて仕方なかった。
太陽が出る時間すべてを移動に費やし、札幌駅に着いたころにはあたりがすっかり暗くなっていた。連日続いていた真冬日が嘘のようにあたたかく、地下鉄を使わずに歩いてすすきのに向かった。
駅前通りはイルミネーションを施した街路樹が並び、その下を観光客が歩いている。人々の行きつく先は大通公園であり、ライトアップした大雪像を目指す様子に雪まつりのシーズンが始まったことを知った。
アパートでひと眠りし、疲れを取ってからクラブに向かった。人混みを避け、店の裏口から入ると、照明を落としたフロアでショータイムが始まっていた。
店には試作品の氷彫刻を置く予定だったが、壊れて使い物にならなかったのか、それとも暖房で溶けてしまったのか、姿がどこにも見当たらない。
「あぐり」
オーナーは店の隅からステージを眺めていた。宣伝の効果か、席はすべて埋まっている。
大音量で音楽が鳴り響くステージでは、色鮮やかな照明を浴びたキャストが踊っていた。妖艶なボンテージ姿からのぞく脚をポールに絡め、上体を大きく反らし回転するトリックに客席から歓声が上がる。レッスンの努力が報われる様子にさとわも手を叩いて喜んだ。
「あぐり、すみません」
肩に触れると、彼女はようやく私たちに気づく。両手を広げ、奇声ともつかない声を上げた。
「あなたたち、どこに行ってたのよ!」
二人もろとも、その腕に抱きしめられる。客たちはショーに夢中で気づいていないようだ。
「勝手に店を休んですみませんでした」
「まったくよ。電話にも出ないしメッセージの既読はつかないし。わたしがどれだけ心配したと思ってるのよ!」
知床に滞在中、私は一切の連絡を遮断していた。あぐりの目に浮かぶ涙に良心が痛む。彼女は緊張の糸が切れたのかへなへなと崩れ落ち、私たちは踏ん張ってその身体を支えた。
カウンター席に座らせると、バーテンダーが水を差し出す。私たちに気づいて目を丸くし、慌てた様子で他のスタッフに声をかけていた。
「今までどこに行ってたのよ。二人揃っていなくなって、心中したんじゃないかって気が気じゃなかったのよ」
あぐりの推理はずばり当たっていた。しかし、馬鹿正直にそれを話せば説教を食らうに決まっている。適当にごまかすと、彼女も深くは追及しなかった。
ポールダンスのショーが終わり、次のキャストは純白のドレスに身を包みリップシンクを披露する。極彩色の照明を浴びるボンテージ、ウェディングドレスさながらの衣装で披露する愛の歌。雪女の解釈もキャストの個性によって多種多様な変化を見せていた。
コップの水をひと息に飲み干し、あぐりはさとわを見上げる。その視線に、さとわが私のコートを握った。
「デイジーが謝りたいって言ってたわ。もし嫌じゃなかったら、今度店で話を聞いてやってちょうだい」
「……あたしこそ、みなさんの気持ちを考えていませんでした。雪まつりの忙しい時期が終わったら、店を辞めようと思っています」
「それは気にしなくていいわ。今日の客入りを見てよ、みんなショーが目当てなの。あなたにはこれからもダンスのレッスンをお願いしたいのよ」
それにさとわは曖昧な言葉で返した。
アパートに戻り、私たちはこれからのことを話した。あぐりにはとにかく平謝りすること、琉生には誠心誠意謝罪し、さとわの病気について話すこと。その会話の中で、彼女ははじめて今後について話した。
『店を辞めて、外の世界で働いてみたい』
その前向きな発言に、私は彼女を抱きしめた。いまだ投薬が続くさとわは無理のきかない身体だが、アルバイトでもパートでも、接客業や事務員や何かしらの仕事をしてみたいと言った。
『いつか胸の再建手術をしたいけど、まだ時間がかかるから。それまでの間に、働いてお金を貯めておきたいの』
ストリッパーの道をあきらめるわけではないと、そんなニュアンスが込められている。私はあぐりが彼女のことを引き留めると思っていた。OLとして働きながら、ダンスの振りつけを仕事にすればさとわが舞台の勘を忘れることも防げるはずだ。
今日、明日で急いで決めることではない。さとわには考える時間がたくさんあり、どの道を選んでも決して間違いにはならないはずだ。
椅子に座り込んだまま動けないあぐりに、私はおずおずと声をかけた。
「琉生の彫刻は店に飾ったんですか?」
果たして、彼女はさとわのしたことを知っているのか。
「あれね、壊れちゃったのよ。自分の作りが甘かったって琉生が言ってたわ。おかげで本番に失敗するのを防げましたって……でも店には飾りたかったわよね」
彼はあの出来事を自らの胸だけにおさめたのだろう。さとわは複雑そうな表情を浮かべ、私はその手を握り返した。
「今日、琉生は店に来るんですか?」
「どうかしら、コンテストは昨日はじまったばかりなのよ? 夜通し製作して朝方に終わったはずだから、今日は一日寝て過ごすって言ってたけど」
そんなことより、とあぐりは手を叩く。
「あなたたち、すすきの会場には行ったの? わたしも出勤前に見に行ったけど、今年の大賞はもらったも同然だわ」
鼻息荒く彼女は言う。作品のすばらしさを語ろうとしたが、黒服に声をかけられるとボックス席に移動していった。ショーの期間はキャストの負担を減らすべく、彼女も積極的にフロアに出るようだった。
黒服たちがさとわにおかえりと声をかける。それに彼女が笑顔で返すと、バーテンダーが動揺してグラスを床に落とした。さとわがこれ以上店に残ると新たな嵐が巻き起こりかねない。引き際としては良いタイミングなのだろう。
私たちは店を後にし、すすきの会場に向かった。空から大粒の牡丹雪が降り、今宵はあたたかい夜になるのだろうと思う。街のネオンは煌々と明かりを灯し、すすきの大交差点を起点に塞がれた駅前通りは国内外問わずたくさんの観光客が行き来していた。
期間中は歩行者天国となり、昼間でも間近に氷像を見ることができる。すすきの会場が本領を発揮するのは夜の時間。ニッカウヰスキーの看板下から会場に入ると、老舗の菓子屋が無料の甘酒を配っていた。
寿司会社が協賛した氷の門が訪れる人を出迎える。氷の中には魚が一匹まるごと氷漬けにされていた。コンセプトは竜宮城だろうか、タイやヒラメが舞い踊り、さしずめ乙姫はこの街で働く女性たちなのだろう。
ビール会社の氷像はどれも意匠を凝らし、特大のジョッキが黄金色の照明で輝いている。ウイスキーや日本酒など酒に関する雪像はすべて企業の宣伝を兼ねている。Jリーグが協賛するマスコット像には多くのファンが足を止め、大手スーパーが手掛ける氷像は季節を先取りしたお雛様だった。
企業協賛の大型作品を眺めるうち、さとわの足取りが重くなっていることに気づく。うつむく彼女の手を私は握った。
「自分の目で見て確かめましょう」
さとわは頷きで返し、私たちはコンテスト会場に向かった。雪は止む気配を見せず、氷像たちに積もり始めている。視界にカーテンをおろすように、真綿のような雪が視界を染めていた。
氷彫刻コンテストは今年もバラエティ豊かな作品が並んでいた。氷像の手前には作品名と協賛企業、そして製作者の名前がある。天に向かって翔ける龍、翼を広げる鳳凰像。縁起の良いモチーフが多いが、滝登りの鯉や小魚を捕らえる瞬間のカワセミなど作者の個性もうかがえる。
やはり女神像が多く、観光客が足を止めては写真に収めていた。
照明を受け、どの彫刻も生き生きと輝いている。作品の背景にソープランドの看板が写り込むのも毎年恒例だ。ひとつひとつ丁寧に見て回り、やがて私たちは目当ての作品を見つけた。
製作者、市村琉生。彼の作品に間違いない。さとわが握る手に力を込めた。
「……綺麗ね」
作品を見つめ、私はそう、吐息を漏らした。
彫刻のポーズは試作品と同じだった。両手を広げ、優雅に舞い踊る一瞬を切り取った女神像。口づけを投げる横顔が本番でさらに美しく整えられ、像の前で足を止める人も多かった。
試作よりも、身体がひと回り大きい。壊れやすさを鑑みて背景も変わっていた。練習の女神はドレープ豊かなドレスに身を包み、繊細な指先は水を操っているかのように背景が組み込まれていた。本番の作品は繊細さこそそのままだが、背景は直線的な装飾で強度を増していた。
服装がドレスから和装に変わっている。面積が広い方が作品も安定するが、氷の塊から布の質感を表現する琉生の技術はさすがだ。長い髪が風を感じるように揺れ、着物は胸元を開き惜しげもなく肌を晒している。
その女神像には乳房がない。
否。そこにあるのは筋肉のふくらみを持つ、男の胸だった。
試作時に比べひと回り大きな身体は、女性らしい曲線よりも広い肩幅が目立つ。横顔を支える首にあるのは喉仏か。琉生の意図を感じ、私は白い息とともに笑みがこぼれた。
この女神像は、男の身体をしている。
「……なんか、マチルダに似てるね」
「そう? 私はさとわに似てると思うけど」
表情やしぐさには女性らしいたおやかさを感じる。男か女か、それを無理矢理決める必要などないのかもしれない。琉生は果たしてどんな思いで女神像を変えたのか。胸をなくしたのはさとわへの忖度か。男の身体にしたのは私たちへのリスペクトか。
淡雪が女神像に降り積もる。ネオンを浴び、直線的な背景がステージの照明を模していることに気づいた。
なぜ服を和装に変えたのか。それはあぐりの要素を取り入れたからか。彼は知らないはずだ。かつて、あの盆の上で踊った伝説の女性のことを。
「……私もいつか、踊れるかな」
氷像を見つめ、さとわは言った。
「踊れるわよ、絶対」
氷の彫刻が舞台に見えているのは私たちだけか。行き交う人々は作品に対して様々な解釈をしている。
これって男? それとも女? なんでこんな作品にしたんだろう。なんかやりすぎだよね。でも綺麗かも。写真撮っていい? なんか気になっちゃって、どうしてだろう。
多くの人はこれが普通の女神像だと思うだろう。違和感の正体に気づいた人は、なぜこの像が作られたのかを推理している。疲れ果てて眠っているであろう琉生にこの喧騒を届けたかった。
導き出される答えはひとつではない。それでいいのだと、私は思う。
コンテストの彫刻たちは足元から白いライトで照らされている。しかし、女神像は色とりどりに輝くネオンの下に立っていた。
いま、この瞬間も、ステージの上では同じ光を浴びて踊る者がいる。
看板に書かれたタイトルは『クラブ・レインボー』。
氷の女神像は、この街で生きる私たちに投げられた七色のリボンなのだろう。
了
