先進国都合の途上国
新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
日本ではクリスマスを終えて、正月を迎える。
季節は冬で冷え込みも厳しいでしょう。
しかし、僕の正月はいつも暑くてエアコンなしには寝ることができないほどです。
さて、今回書かせていただく内容ですが、
これは僕が実際に途上国に住み、支援活動やイベントを日本の方々とやりとりをしながら進めていく中で感じた事です。
内容は少し批判的に捉えられてしまうかもしれませんが、そうではなくて「知らない」ことによる思い込みが強いと思っています。
そのために、途上国というイメージが現実のそれと大きく異なってしまうのです。
例えば、途上国には貧しい環境で生活している方々は日本のそれよりも大幅に多いです。
しかし、国としては発展もしています。
ラオスも国内初のスターバックスがオープンして、コンドミニアムの建設も少しずつ増えてきています。
ネットの普及率も著しく、電子機器を持つ子どもたちは日本よりも多いと思います。
東南アジアの多くの途上国はヨーロッパの国々によって植民地化されてきた歴史的背景があるため、暮らし方や食事なども西欧の影響を強く受けています。
そのため、街中も洒落ています。
朝はカフェでみんなとコーヒーを楽しむという習慣もあります。
しかし、そんな風景を見たらわれわれ、先進国の人間はどう思うだろうか。
「なんだ、途上国とか言っているけれど全然豊かな暮らしをしているんじゃないか。」
と思って、支援なんか必要ないだろうと思うかもしれない。
実際、現地に住んで自分の目で見てきた経験から言うと、貧富の差が激しく、都心ではそうした貧富の差が見えづらくなっているんだ。
先日、カンボジアへ久しぶりに足を運んだ。
ご縁をいただき、自分のチャレンジや活動に密着していただけるチャンスを得たからだ。
すると、カンボジアらしい風景というのが求められる。映像を見た人はその風景から現地の様子や暮らしを想像するんだ。
だから、映像をツールとして伝えるためにはそうした風景をイメージと一致させていく必要性がある。
だけど、実際の姿が大きく変化してきているのが事実なのだ。それには、僕も驚いている。
たった数年で街並みが大きく変化してしまっている。
パッと見ただけてあれば、それはヨーロッパの街並みのようだ。
僕はとても不思議な気持ちだ。
途上国では貧富の差が激しい。貧しい人たちは本当に貧しいし、子供たちはそうした環境を自分の力で変えていくだけの力は"いまはまだ"備わっていない。
だから、そんな子供たちには特に支援を届けて背中を押していってあげたい。
しかし、その貧しさが隠れ始めている。
なくなっているのでなくて、人の目で見えづらくなっている。
その貧しい情景が、先進国の中ではある意味で必要なのだ。そうであることによって、活動を計画しやすくなったりする。
国は発展を続けていても、貧しさに置き去りにされてしまっている子供達というのは確実に存在する。
本当に支援が必要な子供達は、なかなか姿が見えづらい。声が届きづらいところにいるんだ。
僕はそんな姿を見ること、知ることによって全国に住む僕たちは大きな気づきを得ることができると思う。
どれだけ自分たちの国が恵まれた環境にあるのか。
それを知ることによって、今後のアクションが変わってくるかもしれない。
そもそも、先進国とか途上国とかそうした住み分けが無くならない限りこうした貧富の社会課題は解決ができないのではないかと思う。
なぜなら、「貧しい」人たちもいれば「豊かな」人たちもいるからだ。
海外から手を差し伸べられる前に、自国の人たちが自分たちの手で、足で動き始める必要性を強く感じている。
その背中を押す役割というのが僕らがやるべきアクションなのではないだろうか。
