西洋絵画400年の旅〜京セラ美術館
こんばんは。高月香里です。
今日は絵画鑑賞へ行きました。
下調べせずに向かったのですが、とても充実した展覧会でした。




数枚以外は撮影可でしたので、気に入ったものを撮ってきました。

サン=ベルナール峠を越えるボナパルト
1805年
油彩/カンヴァス
ナポレオン伝説中の白眉である「アルプス越え」の場面が描かれている。1800年5月、オーストリアにび侵攻されたイタリアを奪取するため、ナポレオンは第
2次イタリア遠征を計画した。春とはいえまだ雪深いアルプスのグラン・サン=ベルナール峠を越えて南下するという最難関のルートを選び、イタリアに攻め込んだ。ナポレオンを取り上げたダヴィッドの作品中、理想的な英雄としてのイメージが最も強く表現された作例といえ、馬やナポレオンのマントの色などが異なる二つのヴァージョンが制作された。大作が5点現存するが、それ以外に本作品のような小型のものが工房で作られており、英雄のイメージ流布に一役買ったものと思われる。

戴冠式の皇帝ナポレオン
1808年頃
油彩/カンヴァス
本作は「皇帝の首席画家」ダヴィッドによる記念碑的
大作<ナポレオン1世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠)(1806-07年、ルーヴル美術館蔵)に描かれた戴冠式のシーンから、皇帝ナポレオン(在位:1804ー
1814、1815)を独立させたものである。ナポレオンの戴冠式は、ローマ教皇ピウス7世(在位:1800-1823)を呼び寄せて、パリのノートル=ダム大聖堂で行われた。
当初は教皇がナポレオンに戴冠することになっていたが、実際は、ナポレオンが帝冠を自分の頭に載せてから、それを脱いでジョゼフィーヌに戴冠した。ダヴィッドは当初、自らに戴冠するナポレオンを描こうとしたが、最終的には、ナポレオンが帝冠を捧げ持ち、ひさまずく皇妃に戴冠しようする姿を描いた。

シルクのソファー
1879年
油彩/カンヴァス
ソファーのシルクの質感が見事に表現されており、厚く滑らかで冷たい布地の感触がそのまま掌に伝わってくるようである。また、ソファーの上の黒いクッションのビロードのような柔らかさ、少女の背後の皺がよった壁紙の薄さ、彼女の白い衣装の半透明な質感と頭部のリボンの光沢、床に敷かれた厚ぼったい絨毯の重さなどの表現からも、画家の技術の高さが伝わってくる。
愛らしい少女がモデルを務めているが、タイトルが「シルクのソファー」となっているように、この絵の主眼は少女そのものよりも、多彩な布地の素材ごとの質感を描き分けることにあったのかもしれない。

静物、バラ
1890年頃
油彩/カンヴァス
白、ピンク、黄、赤のバラが暗闇から浮かび上がっている。特に白とピンクのバラに光が当たっており、背景とのコントラストが鮮やかである。画面の手前には数輪のバラが置かれ、落ちた花びらや葉も描き込まれている。花弁は、色を変えたタッチの一つ一つを並べてゆくように描かれ、葉も大きな色の面で描かれている。
デキャンプの描写は、個々の対象に肉薄するような細密な表現というよりは、一瞬の視覚的印象をとらえようとしているように見える。

赤い服の女
1892年頃
油彩/カンヴァス
本作のモデルは定かではないが、「カノチェ」と呼ばれる頭頂部が平たく小さめのつばのついた麦わら帽子、「マルセル・ウェーブ」と呼ばれた髪の毛のカール、袖のふくらみが特徴的なデイ・ドレスなど、当時流行したファッションを身にまとっている。絵付職人だったルノワールは、18世紀のロココ絵画を何度も磁器に描き写すことで、女性を美しく飾る技法も自然に身につけていったのだろう。本作には、ロココの柔らかな色彩と印象派の明るい色彩、ロココの官能的な女性美とルノワールの健康的な女性美の調和を見ることができる。
なお、ルノワールのこのような当世風ファッションの人物画は当時から人気が高かった。

ヘレヴーツリュイスから出航する
ユトレヒトシティ 64号
油彩/カンザァス
ヘレヴーツリュイスは17世紀初頭から発展したオラン
女部の軍港、造船の町。ユトレヒトシティ64号とは、
1688年のイギリス名誉革命の際、イキリス議会に招請されたオランダ総督オラニュ公ウィレム3世が英国に向けて出航した艦隊の先導艦である。ウィレム3世は妻
メアリ2世(在位:1689-1694)と共にイングランド王位に就き(ウィリアム3世[在位:1689-17021)、「権利章
典」が制定された。本作はこの歴史的な出来事に基づくが、「歴史画」の枠組みを超えた「歴史的海景画」として描かれた。黒い波がうねり、その向こうでは白い波頭が小刻みに動く。左上方から斜めに差す薄日が、風を受けた船を淡いオレンジ色に染めている。オランダ海景画の強い影響がうかがわれる。

再開
1965年
油彩/カンヴァス
室内のテーブルの上に卵が入った鳥の巣と白い花瓶が置かれている。花瓶には花束がさしてあるよう見えるが、その花々のシルエットは切り抜かれ、青空の下あさやかな緑の草原に樹木が立つ屋外の風景が広がっている。日常の関係ではありえない事物を組み合わせる「デペイズマン」の手法である。また、二重のイメージをコラージュすることで、室内の世界と外界を同時に絵画の中に存在させている。マグリットは、こうした方法により謎めいた世界を表現し、作品の背後にある見えざる世界に迫っている。室内の鉢植えや花瓶の花のシルエットが切り抜かれ、そこに野外の風景が覗いているイメージは、1940年から繰り返しマグリットの作品に登場する。

観念
1966年
油彩/カンヴァス
マグリットの作品には、山高帽の男のイメージが登場する。初期の作品においては、男たちは何もせずただ立っているだけだが、年代が進むと本作のように顔を消されたりシルエットのみで表されたりと、無や消失を表すようになる。本作において、人物は特徴の無い既製の服を着せられ、顔を消された存在として表されている。同じように宙に浮かぶリンゴもその個性を消されている。二つの物体は互いに脈絡をもたずに、絵画の中でこそ可能な出会いを果たす。「日常の中ではあり得ない出会い」をもたらす「デペイズマン」はシュルレアリスムの手法の典型で、通常の意識を突き抜け、驚きの入り混じった超現実的な感覚を引き起こす。

牧草地の牛、ルーヴシェンヌ
1874年
油彩/カンヴァス
ルーヴシェンヌはパリの西郊約25キロの静かな村で、風景画を描くには絶好の場所であった。印象派の画家たちは、1874年の第1回印象派展までの数年間、この地によく画を立てて制作をした。シスレーは1870年から1875年までルーヴシェンヌに住み、緑豊かで起伏と変化に富んだこの土地の印象を、柔らかな印象主義的手法でとらえている。本作では、右手にカーブする道の曲線があり、近景に広がる牧草地で草を食む3頭の牛、その傍らには大木がそびえ、一人の女性が幹に寄りかかっている。シスレーの初期の作品
に見られる諸要素一木の葉、夏空と雲、空間の広かり、曲がり道、光と影など一が、穏やかなタッチと均整の取れた色彩で表されている。

秋、朝、盛り、エラニー
1900年
油彩/カンヴァス
ピサロは1884年にセーヌ川の支流エプト川沿いの村エラニーに移住し、四季の変化とともに異なった様相を見せる果蔵園の景色をテーマに連作を試みた。1885年にはシニャック(1863-1935)とスーラ(1859-1891)
に出会い、印象派の色彩理論を科学的に推進して、色彩を小さな点に分割する点描画法を用いる新印象主義に参加した。ピサロ最晩年の本作は、この新印象主義的な細かいタッチとともに、ピサロが死を迎える前に言及した、以下のような調和の原則によって描かれている。「作品を手がけるとき、初めに決定することは調和である。この空と、この大地と、この水のあいたには、必然的に何らかの関係がある。それは調和の関係でしかない。

レディース・コーヴ、ラングランド、ウェールズ
油彩/カンヴァス
1897年、シスレーは数ヵ月の間、南イングランドと南ウェールズを訪れ、首都カーディフ、ペナースの海岸を描いている。本作に描かれたラングランド湾も南ウェールズの港で、シスレーは海岸の波打ち際と岩場を描いている。最晩年の風景画だが、動きのある筆致と明るい色彩を用いて、光を反射する海岸の砂利や白波、そして、風、大気の流動を生き生きととらえている。
秋、現地で制作した25枚ほどの絵画を携えてフランスに戻ってきたが、本作はこの中に含まれていた作品と思われる。この旅が祖国を訪れた最後となった。シスレーはこの頃すでに頭癌に冒されていたが、最後の生命力をふりしぼるように美しい海岸線をカンヴァスに描きとどめた。

オーヴェールの曲がり道
1873年頃
油彩/カンツァス
パリ北西のオーヴェールにセザンヌとピサロが滞在した
1873年頃に制作された作品である。セザンヌは1873年に同地で描いたく首吊りの家><モデルヌ・オランピア(オルセー美術館蔵)など3作品を翌年の第1回印象派展に出品しているが、本作は同展出品作ではない。この時期、ピサロから教えられた筆触分割などの印象主義の技法を習得し、作品の色調は明るくなった。セザンヌは後に、印象派の筆触分割が陥る形態(フォルム)の不明瞭さに不満をもち、対象のより強い実在感を求めて堅固な造形を目指すようになる。本作において、建物の屋根や壁面の幾何学的形態を色面によって構築的にとらえている点は、後のセザンヌに特
徴的な筆触の顔ともいえる

森の小憩、ジェルブロワ
1925年
油彩/カンヴァス
緑濃い木々の合間に小径があり、路上に白い布が敷かれ、果物やパン、酒瓶が置かれ、右手の木の枝には帽子が括り付けられている。今しがたまでピクニックに興じる人々がいたかのような光景である。近景から遠景にかけて、木漏れ日が点描による美しいタッチで詩情豊かに描かれ、夏の日の柔らかな光線の振動や微かな空気のゆらめきが見事にとらえられている。手前には、ル・シダネルが愛した村、ジェルブロワの象徴であるバラの花が描かれている。静かな宴の余韻にバラの花を添えることで、画家が思い描くアルカディア(理想郷)が表現されているのかもしれない。

睡蓮
1908年
油彩/カンヴァス
モネが自宅の日本庭園の池を舞台に、睡蓮を描くようになるのは1897年頃である。1902年には連作に本格的に取りかかるようになり、亡くなるまでの間、モネはジヴェルニーの庭と池を描き続けた。本作は15点の連作のうちの1点。繊細で優美な色彩が用いられ、睡蓮の作品の中でも最も軽快な作風を示す。モネは日本の浮世絵版画をコレクションしており、水面の一部を切り取ってクローズアップして描く「視点」のヒントを浮世絵から得たとも考えられる。長年にわたり描き続けられたく睡蓮)は、対象の形態(フォルム)を超えて光の変幻を色彩化しようとする試みに至り、視力の衰えた最晩年には荒々しいタッチが錯綜する現代美術のような画面となった。

鷺鳥番の少女
1866-67年
油彩/カンヴァス
1849年春にパリからバルビゾン村に移り住んだミレーは、農民の生活と自然の情景を仰の次元にまで高めて表現していた。ミレーは、1867年のサロンに出品した本作と同じ題名の作品について、ミレーの伝記作家で友人のアルフレッド・サンスイエ(1815-1877)宛の手紙の中で「私は驚鳥の鳴声が画面一杯に響き渡るように描きたい。ああ、生命よ!」と記している。本作は前出のサロン出品作と同時期に描かれたもので、「鷲の番をする少女」をテーマにしたシリーズの中核をなす作品である。下描きの線が透けるほど油絵具を薄く塗るフロッティ画法により、水彩画のような効果を出しながら夏の日差しに照らされた水辺の雰囲気をよく表している。
シャガールの絵も1枚あったのですが、それは撮影禁止となっておりました。失礼ながらネットから拝借しました。『曲馬』というタイトルの絵です。

私はシャガールが好きなのですよね。あるのは知らずに向かったのでみつけた瞬間に感激しましたよ。
ターナーやシスレー、ミレーなどはとても久しぶりに観たのでそれはそれで感激でした。観たというより、また会えたという感じがしました。
マグリットは初めて観ました。一度京都に来たのですが、行けずじまいでパンフレットを購入したのみでした。
しかし、遠目で見ても、「あ!マグリットだ!」とすぐにわかりました。個性的ですからね。違う意味でルノワールも遠目で見てもすぐにわかりますね。
この「西洋絵画400年の旅」は今月24日までです。ご興味あるかたはお早めに。
私ももう一度観に行くかもしれません。
