トラウマを受けとめる街――石沢麻依『貝に続く場所にて』(講談社文庫、2023年)評
物語の舞台は、2020年夏、ドイツの大学都市ゲッティンゲン。博士論文執筆のためその街に暮らしている20代の主人公・小峰里美は、かつて宮城県下の大学で同じ美術史の研究室にいた知人の野宮を迎え入れる。彼は、2011年3月11日に行方不明となり、その生家も家族もすべてが津波にのまれ、還る場所を失っていた。生と死の境界があいまいとなった新型コロナウィルス禍の街に、幽霊となって姿を現わしたのだった。
一方で、里美もまた、震災後の宙ぶらりんのなかにいる。宮城県の内陸部に暮らしていた彼女は、津波の被害にも被ばくの被害にも直接には遭っていない。しかし、絶え間なく続く余震の恐怖、痛みを伴う空腹感、突き刺さる寒さ、洗えなくなった皮膚のうえに積み重なる淀みとべたつきなど、あの日の記憶は〈傷〉となって身体のあちこちに刻まれていた。そう、彼女もまた震災のトラウマをその身に抱えて、その後の9年間をいきのびていたのである。
この物語は、彼女らのような〈傷〉を抱えた者たちを、コロナ下の街が受容、包摂し、それへの囚われから解放していく過程を描く。〈傷〉はもちろん災害だけがその起源ではない。ゲッティンゲンはかつて何度も空襲に遭っているし、ユダヤ人の強制連行やシナゴーグ襲撃も経験している。さまざまな〈傷〉の痕跡は、街のあちこちに記憶のための記録として刻まれ、そうした環境が、異郷で刻まれた彼や彼女たちの生きづらさをゆるやかに解きほぐしていく。
主人公の造形の基礎にあるのは、おそらく著者自身の経験であろう。著者は、さまざまな〈傷〉との向き合いかたをひとつの文化として結晶化させ、それを街のあちこちに物理的に埋め込むゲッティンゲンという都市のありように圧倒され、その驚きを他者に伝えるためにこのような表現を行ったのではないか。だとしたら、著者のそうした気づきを可能にしたのは、彼女の人文学的なまなざしであろう。翻って、現代日本の私たちにそうした環境はあるだろうか。(了)
