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3歳の息子から学んだ、「隠れた願い」に気づくこと|こどもの教え②

駆け出しの頃、上司や顧客から
「ここを直してほしい」
「これをやってほしい」
と言われるたび、どこか腑に落ちない感覚がありました。

言っていることは理解できるし、筋も通っている。
けれど、その通りに応じても、どこか噛み合わない気がする。

今朝、3歳の息子とのやり取りで、その違和感の正体が見えた気がします。


朝の出来事

今朝、家を出る前に、律人(りと、3歳の息子)に、こう言われました。

「りとが幼稚園いくまで、パパもおうちいてほしい」

少し、迷いました。
リモートワークなので、しばらく家にいることもできます。
とはいえ、家族がいると、特に朝は集中しづらい。

どうしようかと思いながら、聞き方を変えてみました。

「今日はお迎えに行けるから、今はパパ行ってきていい?」

すると、律人は笑顔で

「ならいいよ!」

と言ってくれました。


実際に起きていたこと

最初の「いてほしい」は、何だったのか。

たぶん、文字どおり「その場にいてほしい」わけではなくて、
「これから幼稚園に行くのが、少しつらい」という気持ちを、
どうにかしてほしかったんだと思います。

その不快さを和らげることが目的で、
手段として「一緒にいてほしい」と言っていた。

だから、「今日は迎えに行けるよ」という別の方法でも、
同じ目的を果たせたのだと思います。


考えてみると

言葉として出てくるものと、
その奥にある意図は、意外とズレていることが多い気がします。

「ここを直してほしい」
「これをやってほしい」
「こうしてほしい」

そういう言葉をそのまま受け取ると、表面的な対処で空回りすることになる。

でも少し立ち止まって、

「実際のところ、この人は何を気にしているんだろう」と考えてみると、

別の提案が見えてくることがあります。


今朝のやりとりは、ほんの小さなことですが、

「言葉どおりに受け取る」

以外の選択肢を思い出させてくれました。

人はときどき、手段をそのまま口にしてしまう。
でも、その奥には、もう少し切実な願いがある。

それに気づけるかどうかで、
人と人の関係は、変わってくるのかもしれません。



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