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標準家族のための移動空間|1960年代マイカー・パンフレットを読む

東京五輪が開催された1964年公開のミュージカル映画『君も出世ができる』は、いわゆる「東宝サラリーマン映画」に『ウエスト・サイド・ストーリー』風のパッケージをまとわせた名作。

作中、仕事で大失態をしてやけっぱちになるフランキー堺と飲んだくれのサラリーマンたちが大合唱する「男いっぴき」(作曲:黛敏郎・作詞:谷川俊太郎)の歌詞はこんなかんじ。

ほしくない ほしくない
出世も金も ほしくない
車も家もほしくない
女房も子供もほしくない
くそくらえ くそくらえ
男 男 男いっぴき
ウワーオ ウワーオ ウワー

「男いっぴき」(作曲:黛敏郎・作詞:谷川俊太郎、1964年)

当然にそこで「ほしくない」と歌われる出世、金、車、家、女房、子供は、それぞれ高度成長期のサラリーマンが獲得すべきものと目された「ほしくない」わけがないもの。たとえば『君も出世ができる』公開の4年前、1960年の月刊『平凡』は、3月号にて「十代でも家が建てられる」と諭され、翌4月号では「十代でも『自家用車』が買える」と煽られます。

左:『平凡』1960年4月号 右:『平凡』1960年3月号

ほかにも、山一證券が累積投資の個人会員(M.I.クラブ)向けに発行していた『月刊M.I.』には、同社のシリーズ広告が掲載され、そこにはとある家族の物語を描いたこんな広告文が登場します。

山一證券「月刊M.I.」シリーズ広告(1961年6月号)

ついに車を手に入れたのだ。ハンドルをにぎったぼくは、一路箱根へ向けてつっ走った。朝からの上天気、さわやかな初夏の風がほおをなでる。妻も娘も車の上ではしゃぎどおし、やっぱり車を買ってよかったと思う。
(…)
車が欲しい-そしてはじめたのが、ユニット投信の月掛だったが……。三年まえの夢がこんなに早く実現するとは。車はすんだ。さあ次は何にしよう。妻は新しい家が、娘は大きなピアノが欲しいという。ひとつづつ計画をたて着実に実現させるのだ。そしてぼくの家庭のしあわせを、ぼくの力で築いてゆきたいと思う。

山一證券「月刊M.I.」(1961年6月号)

ここで家族それぞれが思い描く夢のアイテムは、見事なまでに性別役割分担を反映しています。それは山一證券の広告に限ったものではなく、その前年の富士銀行の広告でも明確にアピールされるもの。

「富士ホーム・ローン」広告(富士銀行、1961年)

「パパは自動車、ママは完全電化、妹はピアノ、ボクは勉強部屋」。そんな家族の夢を受けて、パパは「ぼくの家庭のしあわせを、ぼくの力で築いてゆきたい」と、夫は女房・子供をマイカーに乗せ、ピアノを購入し、勉強部屋を庭先に建て、いずれはマイホームを手に入れることを誓うのでした。

「スバルありて我が家は楽し」(富士重工業、1966年広告)

そんな夢を実感できるのが当時の自動車パンフです。トヨタ自動車工業「パブリカ」や本田技研工業「ホンダN360」には、マイカーをわざわざ断面表現で掲載し、そこにはハンドルを握る夫が女房・子供を乗せたシーンが登場します。

「パブリカ」パンフレット(トヨタ自動車工業・トヨタ自動車販売 1960年代前半)
「ホンダN360」パンフレット(本田技研工業 1967年)

家族4人でどこかへドライブするワンシーンではなく、自動車の室内空間にちゃんと家族が納まることを明示する。「〈軽〉最大の豊かな居住空間を生むさまざまな新機構」と謳われるように、自動車が移動手段である以上に家族のための居住空間であることが強くアピールされてるのがわかります。

「車はすんだ。さあ次は何にしよう。妻は新しい家が、娘は大きなピアノが欲しいという。ひとつづつ計画をたて着実に実現させるのだ」。そんな夢を思い描く夫(男性稼ぎ主)。それを見守る長男もまた、同じ夢を育み、そして実現していくことでしょう。たとえば「マツダR360」のパンフには、軽自動車をお手入れする両親の横で「マイカーの練習」をする子の姿が描かれます。

「マツダR360クーペ」パンフレット(東洋工業、1960年代はじめ頃)

戦後、庶民にひろがった生活設計規範「子どもは二人まで」はいわゆる「二人っ子革命」(落合恵美子『21世紀家族へ』)とよばれる状況を出来。マイカーもマイホームも、ともに商品パンフレットには夫婦と子ども二人の標準家族が登場するのが定番になりました。


「ダイワハウスB型(春日)」(ダイワハウス総合カタログ、1960年代末)
「サンシーゼリー」広告(山之内製薬、1957年)

たとえば、大和ハウス工業が1960年代末ごろに制作した住宅総合カタログにも、夫(手にはパイプ)に妻、そして子ども二人が登場しています。避妊薬「サンシーゼリー」のフレーズ、「少く産んで豊かな暮し!1姫2太郎3サンシー」に象徴される「子どもは二人まで」規範の普及がうかがえる広告。

後に「日本初のマイカー」と謳われた富士重工業「スバル360」も、低価格な軽自動車でありながら4人が乗車可能であることを目標に掲げて開発されたことで知られます(桂木洋二『スバル360開発物語』)。「プロジェクトX」でも取り上げられた誕生エピソードで熱く語られたのも「4人家族のため」というコンセプトでした。

そんな「日本初のマイカー」をつくった富士重工業が、戦時中に戦闘機開発を担った航空機メーカー「中島飛行機」をルーツに持つことはよく知られています(桂木洋二『歴史のなかの中島飛行機』)。敗戦により解体された中島飛行機の技術者・百瀬晋六が率いた「スバル360」の開発には、戦闘機を設計するノウハウが込められていたわけです。

そういえば経済学者・橋本寿朗は、日本住宅公団による住宅供給について書く中で、「零戦の開発やスバル360」と公団の設計思想の類似性をこんなふうに書いています。

一戸ごとにコンパクトに基本的な住機能を詰め込もうとした。(…)四〇平方m程度の広さに「どんなに小さくても浴室を確保」しようとして小さな浴室がつくられ、台所と食事室を一緒にしたダイニング・キッチンが生み出された。こうした設計思想は、基本機能のみを追求して徹底的に小型化するという点で、零戦の開発やスバル360のような軽乗用車の開発構想と同じであった。

橋本寿朗『戦後の日本経済』1995年

たしかに公団の「ダイニング・キッチン」が寸法を切り詰め「基本機能」を詰め込み「小型化」したことは、百瀬らが「スバル360」の実現に向け、人間4人が乗車しつつも軽自動車のサイズにおさめ、かつ燃費も加速も担保すべく減量化を徹底したのとそっくり。

なお、「スバル360」が実現した性能は1955年に通産省が構想した「国民車育成要綱(案)」の条件を優にクリアしたことでも有名。この「国民車」のモデルは、ナチス政権下のドイツで進められた「国民車計画」(折口透『ポルシェ博士とヒトラー』)。戦時期の日本にて構想された「国民住宅」も、ナチスの「国民住宅」計画を翻案したもの。

「国民住宅」もまた戦況の悪化に伴い徹底した「小型化」が図られ、「臨時日本標準規格・居住用建物」として規格化が貫徹された建坪7坪半の戦時規格最小型住宅(住宅営団や商工省工芸指導所が開発)は、まさに住宅版・戦闘機だったともいえるのでは中廊下と。

「規格住宅と住い方の研究」(「生活美術」1943年5月号)

この規格住宅の開発に尽力した住宅営団の市浦健は、まだ住宅営団が発足する前、1937年に論文「建築生産の合理化」のなかでこう書いています。

自動車は走る部屋と云われ、建築は住むための機械と云われて居る事や、現在では機械そのものの様に見える自動車も昔の四輪馬車から進化した過程を考えれば、CorbusierやNeutraの作る様な機械化した住宅と比べる事が許されるであろう。

市浦健「建築生産の合理化」建築雑誌、1937年12月号
Bemis本(左)から引用された市浦論文(右)の掲載図版

この論文には住宅建設と自動車製造をならべた図版が掲載されているのですが、その元ネタは、Albert Farwell Bemisの『THE EVOLVING HOUSE: vol.3 Rational Design』(1936)。同書に感化された市浦健は自動車のように住宅をつくる夢を抱き、その一端を戦時体制下に求められた住宅大量生産計画のなかで試行していったのです。

あるべき家族の標準を定め、その家族を収容する最小限の住宅を開発する。それは敗戦をはさんで戦時から戦後へ連続した設計課題でありマイホームの原型となっていきます。

「フェロー:スーパーデラックス」パンフレット(ダイハツ工業 1966年)

4人家族のための車と家を手に入れた一家。その購入資金調達に活用されたのは「ローン」。東海銀行が富士重工業と提携した「スバルローン」のリーフレットには、夫婦と子どもふたりの一家が家と車とともに写っています。夫は夢実現の幸福をかみしめながら、ローン返済のためにも「スバル360」に乗って会社でのお仕事をがんばるのでした。それを家族が見送ります。

「スバルローン」リーフレット(東海銀行、1960年代後半)

平日には通勤に。そして週末はドライブへ。マイカーに収容された夫と女房と子ども二人はレジャーという修養を実践し、マイホームという「生活基地」で鋭気を養い、会社や学校、家庭というそれぞれの持ち場で経済戦を戦ったのでした。

「特集・家族旅行はマイカーで」(『主婦の友』1968年1月号)

ちょっと後日談。マイカーとマイホームの交錯は、ついに日本最大手の自動車会社による住宅づくりへと結実します。トヨタホームの誕生です。「ファミリーカーのトヨタが、家づくりを始めた理由」が「一貫してファミリーのことを追求してきた企業姿勢」にあるのだと語る同社。夫婦に子ども二人という標準家族の背後に自動車の「室内空間設計」が重なるこの絵面に、マイカーとマイホームをめぐる標準家族の物語が凝縮されています。

「トヨタホーム」パンフレット(トヨタ自動車工業住宅事業部、1977年)

(おわり)

※冒頭写真は「ホンダN360」パンフレット(本田技研工業 1967年)より。


関連リンク

京都市広報課「京都ニュース:マイカーと駐車場」
https://www.arc.ritsumei.ac.jp/lib/vm/kyotonews/2022/02/106-6.html
モータリゼーションの進展にともなって発生した駐車場問題について


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竹内孝治|マイホームの文化史 サポートは資料収集費用として、今後より良い記事を書くために大切に使わせていただきます。スキ、コメント、フォローがいただけることも日々の励みになっております。ありがとうございます。