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デカメロン006 エメラルドのキズ(ジャルダン)が疼く

聖域の「エメラルド・カット」:ブレット・リビングストン・ストロングと再生の庭園

はじめに:現代の語り部たちが集う場所

ボッカッチョの『デカメロン』は、ペストという死の影から逃れた10人の若者が、隔離された邸宅で100の物語を語り合うという構造を持っていました。混沌とした現代において、私たちが「物語」を必要とするのは、それが現実の過酷さを乗り超える「再生の儀式」だからではないでしょうか。

私は今日のキーワードとして「エメラルド」を選んでみました。それは単なる宝石の名前ではありません。私の友人であり、類まれなる芸術家であるブレット・リビングストン・ストロングが、その生涯と作品を通じて私たちに見せてくれた「魂の色彩」そのものなのです。


第一章:パシフィックパリセーズの光と、緑の絨毯

かつて私が訪れた彼の自宅兼アトリエは、ロサンゼルスの中でも特別な場所、パシフィックパリセーズ(Pacific Palisades)にありました。そこは全米でも有数の「要塞街」として知られ、選ばれた者だけが享受できる静謐に守られていました。しかし、その門の内側に広がっていたのは、閉鎖的な富の象徴ではなく、あまりにも開放的で瑞々しい「生命の庭」でした。

マリブの海岸線を見下ろす広大な斜面で、彼はガーデニングを楽しんでいました。その庭を思い出すとき、私の脳裏には「エメラルドカット」という言葉が浮かびます。エメラルドという石は、他の宝石に比べて衝撃に弱く、内部に傷を持ちやすい性質があります。そのため、衝撃を和らげつつ輝きを最大限に引き出す、平面を多用した独特のカットが編み出されました。

パシフィックパリセーズの整然とした区画、完璧に手入れされた芝生、そしてそこへ降り注ぐカリフォルニアの日差し。それらはまるで、エメラルドの結晶内部で乱反射する光のように、硬質なのに、多様で豊かな、物語の深みに輝いていました。

私はその1,000坪ほどもある広い芝生の庭で、彼と招かれたお仲間たちと一緒にクリケットを楽しんだことがあります。木製のマレットが球を打つ乾いた音、海風に乗って届く笑い声。あの日、私たちが踏みしめていたのは、単なる芝生ではありません。彼という表現者が、大地に刻み込んだ「生きているエメラルド」の一部だったのです。


第二章:結晶化されたレジェンドと「The Book」

パシフィックパリセーズのブレットのアトリエ空間に入ると、そこにはほかとは異なる密度を持った空気が流れていました。ブレットは、あのマイケル・ジャクソンが唯一公式に認めた肖像画(Oil on canvas)を描いた人物として、あまりにも有名です。

その油彩画には『The Book』*というタイトルが与えられました。 「息づくレジェンド」であるマイケルの魂を、彼は一冊の神聖な書物に見立て、キャンバスの上に結晶化させたのです。その作品を間近で見ると、色彩の重なりがまるで地層のような奥行きを持って迫ってきます。それはまさに、数十万年から数百万年の時の流れを経て、地球の地殻で静かに形成されたエメラルドの結晶構造そのもののように見えました。

*The Book: この原画をベースに一定数のセリグラフが制作され、コレクターに販売されました。筆者も、そのカラー版のセリグラフをブレットからもらったので、今でも1枚保有しています。

同じアトリエで、彼は「世界の七不思議」シリーズも描き進めていました。富士山を含む世界のビスタポイントが、彼の手にかかると、まるで未知の惑星から届いたばかりの宝石のように、鮮烈で瑞々しい光を放ち始めます。

世の中には、彼の一連の作品を「collectibles(収集品としての工芸品)」と揶揄する向きもありました。しかし、私はそうは思いません。彼の筆先には、市場価値という物差しでは測りきれない、圧倒的な「エメラルドな感性」が宿っていました。その作品群(絵画、プリント、彫刻、モニュメント作品)は、目に見える形を超えて、観る者の魂に直接語りかけてくるvibe(波動)を秘めています。


第三章:ロビン・フッドの衣装と「ジャルダン」の教え

ブレットは、単なる画家である以上に、優れた演出家でもありました。マイケルの肖像画をお披露目する華やかな舞台で、彼はまるでロビン・フッドのような衣装をまとい、観衆の前の舞台に立ちました。

シャーウッドの森の義賊、ロビン・フッドのような緑の衣装に身を包んだブレット・リビングストン・ストロングの姿は、彼が愛してやまなかった「森のエメラルド色」と完璧に共鳴していました。彼は自らを、現代の喧騒から大切な純粋さを盗み出し、それを芸術という形で世界に分け与える、美しき義賊に見立てていたのかもしれません。

ここで、エメラルドという宝石が持つ興味深い特徴についてお話ししましょう。エメラルドには「ジャルダン(庭園)」と呼ばれる特有の内包物があります。一般的な宝石であれば「傷」とされる不純物ですが、エメラルドにおいては、まさにそれが天然である証(あかし)であり、石の中に広がる小宇宙として愛でられるものです。

ブレットの人生も、そして彼が描く世界も、誰の人生とも同様に、この「ジャルダン」に満ちていました。完璧な美しさの中に、必ず存在する「ノイズ」や「揺らぎ」。それこそが、生命が本物であることの証明なのです。彼が「Emerald Rainforest」というセリグラフにおいて、気の遠くなるような色の層を重ねたのは、そのミステリアスなジャルダンの深淵へと私たちを誘うためだったのではないでしょうか。


第四章:火災という名の「負のジャルダン」

物語には、時として残酷な転換が訪れます。 2025年1月にカリフォルニアを襲った凄まじい山林火災は、なお我々の記憶に新しいことです。その山林火災があの美しいパシフィックパリセーズの家々の大半を、そして彼のアトリエがあったその邸宅をも飲み込んでしまったのです。

彼がガーデニングを楽しんでいた植物園も、マイケルと芸術論を語り合った空間も、残念なことにすべてが焼け落ちました。それはまさに、現代における「ペスト」の影であり、エメラルドの中に宿る宿命的な「ジャルダン」の、最もネガティブな形での露呈だったのかもしれません。

しかし、この悲劇すらも、私にはエメラルドという物語の一部であると感じられてなりません。エメラルドは、地殻変動による凄まじい熱と圧力の中で、異なる元素が奇跡的に出会うことで生まれます。火災によってすべてが灰に帰したパシフィックパリセーズの丘は、今、沈黙の中で次なる「緑」を育む準備をしているはずです。


第五章:再生の夢、「Emerald Rainforest」

私がブレットのセリグラフ、「Emerald Rainforest」を目にしたとき、そこに感じたのは、単なる熱帯雨林の風景ではありません。そこには、ブレットがパシフィックパリセーズのアトリエで、マイケルや世界の七不思議と向き合っていたときと同じ、不滅の生命力の輝きがありました。

火災によって物理的な場所は失われましたが、彼が作品に込めた「エメラルドの輝き」は、決して焼け落ちることはありません。むしろ、あの火災という過酷な経験を経て、彼の描いた森のイメジャリーは、より深い「再生の夢」を語り始めたように思えるのです。

「完璧ではないからこそ、美しい」 「傷があるからこそ、本物である」: こうした エメラルドが教えてくれるアートの真理と本質は、光速で動く現代を生きる私たちの心にも強く響きます。


結びにかえて

ブレット・リビングストン・ストロングと、私たちがクリケットを楽しんだあの日。あのパシフィックパリセーズの時間と空間に差し込んでいた光は、今も私の中に「エメラルドカット」の輝きとして残っています。

彼の「Emerald Rainforest」を観るたびに、私は思い出します。森は一度焼かれても、より深い緑を湛えて再生することを。私は知っています、私たちの人生に刻まれた「ジャルダン」もまた、間違いなく、いつか美しい友愛の庭の一部として愛でられる日が来ることを。

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