研究紹介 国家の対外政策を理解する鍵は、政策決定者の心理を理解すること
武装勢力が実効支配を続けるウクライナ東部にロシアが軍隊を進駐させたことが世界で大きなニュースになっています。ロシアは外交交渉を有利に進める合理的な戦略として軍事的な圧力を強めているにすぎず、実際に国境を越えて軍隊を動かすことはないという見方も一部にはあったので、実際に軍事行動に移行したことに驚かれた方も少なくないのではないでしょうか。
ロシアのプーチン大統領が経済制裁で莫大な経済的損失が予測されるにもかかわらず、ウクライナに対する軍事行動に踏み切った理由は現段階では分かっておらず、今後の調査研究で解明されるべき課題でしょう。ただ、今回のケースに関しては政治心理的な要因に注目する必要があるのではないかと私は感じています。この機会に、国際政治学の研究では合理的な政策決定が行われないことを想定する研究者が少なくないことを紹介してみましょう。
基本的に国際政治学では政策決定者の認知能力の限界を考慮に入れることがあまりありません。より厳密に言えば、政策決定者に無制限に近い認知能力が備わっていると想定します。彼らは世界の情勢の変化を見極め、脅威を識別し、自国の利得と損失を比較し、合理的な外交的、軍事的行動を選択できるはずだと考えます。もちろん、これは現実的にあり得ない想定であり、政策決定者は実際には限られた認知能力で決定を下しています。
国際政治は極めて複雑な関係で成り立っており、また膨大な国家間の相互作用で動いています。知識が豊富な研究者、経験を積んだ専門家であっても、それをありのままに認識することなどできません。人間の心理として情報が過剰になると不安を感じるため、政策決定者は自分の頭の中の情報の流れを可能な限り効率的に制御し、認知的負荷を軽減できるような便利で単純なカテゴリーを用いるようになります。
人間に認知の負荷を軽減しようとする心理があることは心理学でよく知られています。政治学では、過度に単純なカテゴリーに依存した状況認識が、実態から乖離した対外政策を生み出す根深い原因と見なされます。アメリカの政治学者ロバート・ジャーヴィスは、人間の心理に対する知見を国際政治学に取り入れる必要性があることをいち早く主張した先駆者であり、人々が国際関係を理解する際には、各国をいくつかのタイプに分けることによって、思考の手間を省こうとしていることに気が付きました。
このときに用いられる国のタイプは必ずしも明確な基準に基づいていません。それどころか、情動的な反応を引き起こす情報によって歪められ、恣意性を伴っていることが一般的です。キリスト教とイスラム教、自由主義とファシズム、西側と東側などのタイプは、各国の利害関係や行動特性を極度に単純化する上で有効です。その代償として本来の国際情勢に伴う複雑さはほとんど無視されることになるので、間違った見方が是正されなくなり、状況に関して誤解を深めてしまう危険があります。
また、この種の誤解は自国よりも他国の方が大きくなる傾向があります。アメリカの政治学者ジョナサン・マーサーは、政策決定者が自国の政治状況を認識する際には、分裂と不和を強調する傾向があるのに対して、他国の政治状況を考える際には統一され、団結していることを強調しがちであると報告しています。政策決定者が特定の外国を敵視し始めると、その国家全体の攻撃性、好戦性を信じやすくなる傾向と結びつき、対外政策を強硬なものへと変化させます。また、自国の国内が政治的に分裂していると強調しがちであることは、政策決定者が頼りになるというイメージを維持しようと、強硬な行動を好ましいと考えやすくなると説明しています。
無論、これらの研究成果が妥当であるとしても、国内政治の特性(民主的平和論など)や、国際政治の特性(勢力均衡理論、相互依存理論など)が重要ではないというわけではありません。また、今回のロシアの軍事行動にそのまま当てはめることができるわけではないことを強調しておきます。それでも、これは利害得失という基準から逸脱するかたちで国家の対外政策が決まるリスクがあることを示すものとして参考になると思います。
参考文献
Jervis, R. (1976). Perception and misperception in international politics. Princeton, NJ: Princeton University Press.
Mercer, J. (1996). Reputation and international politics. Ithaca, NY: Cornell University Press.
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