終戦後の日本軍⑥
自衛隊発足前後のかけひき
保安隊設立後の日米会談
保安隊設立後も、アメリカは日本に対してさらなる再軍備を要求した。アメリカの望みは、ハリー・トルーマン大統領が示した「NSC125/2」に表れている。この文書には、保安隊の10個師団30万人規模化が明確化されていた。次のドワイド・アイゼンハワー大統領もこの方針を踏襲し、日本への再軍備要求を継続した。
日本政府は経済復興優先を名目に拒否し続けたが、アメリカは諦めなかった。日本の軍事力強化の見返りにアメリカが経済援助を行うことを定めた「相互安全保障法(MSA)」も交渉材料となり、日米交渉は複雑化していった。
昭和28年(1953)10月、アメリカで「池田・ロバートソン会談」が始まった。アメリカは日本に、防衛計画の長期プランの提出を求めていた。これに対し、池田隼人首相特使は「池田私案」を提示する。そこには、3年間で陸上兵力を18万人にまで増強する計画などが記されていた。だがウォルター・ロバートソン国務次官補は難色を示し、18万人は中間目標として、30万人規模の拡張を譲らなかった。結局、1か月間の交渉を経ても合意には至らなかった(MSAは翌年締結)。
一方、国内では、政府与党が対米追従に傾いているとして、国民や保守層が反発を強めていた。保守層は、再軍備・憲法改正を要求して激しく運動することとなる。
内閣に抗う保守政党と国民
再軍備実現の旗頭となったのは、保守政党であった。公職追放が解除された政治家が政界に復帰すると、アメリカに防衛を依存する吉田の方針に、真っ向から反発した。その急先鋒となったのが、元外相の重光葵を総帥とする改進党だ。ほかにも、石橋湛山、鳩山一郎、岸信介といった保守系の有力者も吉田批判に回り、自衛軍設立、アメリカ軍撤退、憲法改正を目指していく。
この動きを支えたのが、日米安保に対する国民の怒りであった。条約で決まった日本への米軍駐留を、進駐軍の占領継続と捉えた国民が多かったのだ。
しかも、当時のアメリカ兵は素行が悪く、基地周辺住民への犯罪行為を多発させていた。さらに訓練地やレーダー施設の敷地確保に関する土地問題も起きている。この時期の代表的な事件は、石川県の砲弾試射場の建設をめぐる昭和27年(1952)の「内灘闘争」である。この2年後にはビキニ環礁水爆実験による漁船被ばく(第五福竜丸事件)が置き、反米感情が急激に高まっていた。講和を境に、吉田の対米追従路線には強い逆風が吹いていたのである。
戦力整備へと向かう政府内外
吉田の苦境は選挙結果にも表れた。昭和28年(1953)4月の総選挙では、自由党の議席が222から199にまで減少している。過半数を割り込む大敗を前に、吉田は野党第一党となった改進党との協力を余儀なくされる。こうして9月27日の党首会談にて、侵略に対抗できる組織を設立し、長期防衛計画を作成することが合意された。
政界の動きの裏で、経済界と保安隊も独自の再軍備プランを進めていた。朝鮮戦争の休戦となって特需を喪失した経団連は、次なる市場として防衛産業に期待を寄せていたのだ。
昭和28年(1953)2月、元陸・海軍省の将官などをアドバイザーとして「防衛力整備に関する一試案」がつくられた。陸海空合計約60万人の兵力を、2兆9000億円で整備するという計画である。この案はアメリカ国防総省へ実際に送られている。
一方、保安庁も制度調査委員会による試案を作成した。昭和28年度の1次案では、陸上30万人、航空機6744機という大規模軍隊を想定している。計画は修正を重ねて第10次案まで制作された。もっとも、財政上不可能として政府にすべて却下されている。
こうして政府内外が再軍備へ大きく動いたことで、内閣は保安隊の増強を具体化していくこととなった。
自衛隊の誕生と今後
昭和28年(1953)12月より、自由党、改進党、日本自由党の保守三党は、保安庁法の改定と新防衛組織設立の議論に入った。会談を主導した改進党は、憲法改正にこだわらない再軍備を主張する。一方の自由党は、再軍備への方向転換だと世間に誤解されるのを恐れ、軍隊色を薄めた治安部隊の設立を目指した。これにシビリアン・コントロールの崩壊を危惧する官僚勢も加勢し、「軍」としての設立は回避されることになった。
昭和29年(1954)7月1日、自衛隊法と防衛庁設置法が施行された。これにより、保安庁は「防衛庁」に、保安隊は「自衛隊」となった。法令には、自衛隊の任務として直接侵略から日本を防衛することが明記された。
戦前の軍部独走への反省から、自衛隊は厳重なシビリアン・コントロールのもとで管理されることになった。テロ行為などを想定した治安出動や、侵略行為への防衛出動では、必ず国会の承認または事後承認を受けなければならない。
また、憲法第9条との折り合いもつけられた。後継の鳩山一郎内閣は、「日本国憲法に自衛権の否定はない」「自衛のための任務を持ち、その目的のため必要相当な範囲の実力部隊を設けることは第9条の違反ではない」などの見解を示した。そして先制攻撃を否定する「専守防衛」方針により、自衛隊は防衛組織という建前を守った。
それから現在に至るまで、自衛隊は新安保締結、離島防衛の強化、海外派遣開始、防衛庁の省昇格による組織再編など、さまざまな変革を経てきた。現在は中国・ロシアの軍事的発展、北朝鮮のミサイル問題、サイバー攻撃への対処が、主な防衛課題である。誕生から70年、自衛隊は時代に応じた変革を続けている。
『終戦後の日本軍』高石弘明(彩図社)から抜粋

【筆者紹介】
高石弘明(たかいし・ひろあき)
1986年大阪府生まれ。2010年より編集プロダクションに勤務し、第二次世界大戦や近代の歴史的人物、事件などを中心に執筆。戦国時代や地理に関する執筆も多い。主な書籍は『教科書には載っていない日本軍の謎』『太平洋戦争 通説のウソ』(彩図社・共著)ほか。
