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梅雨の土曜、コインランドリーで気づいた。フリーランスの平日と休日は、もう溶けていた。

土曜の午後3時、近所のコインランドリーにいる。

雨で部屋干しが追いつかなくなって、洗濯物を抱えて歩いて5分。乾燥機に放り込んで、200円入れて、20分。やることがないので、ガラス越しに回る洗濯物をぼんやり眺めている。

外は梅雨らしい、湿った灰色の空だ。傘を畳んで入ってきた人が、隣の洗濯機を回して、すぐ出ていった。店内には僕一人。乾燥機のドラムが、一定のリズムで回っている。

それを見ながら、ふと思った。

今日が土曜だということを、僕はさっきまで意識していなかった。

「今日が何曜日か」を、確認しなくなっていた

会社員のころ、土曜の午後といえば意味があった。「明日も休みだ」という余白と、「日曜の夜には憂鬱が来る」という助走。曜日には、ちゃんと感情がくっついていた。

SIer時代の土日は、もっとはっきりしていた。金曜の夜にお酒の量が増えて、土曜は昼まで寝て、日曜の夕方になると胃のあたりが重くなる。サザエさんが流れる時間が、本気で嫌いだった。働く日と休む日のあいだには、太い線が引いてあった。それが当たり前だと思っていた。

フリーランスになって2年。その線が、いつの間にか消えていた。

午前中、僕はクライアント向けの資料を半分くらい進めていた。土曜なのに。誰に頼まれたわけでもない。月曜に余裕を作りたいから、手の空いた土曜に少し進めておく。そういう判断を、もう何の抵抗もなくしている。

逆に、平日の火曜の昼に2時間散歩していたりもする。平日と休日が、きれいに溶けて混ざってしまった。

焦りでも、寂しさでもなかった

ここで「やっぱりフリーランスは休めない」とか「孤独だ」とか書けば、たぶん記事としては収まりがいい。

でも、実際のところ、そういう感情はなかった。

乾燥機を眺めながら僕が感じたのは、焦りでも寂しさでもなく、ただの「事実だな」という感覚だった。気温が今日は20度だ、というのと同じトーンで、「ああ、自分はもう曜日の外側で生きているんだな」と思った。

線が消えたことを、損だとも得だとも思っていない自分がいた。

SIer時代と比べると、たしかに失ったものはある。あの太い線が作ってくれていた「強制的な休み」は、もうない。誰も「今日は休め」と言ってくれない。だから自分で線を引かないと、いつまでも資料を開いていられてしまう。

でも、得たものもある。火曜の昼に散歩できる自由は、あの線がなくなったから手に入った。雨の土曜にコインランドリーで20分ぼんやりできる、この間延びした時間も、たぶんそうだ。線をなくしたから、こんな時間が生まれている。

要するに、トレードしただけなんだと思う。会社が管理してくれていた時間の区切りを手放して、自分で時間を区切る責任を引き受けた。それだけだ。

乾燥機が止まって、僕は立ち上がった

20分経って、ブザーが鳴った。

温かい洗濯物を畳んでいると、当たり前だけど、平日の洗濯物も休日の洗濯物も、まったく同じ顔をしていた。区別なんてつかない。僕の毎日も、たぶんもう、そういうことなんだろう。

線が消えたことを、いいことにするか悪いことにするかは、結局のところ自分次第なんだと思う。自由は、放っておくと際限なく仕事に浸食される。だから僕は、最近あえて「何もしない土曜の午後」を意図的に作るようにしている。今日のコインランドリーも、半分はその実験だった。

遠回りして会社を出た分だけ、こういう「線の引き直し」を自分の手でやる練習をしている最中だ。うまくなったとは、まだ言えない。

畳んだ洗濯物を抱えて、雨の中を歩いて帰る。外はあいかわらず灰色だったけど、悪くない土曜だった。それだけだ。


同じように働く曜日と休む曜日が溶けていく感覚のある人がいたら、たぶん僕の話は他人事じゃないと思う。次もこういう、夜のビール片手の独り言を書くので、よかったらフォローして待っていてほしい。

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