クラブ・レインボー⑩
日付が変わってからアパートに戻ると、部屋の空気は冷たく電気も消えていた。
「……さとわ?」
声をかけるも、返事はない。ベッドが丸くふくらみ、眠っているのだとわかる。夜ご飯の肉まんをテーブルに放り、私は早々に化粧を落とした。
湯船のお湯が冷めてしまっている。私の身体には窮屈なユニットバスだが、さとわは好んで長風呂をするのだ。私のためにお湯を残していたのか、それとも怠くてそこまで気が回らなかったのか。私は栓を抜き、シャワーのハンドルをひねった。
手早く汗を流し、肌の手入れをしてドライヤーを使っても、さとわが起きる気配はない。今日はよほど疲れていたのだろう。肉まんの芳しい香りもむなしく、冷めた皮がべちゃべちゃになってしまっていた。
暖房費節約と、私は早々にベッドにもぐりこんだ。さとわを飼うようになってから光熱費の請求がばかにならないが、毎晩あたたかいベッドで眠れるのはありがたい。裸で眠る彼女は天然の湯たんぽだった。
この部屋でさとわのために買ったのは枕ひとつ。シャンプーも化粧水もすべて同じものを使っている。布団に沁みついたにおいは同じものであるはずなのに、彼女の肌は私と違う香りがする。
「……類?」
軋むスプリングで起こしてしまったらしい。さとわがまぶたを開き、私はむき出しになった肩に布団をかけなおした。
「身体は平気?」
寝乱れた髪を整え、あらわにした顔は血の気が引いていた。額に手を当てても熱はないが、唇がかさかさに乾いてしまっている。水を飲むよう促しても彼女は首を横に振るだけ。眠気より、身体が重く動けないのかもしれない。
ベッドサイドに置いたペットボトルを開け、ミネラルウォーターを口に含む。私が口移しでそれを与えると、彼女はおとなしくそれを飲みこんだ。
何度かそれを繰り返すと、かすかに顔色が良くなったように思う。私はそれにほっと胸をなでおろし、眠りの世界を行き来する彼女を抱きしめた。
私も夜は裸で眠る。気を遣って部屋着に袖を通したのは最初の数日間だけだ。うまれたばかりの赤子のように、いつも抱き合って眠っているが、私の本能が首をもたげることはなかった。
頬を寄せると、シャンプーの香りが鼻腔をくすぐった。冷たい足先を絡める彼女は寝付けないのか、腕の中をのぞき込むと目が合った。
「まだ一時前よ。ゆっくり寝なさい」
「……朝じゃないの?」
さとわが心配で早めに帰ってきたのだ。窓の外は深い闇に包まれている。眠気で蕩けるまぶたをこすり、彼女はその指先を私の胸に寄せた。
意志を持って、乳首に触れる。それを遮ると、もう片方の手が下半身をまさぐる。彼女の両手を捕らえ、私は身動きができないように固く抱き留めた。
「……しないの?」
さとわは思い出したように触れてくることがあるが、私たちは一度もセックスをしたことがなかった。
抱きしめた身体から、乳房の柔らかさを感じる。力を込めれば簡単に折れてしまいそうな華奢な背中も、細くくびれた腰もまるいお尻も、彼女の身体が女性だと物語っている。
中坊のころから何度も抱いた女性の身体だ。マチルダになってからも、私にはセックスをする機会が何度もあった。それは類の姿の時が多いが、世の中には女装した男と寝るのが好きな女性もいるのだ。
私の身体は男としての機能を失っていない。
「いいから寝なさい」
けれど、さとわを抱くことだけは、できない。
「……おっぱいがないから?」
「違うわ」
胸があろうがなかろうが、彼女の身体はとても魅力的だ。その細い身体を組み伏せ、欲望のままに貪れたらどんなにいいか。彼女と触れあっても欲情しない自分が不思議だが、その戸惑いにさとわは気づいていない。
「おっぱいを作ればセックスする?」
乳房を全摘出したとしても、再建手術でもとと変わらぬ見た目に戻すことができる。筋肉の下にエキスパンダーを入れ、そこに生理食塩水を入れて少しずつ膨らませ、皮膚を伸ばしていくのが一般的な方法だ。生理食塩水と同量のシリコンバッグに入れ替え、乳首を形成し、タトゥーで色を付ければ違和感のない仕上がりになる。形の損なわれた右胸にも、太ももなどから採取した皮下脂肪を補てんする方法があった。
さとわは腫瘍の部位的に同時再建手術が叶わず、ホルモン治療の間は再建を推奨されていない。
早くに再建手術ができていたら、彼女は今も、舞台の上で踊り続けていただろうか。
ホルモン治療で生理が止まっても、治療が終わるまでの間に子供を産める年齢が削られていったとしても。踊る身体さえあれば、彼女はストリップ劇場の踊り子として生きていただろうか。
「おっぱいがなくてもさとわはさとわよ」
乳房を失い、生きがいを失い、彼女は暗闇の中をもがき続けている。
彼女がセックスを求めるのは決まってメンタルが不安定なときだ。しかし、それで身体をつなげたとして心が満たされるわけではない。
「もう寝なさい」
強く抱きしめると、彼女は息苦しさに喘ぐ。私の胸元に耳をあてると、心臓の音に耳を澄ませてまぶたを閉じた。
赤ん坊のように、胸の鼓動を聞きながら眠る彼女。お互いの肌のぬくもりを分け合い、やがて同じ体温になり、肌の境目も消え、ひとつになって眠る。
それはどんなセックスよりも気持ちいいと、私は、思う。
